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2010-06-09up

フリーランスライター 畠山理仁の「永田町記者会見日記」~首相官邸への道~

第16回

2010年6月8日@首相官邸

「できるだけオープンにすべきだという原則と、具体的にそれをどうオペレーションするのかというのは、それはそれとして、きちんと何か必要なルールなり対応なりをすることが必要かなと思っています」
(菅直人総理大臣)

※写真は6月4日、民主党新代表に就任した際の記者会見でのもの。フリーランスの記者に官邸での会見中の撮影はいまだに認められていないからだ。
※菅直人総理の記者会見の模様は首相官邸のホームページから動画配信されています。 畠山の質問は開始46:25秒あたりから。

●初めて首相に質問! そのやりとりは?

 当たった。
 首相官邸で開かれた菅直人総理大臣の記者会見。3月26日の鳩山総理「セミオープン会見」から数えて3度目の出席にして、ようやく私にも質問の機会が巡ってきた。
 会見開始後46分過ぎ、会見の進行役を務める小川洋内閣広報官が私の方を見ながらこう指名したのだ。
 「それでは…、畠山さん」
 そこで私はあらかじめ準備していた質問を菅総理に投げかけた。ちょっと長くなるが、質疑の全文を載せてみる。

畠山「フリーランスの畠山と申します。菅総理の考える“自由な言論”についてお尋ねします。今回でフリーランスの記者が総理に質問できる会見は3回目となりますが、参加するためにはさまざまな細かい条件が課されています。
また、3回連続して参加を申請し、断られたフリージャーナリストの一人は、交渉の過程で官邸報道室の調査官にこう言われたと言います。
“私の権限で、あなたを記者会見に出席させないことができる”と。
このジャーナリストは、これまで警察庁キャリアの不正を追求したり、検事のスキャンダルを暴いてきたりした人物ですが、いわば権力側から見たら、煙たい存在です。
総理は過去の活動実績の内容や、思想信条によって、会見に参加させる、させないを決めてもいいというご判断なんでしょうか」
菅「私は一般的にはできるだけオープンにするのが望ましいと思っております。ただ何度も言いますように、具体的にどういう形が望ましいのかというのは、しっかり、それぞれ関係者のみなさんの意見も聞いて検討したいと思っております。
たとえば私は、総理になったらいろいろ制約があるかもしれませんが、街頭遊説なんていうのは、たぶん、何百回ではきかないでしょう、何千回もやりました。まあ、いろんな場面がありますよ。隣に来て大きなスピーカー鳴らして邪魔をする人もいたり、集団的に来て悪口を言う人もいたり、いろんなことがあります。だから、いろんな場面がありますので、できるだけオープンにすべきだという原則と、具体的にそれをどうオペレーションするのかというのは、それはそれとして、きちんと何か必要なルールなり対応なりをすることが必要かなと思っています」

●仙谷官房長官の会見オープン化に期待

 ちなみに私が質問で触れたフリージャーナリストとは寺澤有氏のことだ。菅氏はこの日の会見で仙谷由人官房長官のことを「煙たい存在」と言っていたが、記者会見で質問する記者の中にも「煙たい存在」を入れることが必要ではないか。それでこそ「本当の意味で開かれた会見」になる。私はそう思って、あえてこのことを質問したのだ。
 この日の会見では、フリージャーナリストの上杉隆氏(@uesugitakashi)も会見のオープン化と官房機密費の情報公開について質問した。また、フリージャーナリストの岩上安身氏(@iwakamiyasumi)からは、官房機密費がマスコミに渡っていた疑惑、「政治と報道とカネ」の問題についてオープンにしていく考えがあるかどうかという質問も出た。いずれも大手マスコミからはなかなか出ない質問だっただろう。
 しかし、私の質問に対する答えもそうであったように、菅総理の言葉からは“積極的にオープンにしていく”という姿勢は感じられなかった。これは今後月一回程度開かれる予定だという記者会見の場で明らかにしていきたいと思う。
 会見終了後、私の顔を見つけた上杉隆氏は、「あ、出入り禁止の人だ(笑)」と嬉しそうに冗談を言って去っていった。私も苦笑した。しかし、この程度の質問で私が本当に出入り禁止になるようだったら、菅直人総理の「オープンな政治」は全くの看板倒れということになる。私は次回も排除されることはない、と期待している。
 ちなみにこの日、私が用意していた質問には、本当は最後にこの一文があった。質問を簡潔に済まそうとして読み飛ばしてしまったので、ここで書いておこう。

「官房機密費にとらわれない“自由な言論”について、お考えをうかがえればと思います」

 9日の各新聞の報道によると、今後は平野博文前官房長官時代にはオープンにならなかった官房長官会見も、フリー記者に対してオープンになりそうだという。
 いよいよ「真の情報公開」の時代がくるのかどうか。みなさんもぜひ注目して下さい。

2010年6月4日@官邸報道室との電話

「鳩山総理の辞任会見は開かれません」
(官邸報道室)

●早朝とびこんできた「鳩山総理辞任表明」

 6月2日早朝。突然、民主党関係者が慌ただしい様子で電話をかけてきた。

「まもなく衆議院別館の5階で両院議員総会です!」

 もともとこの日、両院議員総会が開かれる予定はなかった。それが当日朝になって突然の開催決定。
 これは何かある――。
 その異変に気づいたこの人物は、そう思って私に電話をかけてくれたのだった。
 ただし残念なことに、会場はフリーの記者にもフルオープンになっている民主党本部ではなく、国会記者証を持たないフリーの記者が簡単には入れない衆議院別館だった。私はなんとか手はずを整え、開始予定時刻5分前に会場入りした。その場で突然飛び出したのが鳩山総理の「辞任表明」だ。

「私も退きます。しかし、幹事長も職を退いていただきたい。そのことによって新しい民主党、よりクリーンな民主党を作り上げることができる」(鳩山由紀夫氏)

 この瞬間、世間の関心はすぐに「ポスト鳩山」へと移った。だが、私は全く別のことを考えた。それは「鳩山氏が、オープンな形で辞任会見を開くのかどうか」ということだ。
 この辞任表明が行なわれたのは衆議院別館という「クローズド」な場だ。そして質疑応答の機会は一切なかった。これでは納得できない。このまま終わってしまうのでは、鳩山政権の功績を大きく汚してしまうと私は思った。
 鳩山政権への評価はいろいろあるだろう。しかし、私は大きな功績もあったと思っている。それは戦後65年間、誰もなしえなかった「総理会見のオープン化」を実現したことだ。その鳩山氏が政権を降りる際に「オープンな形での会見」を開くかどうかは極めて重要だ。会見オープン化を実現した鳩山氏が辞任会見もオープンな形で開けば、「政府会見のオープン化」は確定的な流れとなり、もう誰にも止められなくなるからだ。
 私は官邸報道室に何度も電話をした。「鳩山総理は辞任会見を開かないのか」。「辞任会見をぜひ開いてほしい」「総理に質問する機会を作ってほしい」とも要請した。それは私だけでなく、他のフリーランスの記者も同じような申し入れを行なっていた。

●ツイッターで「辞任記者会見」を直談判

 また、ツイッター上では、総理側近の松井孝治官房副長官(@ matsuikoji)に「オープンな形での辞任記者会見」を求めてつぶやいた。松井氏はツイッター上でこう述べている。

「退陣表明を記者会見で飾れなかったのも、うかつだった。疲労困憊でした。でもやっぱり記者会見(オープン)で締めくくるべきだった。」
http://twitter.com/matsuikoji/status/15331068261

「明日もう一回、衆議院議員としての上司にチャレンジします。ダメだったら根性なかったということです。二人とも」
http://twitter.com/matsuikoji/status/15331369931

 私たちはそこに一縷の望みをかけていたが、6月4日、ついに結論が出た。それが冒頭の「鳩山総理の辞任会見は開かれません」というものだ。
 鳩山氏はもう一つ、最後の最後で大きなミスを犯している。それは6月3日の朝のこと。鳩山氏は記者からの「会見は開かないんですか?」との投げかけに対し、「私が決めることではありません」と発言してしまったのだ。
 これは従来から会見の主催権を主張する記者クラブにとって、非常に都合のいい映像となった。「会見の主催権は記者クラブにある。しかし、首相は会見を拒否した」と認めることになるからだ。
 内閣記者会の抵抗を押し切り、“政治主導”で記者会見のオープン化を進めてきた鳩山氏。しかし、鳩山氏は、せっかく進めた時計の針を、自ら後戻りさせてしまった。とても残念でならない。

2010年6月8日@携帯電話

「荒井聡大臣は兼任が多いので、記者クラブ以外の方が会見に参加するには、3つの記者クラブの了解が必要になります」
(内閣府報道室)

●各省庁での就任記者会見にはしごして参加

 6月8日に発足した菅直人政権。この日、各大臣は皇居での親任式と認証式を終えた後、官邸で就任記者会見を開いた。しかし、残念ながら私はその場に参加できなかった。総理会見はフリーの記者も参加できるようになったものの、官邸での各大臣就任会見に出席できるのは内閣記者会のメンバーだけだからだ。うーん、不思議。
 ちなみに官邸での記者会見には、各省庁の記者クラブのメンバーも全員が入れるわけではない。そのため各大臣は官邸での記者会見の後、各省庁に戻り、各省庁の記者クラブ向けに再度就任会見を開くのだ。
 私は官邸での就任会見に出席したいと申し出たが、「出席できない」と言われたため、各省庁での就任会見への出席を試みた。

 まずは金融庁の大臣室で亀井静香郵政改革・金融相の会見に出た。これは従来通り、記者クラブ向けとは別に開催されている大臣主催の「第二会見」。問題なく出席できた。また、残念ながら時間の都合で外務省の岡田克也大臣の会見には出席できなかったが、これも従来通りフリーランスの記者も出席できることがわかっている。
 私はその後、隣の財務省に移動して野田佳彦財務大臣の就任会見にも出席した。財務省の大臣会見は、3月末に鳩山総理(当時)の会見がオープンになった後、主催者である記者クラブがフリーランスの記者の参加を認めるようになったからだ。今回もすんなり「いいですよ」との返事がもらえた。また、厚生労働省の長妻昭厚生労働大臣の会見にも、フリーランスの記者が参加した。

 さらにその後、私は新しく国家戦略担当相に就任した荒井聡大臣の会見への参加を試みた。そこで国家戦略室がおかれている内閣府に電話をすると、報道室の担当者から冒頭のような返事をもらったのだ。
 ここで、荒井大臣の役職を正確に記しておく。

「国家戦略担当内閣府特命担当大臣(経済財政政策・消費者及び食品安全)」

 たしかに兼任が多い。テーマが異なるため、記者クラブもそれぞれの担当にあわせて3つある。詳しく言うと、永田クラブ(国家戦略担当大臣として)、経済財政クラブ(経済財政政策担当大臣として)、消費者庁記者クラブ(消費者及び食品安全担当大臣として)だ。
 多少手続きは面倒だが仕方がない。それぞれの記者クラブに連絡をとってみたところ、いずれのクラブも「どうぞ参加して下さい」との答えだった。会見オープン化の流れは、着実に定着したようだ。

 この日の会見でも、実際に3つの記者クラブがの記者が入り交じって出席していた。しかし、途中で会見場にちょっとした騒ぎがあった。経済財政政策についての質問が続いた後、会見の司会を務めていた内閣府大臣官房政策評価広報課の金児敦弘報道室長が「それではそろそろ最後の質問に…」と発言すると、消費者庁の記者クラブの記者から一斉に異論が飛んだのだ。

「それは困る! まだ消費者行政の質問を全然していない!」

 それを受けた金児報道室長は恐縮して会見時間を延長。結局、その後は数問、消費者行政の質問が続き、最後は円満に会見が終了した。
 でも、3つも兼任している荒井大臣、これからの会見はどういう形で開かれていくのだろうか?
「まだ決まっていません…」
 金児報道室長、お疲れ様です。国民の「知る権利」「情報公開」の期待に答えるためにも頑張ってください。

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問題山積みの民主党政権ではありますが、
大臣記者会見オープン化の流れは、
着実に広がりを見せています。
それだけに、口火を切った鳩山さんの
「辞任オープン会見」なしは、残念でしたが。

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畠山理仁さんプロフィール

はたけやま みちよし1973年愛知県生まれ。早稲田大学在学中の1993年より週刊誌を中心に取材活動開始。1998年、フリーランスライターとして独立。興味テーマは政治家と選挙。米国大統領選、ロシア大統領選、台湾総統選など世界の選挙も取材。大手メディアが取り上げない独立系候補の活動を紹介した『日本インディーズ候補列伝』(大川豊著・扶桑社刊)では取材・構成を担当した。 昨年9月18日、記者クラブ加盟社以外にも開放された外務大臣記者会見で、フリーの記者として日本で初めて質問。今年1月22日には、東京地検からの事情聴取直後に開かれた小沢一郎・民主党幹事長の記者会見を、iPhoneを使ってゲリラ的にインターネットで生中継し注目される。twitterでは、 @hatakezo で日々発信中。

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