マガジン9
憲法と社会問題を考えるオピニオンウェブマガジン。
2011-08-24up
【被災地とつながる:#06】
O君への返信@横浜(北川裕二)
前回このコーナーに掲載した「Kさんへの手紙@釜石」(小笠原拓生)の記事に登場したK(北川裕二)さんより寄稿いただきました。ここに紹介します。
*
小笠原(O)君、お久しぶりです。転居した仮設住宅の住み心地はいかがですか。奥さんや子供たちは元気にしているでしょうか。
巨大津波の到来から既に6ヶ月が経とうとしていますが、地震は一向にやむ気配がありませんね。とりわけ君の住む岩手県周辺は、今でも多いですね。毎日、気象庁ホームページの「地震情報」を見るようにしているんですが、この一週間でも震度3以上の地震が全国で20回ほど起きています。地下の活発な地震活動は既に全国に波及してしまったようです。マグニチュード8クラスの巨大地震がまたどこかで引き起こるのでは、という不安が募るばかりです。
ぼくらの暮らす大地の下でいったい何が起こっているのでしょうか。君と共にそう問わざるを得ません。先の5月に、君に会いに、また災害ボランティアに参加するために釜石市に入って見たあの凄惨な光景が、今も脳裏に焼き付いて離れることはありません。この経験がなかったら、東京に住むぼくは、おそらくもっぱら原発事故を中心に関心を持ち続け、地震についてはそれほど深刻に考える事はなかったようにおもいます。いずれ巨大地震が東京でも起こるだろうくらいの関心に留まっていたことでしょう。
実際、それ以前は原発関連の情報収集に明け暮れていました。むろんそれは必要なことだったし、これからもそうであることに変わりはありません。しかし思いきって5月に被災地を訪ねて以来、ぼくは変わりました。東京に戻ってからも、人の生活模様それ自体というよりもむしろ、それを成り立たせている地盤そのものを見ることが、すっかり習慣になってしまいました。
地形・地質との関連を通じてのみ、その上に立つ暮らしを理解することができる。まず地面の下を想像し、それからその上に建つものを見るようになったのです。巨大な痙攣が日本列島を揺さぶっている。痙攣が、外界を認識するヒトの知覚のメカニズムさえ変えてしまったということなのかもしれません。
けれど、そうした関心から大それたことをし始めたということはありません。ただ、週に1~2度東京近辺を散策することを始めました。半日から丸一日かけて歩き、歩きながら見たものを写真に記録していくというただそれだけのことです。そんなシンプルな行動ですが、それでもそこにはこれまでに経験したことのない認識が宿ることもあります。
例えば、四ツ谷から赤坂へ向かったときのことです。仕事の都合上、四ツ谷にはよく出向きます。四ツ谷と赤坂は迎賓館を隔てて隣り合った街といっていいとおもいますが、歩いたことはなかった。で、歩いてみたのです。
首都高速道路が武蔵野台地の地下トンネルから抜けてくる。外堀通りと高さが同じにある場所。
四ツ谷から赤坂へ向かう外堀通りは長く緩やかに下るカーブの坂です。右手に赤坂迎賓館があり、左手に外濠(弁慶池)が続きます。このあたりは複雑な地形で、武蔵野平野をつくる洪積層とそれよりも低い沖積層が複雑に入り組んでいるようなところです。一般に洪積層は年代的に古く固い台地をつくる地層で、沖積層はその下を流れる川を中心に東京湾へと連なっていく低地で、比較的新しく軟弱な地層といわれています。
四ツ谷から赤坂へ向かう坂を下るということは、つまり、洪積層の台地を下りて沖積層の低地へと入ることを意味します。「入る」と書いたのは、沖積層の低い湿った土地が洪積層の乾いた台地に囲われているという感覚をもつからです。その赤坂への坂を下っているときに気づいたことがありました。
下り坂の外堀通りの上を高架橋になって赤坂へと伸びる首都高。その下を歩くとまるで海底を歩いている気分。
君は四ツ谷駅を覚えているでしょうか。JR四ツ谷駅ではなく地下鉄丸ノ内線の四ツ谷駅です。丸ノ内線はそこで地下からほんの一時顔を出します。実は地下鉄と同じように、首都高速道路(以下、首都高)も四ツ谷で地下トンネルから抜けて、そのあとすぐに高架橋となって赤坂へと伸びていくんです。
なぜ地下トンネルを通っていた首都高がいきなり高架橋となるのでしょう。その答えは先述した通り、台地の地下を通るトンネルから出て低地に入るからなのです。ということは、首都高は台地の上にも高架橋が架かるところが多くあるでしょうが、ここでは首都高の高さは、実は変わってはいないように見える。変わったのは土地の高さだったというわけです。
左手には江戸時代に作られた弁慶濠。今は釣り堀の池として利用されている。
そのとき、ハッと気づいた、ここはもともと海だったのではないかと。この首都高の高架橋の高さが、すなわち縄文時代の海面の高さを示しているのではないか。いわゆる縄文海進とも、有楽町海進ともいわれている約15000年前から6000年前にあったとされる海面上昇のことです。
そう思った瞬間、海底を歩いているような錯覚した気分になり、それからすぐに、釜石市で見た光景がまさに津波が押し寄せるように蘇ってきたんです。東京にあの巨大津波が押し寄せてきたとしたら、ここ赤坂にも津波は到達するのではないかと。もちろん東京湾という入り江にどれほどの津波が押し寄せてくるかは、専門家でないぼくにはわかりません。しかし、それほど赤坂は低いと感じさせる場所でした。
赤坂見附。首都高の高さが縄文時代の海面の高さを連想させる
江戸時代から明治・大正、そして戦争で焦土と化し、復興して今がある。東京という都市は平面にグリッドを敷いたような都市ではなく、むしろその反対でツギハギだらけのデタラメな都市に見えます。ところが、こうやってみていくと、実は巧妙に住み分けられている。台地と低地を使い分けているのです。台地に建つ国会議事堂と裏の低い赤坂の関係のように、公共施設は固い地盤に建てられ、繁華街、商業空間は地盤の緩い低地に広がる。こんなことは実際に歩いてみないとわからないことでした。
5月に釜石から戻ってからというもの、ぼくのし始めたことといえばそんな他愛ない彷徨にすぎません。どこへ行くのかという取りあえずの目的地はその都度もうけますが、基本は行き当たりばったりです。歩くことが目的ですから。ときには散策がデモに合流することもあります。そして交差路でデモから散策へと、また別の道を歩くのです。通勤でもなく、買物でもない、何か別の目的のために。
でも考えてみれば皮肉なことです。放射性物質がまき散らかされるまではそんなことをせず、そうなってから頻繁に出歩くことになったのですから。ですが、家の中と外の放射線量をガイガーカウンターで計測してわかったのですが、線量はほとんど変わりません。夏ですからなおさらです。逆に家の中の方が、放射性物質が溜まりやすいという話もあります。
返信がすっかり遅くなってしまい恐縮しています。と、これを書いている矢先、今日も福島・宮城沖でマグニチュード6.8という大きな地震がありました。津波注意報も発令されました。どうか、気をつけて。こんなことしか言えない自分に忸怩たる思いです。また、君の近況をぜひお知らせください。
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