マガジン9
憲法と社会問題を考えるオピニオンウェブマガジン。
2011-12-07up
【被災地とつながる:#10】渋谷という谷間を巡って(北川裕二)
前回このコーナーに掲載した「震災から半年を経て@釜石」の記事に登場したK(北川裕二)さんより寄稿いただきました。ここに紹介します。
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O君、お元気ですか。今年も終わりますね。津波が押し寄せた被災地にも、放射能に汚染された被災地にも、変わりなく季節は巡ってきます。自然とは無情なものですね。
季節は、季節感という言葉があるように、一人ひとりの感覚と強く結びついています。その移り変わりは、単に気温や気候の変化のことではなく、それぞれの土地に結びついた地域個有の記憶をつくる。季節が感覚や記憶と結びつくからこそ、人は去年と同じ春がまたやってくると信じられる。
けれども季節が「変わりない」というのはどうやら違っていたようです。春夏秋冬が毎年同じように感じられたのは、単に、人が自然の中の変わらないもの、あるいは去年と同じように変わるものしか見ていないからでした。しかし枯葉が去年と同じ場所に落ちることはなかった。もともとどれひとつとして同じ枯葉など存在してはいなかったのです。
揺らいでいるのは大地ばかりではない。地震はぼくらの感覚や記憶をも液状化してしまいました。被災者の君にいうのは憚れるけれども、東日本大震災(原発震災)の想像を絶するエネルギーは、山岳国家にしては特異な地形を形成しているといってもいいこの関東平野の隅っこで、ダンゴムシにみたい暮らしているぼくの日常生活、身体感覚にさえ及んだのです。
ぼくは相変わらず東京の地形散策を続けています。劇的に変貌し続けるこの都市ですが、この散策を続ける前は、他の人と同様その変貌を漠然と眺めている程度でした。というよりまったく関心がなかった。けれど、釜石から戻ってからというもの、この都市への見方は変わった。いったいどのような自然条件の下にこのような大都市が形成されたのかに興味が湧いてきたのです。それというのも、遠くない未来に再び直下型の大地震が襲ってくることになるだろうからです。
ところで君は渋谷川という川を知っていましたか。実は渋谷の中心部を流れている川があるんです。水源は新宿御苑内にある池です。ここから湧き出た水が、すぐに暗渠になって千駄ヶ谷を通り、原宿を横切るように、若者向けブティックが並ぶキャット・ストリートと名づけられた遊歩道の下を流れています。それから宮下公園の脇を流れ、渋谷駅の下を潜り、恵比寿へ向かって流れている。
ブティックが並ぶキャット・ストリート。道の下には渋谷川が流れる。道の蛇行具合が、ここが川であることを示している。
千駄ヶ谷から暗渠となった川は、渋谷駅を過ぎた地点ではじめて地上に顔をのぞかせます。今では水はほとんど流れていません。放水路が地下に増設され、水は普段そちらを流れており、雨量の多いときにだけ、渋谷川に水が流れてくるという仕組みになっています。恵比寿から先は古川と名前を変え、比較的大きな河川になって、皇居を中心に弧を描くように東京湾へと注いでいます。その古川にしても、上にあたかも蓋をしたかのように絶えず首都高速が走っているから、暗く寒々しい川の光景が続くばかりです。
この渋谷川周辺には、かつて田圃があり、多くの用水路が何本も通され、水車がまわり、精米などが行われていました。この渋谷川を境に内側が武士や町人の暮らす江戸で、外側は農民の暮らす武蔵野に続く村落だった。川幅が広くなる川下の古川になると、運河として、物資を運ぶのに利用されていたと伝えられています。
渋谷。この街も長い間「若者の街」というイメージが定着していますね。ぼくもそうおもってきました。けれど渋谷川を辿ってみると、この街がまったく違うものに見えてきた。そもそも渋谷に川が流れていることすら知らない人だっていることでしょう。暗渠になって地下を流れているわけですからそれも致し方ありません。
その渋谷ですが、名前からしてこの街が谷であるということがわかります。宮益坂、道玄坂、スペイン坂、あげればキリがない。坂だらけの街です。それもかなり急な勾配ものが多い。ということは、渋谷が実はひじょうに深い谷であることを物語っています。そして、ほとんどの坂が中心部にある渋谷駅に向かって下っている。渋谷駅は谷底にある駅だったのです。そこからすると駅の地下に川が流れているのは道理に合っています。川は常に低地に向かって流れるからです。
君も記憶しているとおもいますが、渋谷駅というのはよくよく観察すると実に奇妙な駅です。ターミナル駅だから乗り入れている鉄道も多いのですが、2階には山手線、井の頭線、東横線の駅が接続されていて、地下には半蔵門線(田園都市線)、副都心線が走っています。ですが、中でもこの駅の奇抜さをよく表しているのが地下鉄銀座線です。地下鉄の駅なのに3階にあるのだから。こんな駅をもつ地下鉄も世界にそうないでしょう。しかしそのことが実に深い谷であることを証明してもいます。銀座線は、渋谷から発車するとすぐに淀橋台と呼ばれる台地の下に潜り、浅草を目指します。
その渋谷駅の東口に架けられた歩道橋から東横線の駅を眺めていたときのことです。さらに驚くものを見ました。この駅の上に、なんと首都高速が走っていたではありませんか。ただ上を走っているのではない。屋根の一部が首都高速として使われているんです。東横線はちょうど玉川通りの真上に建設されたため、駅の下に玉川通りが、屋根には首都高速が走っていて、しかも玉川通りの下には暗渠化された渋谷川が横切り、さらには人が通りを横断するための地下通路まで設けられている。普段頻繁に利用しているのに、このような錯綜した構造をまったく気にも留めなかった。
玉川通りの上に東横線渋谷駅、屋根には首都高速が走る谷間の空中未来都市渋谷。流線型のファザードがそれを物語る。直下型地震で壊滅的被害を受けそうだ。
察するに、建設当初、ここはおそらくとてもモダンで未来社会を先取りするような場所に見えたはずです。しかし、同時になんという危険な場所をこれまで利用してきたのかという不安も募ってきました。マグニチュード7クラスの直下型地震が襲った場合ひとたまりもない…。モダンを夢見た高度成長期へのノスタルジーとこれから到来するだろう破局的イメージが交錯し、人々の歩行で振動する歩道橋の揺れも相まって、目眩を起こしかねました。
こうした散策を繰り返し行うことで、この大都市の全貌が垣間見えてきました。今あちこちで改修・補強工事を行っています。震災もあって、これまで以上に広範囲で大規模な工事になっていると思います。皇居の周辺などもよくやっています。しかし、そんなことをしてみても「糠に釘」、もっと言えば「畑に蛤」という印象は拭えません。 改修を重ねる一方で、地層はずれて、陥没し、歪みが走っている建物などざらにありますから。
もちろん東横線渋谷駅も例外ではありません。先述したように高架駅として独特の風貌を備えた東横線渋谷駅は、2012年、つまり来年には地下に移ります。地下鉄副都心線と接続されるということです。副都心に行くには便利ですが、銀座線への乗り換えは非常に不便になります。元の場所には埼京線だか、新宿湘南ラインだかのホームができるようです。
高架線でも興味深い光景が見られました。地下化の工事を進める一方で、高架線のまわりにカバーが被膜され、改修、地震補強の対策工事も同時に行われているようなのです。確かに直下型の大地震がきたら持ちそうにない。そんな高架線の下には寒々しい公園が設けられていることがたびたびあり、子供達がジャングルジムや滑り台、ブランコで遊んだりしている。
そうかとおもうと、高架線の脇には解体されたビルの空き地が虫に喰われたように点在していて、そのほとんどが高い柵で囲われ、錠がかけられ、誰も入ることはできない。あるいは、高層ビルの谷間に芝生が植えられた公園があったりするのですが、周囲には通行止めのフェンスが立てかけられ、人々の自由な歩行を遮り、意味不明の禁止事項が書かれた標識などが貼られている。管理・監視された息苦しい場所での休息を余儀なくされているのです。しかし、そうした柵や通行止めフェンス、禁止事項の標識は、この都市が巨大災害にあったとき、被害を拡大する障碍物になることは間違いありません。
マグニチュード9という地震は想像を絶する巨大なものでした。あの大地震によって、日本と地球を繋ぎ止めていた「杭」の多くが抜かれてしまった。もはやこの国は名実ともにグラグラです。一人ひとりの精神にも、社会にも、環境にも、無数の亀裂が走り、至る所、底深い裂け目が口を開けてしまっています。人々は足を掬われ、滑り落ちないことに必死で、素早く通り過ぎようとしている。
けれども、ぼくは人々の対処の仕方には疑問を感じてもいます。というのも、3・11以前の世界に戻ろうとすること、もっと言えば、あの巨大津波はおろか、原発事故ですら忘れ去ろうとすることと表裏一体のふるまいのようにも見えるからです。自分には被害が及ぶはずはないと過信しているのだとしたら、それは単なる錯覚にすぎません。その判断こそ、既に心に穿たれた暗い孔に陥った者の判断というほかありません。誤った見込みがどれだけ人の命をのみこんでしまったかは、君の方がもちろんよく知っているはずです。
ビルの谷間の公園。公園出入口に通行止めのフェンスが立てられ「通りぬけできません」。こうした光景は管理・監視都市トーキョーの原風景になりつつある。
目を閉ざし、耳を塞ぎ、息を殺して、沈黙し、精神の谷に籠る。この災禍が過ぎ去るのを耐え忍ぶようにして。しかし残念ながらそれは過ぎ去らない。地震がまた起こるからです。原発があるからです。放射性物質の飛散は精神の拠り所さえ容赦なく蝕んでいくのです。
福島第一原発が廃炉になるには30年以上かかるそうです。その30年の間に、同じような大震災がまたどこで起こらないとも限りません。そしてその30年後にはまた別のどこかで…。稼働を止めたところで、常時冷却しなければならない使用済み核燃料は発電所に満載され、移動もできない状態です。
地震も放射能汚染も境界を定めることの困難な不定のものです。そのボーダーはどこにあるのか。誰にもわからないはずです。原発震災のほんとうの恐ろしさはここにあります。なぜならば、そのような不定のものの境界画定は、しばしば政治的な暴力を伴うからです。「30キロ圏内」というのがまさにそれを物語っています。
このような境界画定が、恣意的なものに過ぎなかったことは、今では誰もが理解している。見過ごせないのは、この恣意的な境界画定によって、ぼくらもまた閉じ込められたということです。権力による境界画定によって閉じられたのは「30キロ圏内」だけではなかったのです。先述したような公共空間の通行止めフェンス、柵がしばしばそうであるように、守られているのはぼくらではなく、囲われた空っぽの空き地の方だったというわけです。そんなバカなことあるはずがない! しかし、それが権力による分断の意味するところなのかもしれない。
ぼくらは今、この国に生きる者としての根本的な矛盾に出くわしています。つまり大地を揺さぶり、至るところへ飛散し、身体に侵入し、破滅へと導く不定のものと、強固に張り巡らされてしまった「通行止め」、すなわち自己検閲の下に判断を停止してしまった心との矛盾のことです。どうしてよいのかまったくわかりません。けれど、わからないから考えないことにする、何もしないでは済まされないでしょう。
そんなぼくらの姿を未来の他者がじっと見つめているはずです。今年の終わりにこんな希望のない返信を被災者の君に書くなんてどうかしていますね。しかしこの深い亀裂、無数の暴力によって形づくられた陰惨な谷を丹念に辿り、抜けて行く道を探し出すほかにないとおもいます。散策の真の目的もこのことでした。救いはどこにあるのか。叫びはどこにあるのか。もう後戻りはできないのです。
どうか、風邪などこじらせないように、この冬を共に乗り越えましょう。必ずまた春が来る。そう信じて。
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