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2013-04-24up
この人に聞きたい
山上徹二郎さんに聞いた(その1)
憲法改悪への危機感はあるけれど、
絶望や落胆はない
小泉政権下で行われた自衛隊のイラク派兵をきっかけに始まった改憲への動きは、2度の政権交代を経て、再び政権の座についた安倍内閣により、具体的な政治日程にのぼろうとしています。しかしこの間、私たちの間で憲法をめぐる議論が盛んになったかといえば、そうともいえません。例えば日本国憲法が制定された過程をどれだけの人が知っているでしょうか? 改憲の是非を言う前に、一人でも多くの人に観てもらいたい映画が、『映画 日本国憲法』(2005/ジャン・ユンカーマン監督)です。今回の緊急上映(4/27~5/24)に際して、この映画のプロデューサーであり企画も手がけた、製作会社シグロ代表の山上徹二郞さんにお話を伺いました。聞き手は、宇都宮大学国際学部准教授の、田口卓臣さんに務めていただきました。
山上徹二郎(やまがみ・てつじろう)
1954年熊本県生まれ。映画プロデューサー・株式会社シグロ代表。『老人と海』『エドワード・サイード OUT OF PLACE』『毎日がアルツハイマー』など60作品以上のドキュメンタリー映画を製作し世界中で数々の映画賞を受賞。また『絵の中のぼくの村』『ぐるりのこと。』『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』などの劇映画を20作品以上製作。アジアを中心とした海外映画の日本での配給も手がける。 →シグロ公式 ホームページ
田口卓臣(たぐち・たくみ)
1973年、横浜生まれ。フランス文学・思想研究。現在、宇都宮大学国際学部准教授。著書に『ディドロ 限界の思考』(単著、風間書房、第27回渋沢・クローデル賞特別賞)、『フランス文化事典』(共著、丸善ライブラリー)。訳書にディドロ『運命論者ジャックとその主人』(王寺賢太との共訳、白水社)、ビリー・クルーヴァー『ビリーのグッド・アドヴァイス』(アセテート)。2013年1月より『思想』で論文連載中。
田口さんは、シグロ製作の映画『原発切抜帖』の大ファンで、大学の授業の題材としても使っているそうですね。今期は日本国憲法を取り上げた授業も予定しているそうで、『映画 日本国憲法』の作中に登場する方たちの著書などをたくさんお持ちいただいているんですが…。
僕は自分の記憶が信用できないので、こういう場に来る時は本や資料をそばに置いていないと、不安になるんです(笑)。
それは大事なことですね。でも僕は記憶力もよくないし、自分の「記憶」をあまり信用していない。自分のことを語る時は、ある程度物語を作って喋っているところがあると思います。
ほんとですか? 意外に感じます。
人はみんなそうですよ。自分のこととか過去のことを語る時に、だいたい物語を作って話してると思います。自然にそうしているんですよ。
山上さんは、「これは物語だよ」ということを、相手に伝わるように話されますか? それとも相手をフィクションの中に連れ込みながら、話されますか?
そのどちらでもないと思います。基本的に「映画」というのは「物語」です。劇映画とドキュメンタリーの違いって、実はそんなにないんです。最初にシナリオありきが劇映画。で、ドキュメンタリーの場合は、最後に構成や編集をしていく作業が、シナリオを書くのに近い作業なんです。
『映画 日本国憲法』もそうでしょうか?
そうです。最初、映像素材を撮って集めてきて、最後にどんな構成にするか方針を決めて編集をする。
撮影の段階で話を聞いてみたけれども、編集の段階で登場させないことにしたという方はいますか?
そういうことは常にあります。しかしこの映画に限っていうと、撮影させてもらった人たちはほとんど使っています。そういう意味では、少し例外的かもしれません。誰にインタビューするかというのは、監督と相談しながら決めていったんですが、この映画の企画自体は僕が考えました。その際「日本国憲法」をテーマにするに当たって、国内だけではなく、海外の人々に取材を広げたいと思っていました。むしろ世界から日本の憲法がどのように見えているか、という視点が必要だと思ったのです。そこで監督は米国生まれで英語がネイティヴのジャン・ユンカーマンさんに頼みました。
シグロは、今年で27年目になりますが、これまで製作してきたドキュメンタリー作品は、僕の企画によるものが多いですね。撮影が始まったら、後は監督には任せますが、企画の立案から具体的な製作に踏み出すまでは、かなり時間をかけます。というのも、途中で製作を中断したくないですからね。幸いこれまで一度も途中で製作を中止したことはありません。劇映画とドキュメンタリーの両方を作ってきたのですが、劇映画とドキュメンタリーとでは、製作費も一桁違う。だから劇映画の場合は、資金的な問題での中断という可能性がよくありますが、ドキュメンタリーは、資金的なことで中断するというのは、僕にとってあまり考えにくいことです。
でも、内容的なことで中断しなければいけなくなるというのは、一般の周りの人たちも巻き込んでしまうし、すごく嫌なことなので、映画製作を言い出すまでは、けっこう神経を使っています。でも一度、「やろう!」と言ったら、あとはもう、作るのみです。
企画まではかなりじっくり練るということですね。
そうですね。かなり考えますね。僕自身、人間に興味があるので、まず被写体になってくれる人、誰を撮影するかということをすごく考えるし、同じ意味でスタッフについても熟考します。そして一緒に組む監督を決めたら、ほとんど作品の骨格が決まったようなものでしょう。
山上さんは『映画 日本国憲法』の「プロデューサーのことば」として、こんな趣旨のことを書かれています。「9.11の後、アメリカに追随して早々に自衛隊の海外派兵に踏み切った日本政府のやり方に、強い怒りと脱力感を感じていた。そうした中で、今私に何ができるのか、という問いから始めた」と。この文章を読んだ時、僕自身が当時感じていた脱力感をまざまざと思い出しました。自衛隊のイラク派兵開始は2003年末のことで、『映画 日本国憲法』の最初の公開は2005年です。となると、作品の企画は一気に決められた、と理解してよろしいのでしょうか?
これは即断でしたね。きっかけは、2001年に起こった9.11です。2002年に『チョムスキー9.11』を製作し、その続編という位置づけで作りました。『チョムスキー9.11』を作ろうと決めた時にすでに、憲法のことは頭にあったんです。
同時多発テロ自体にもとても驚きましたが、それ以上に、アメリカが反撃として何の根拠もなくアフガニスタンをすぐに爆撃したというのは、ものすごくショックでした。国際社会の“たがが外れた”と。100年のスパンで世界が変容してしまうだろう、と背筋がゾッとしました。アラブ世界、イスラム世界に対して、完全に対立概念を作ってしまった。それはもう何というか、憎悪の連鎖、一番手をつけてはいけないところに手をつけてしまった、という感じがしました。
僕は、アフガニスタンについては、土本典昭監督と一緒に、『よみがえれカレ—ズ』という作品を1980年代に撮っていますから、アフガニスタンにも行きましたし、あの唐突な爆撃の下で暮らしていた人たちの顔が浮かぶんですよ。だから本当にすごく動揺しました。
9.11が起こるだいぶ前に、フランスの語学学校に短期留学をしたのですが、僕が通っていたクラスには、シリア人のお医者さんたちがいました。彼らは僕が日本人であるというだけで、親しげに話しかけてきて、食事に招待してくれたり、ダンスに行こうと誘ってくれたりしました。そのクラスにはイスラエル人もひとりいたのですが、彼とシリア人たちとの間にはまったく会話がなくて、世界の縮図を見せつけられた気分でした。あの時は、今のシリアで起きているような事態は(*)、想像もできませんでした。
(*)2011年のチュニジアでおこったジャスミン革命の影響によって、シリアで起こっているシリア史上未曾有の騒乱。「シリア内戦」とも呼ばれている。アラブ世界各地でおきた「アラブの春」の一つ。シリア人権監視団によると、2013年3月には、6005人の犠牲者を記録。多数の人権侵害は、政権側でも反体制側でも両方で行われているとされる。
100年という長い時間の流れで考えなければ、出口は見えてこないでしょうね。おそらく今の中東で起こっている問題がどのように動くかは、イスラエル次第でしょう。そしてイスラエルの問題というのは、アメリカの問題でもあります。テロはこれからも起こり続けるでしょう。簡単にはおさまりがつかないと思います。
フランス文学を勉強している身として、気になることがあります。フランスでは昨年の春、大統領選挙がありました。フランス国民は、サルコジが進めた新自由主義政策についてもう一度考え直してみようということで、社会党のオランドを選んだわけです。ところが今年に入ってから、そのオランドがマリに軍事介入しています。フランス国内の格差を問題視しながら、かつての植民地では殺傷行為も辞さないというところに(*)、フランスにおける植民地主義の病根の深さを感じました。9.11以降のフランスは、アフガニスタンやイラクへの軍事攻撃に突っ走るアメリカに対して、冷静な態度を取るように呼びかけていただけに、なおさらその思いを深めました。山上さんがおっしゃるような100年というスパンで考えると、たしかに混沌とした時代の流れがますます強くなっていくのかもしれません。
(*)フランスは2013年1月にマリ政府の要請を受けて、マリ北部のイスラム反政府勢力の掃討のため、空爆を行うなど軍事介入に踏み切った。
憲法を必要としているのは、虐げられている人。決して権力者ではない
日本の憲法改正への動きについても、9.11に端を発した流れの中のひとつととらえてらっしゃいますか?
憲法改正の具体的な動きは、小泉政権の誕生が発端だったと思いますね。小泉さんが首相になって登場して来た時、ああ、これはやるなって思いました。当時から危機感は強くありました。
憲法に関しての僕の考えを言うと「憲法9条を第一に守る」というような立場とはちょっと違って、日本国憲法そのものを守るべきだという立場です。1945年にできた憲法ですから、当然僕たちの暮らしが変化や進化、文明化していく中で、憲法では決めきれないことが出てくるというのは、当たり前なんですね。でもこの憲法の持っている理念の中身は、それまであったヨーロッパやアメリカの独立宣言も含めて、憲法や憲章を綜合して、最善のものを汲み上げて作られたものというのは事実なのです。
憲法の制定について書かれた資料や文献を読むと明らかですし、『映画 日本国憲法』でもそれについて、詳しく述べられています。
憲法は理念であり規範ですから、自分たちの暮らしや社会が憲法に照らして、どのぐらい離れているのか、を計る基準でありいつも自分たちが立ち返るべき地点として在ればいいのです。私たちの社会や生活に合わせて変えていくのは、法律で充分であって、憲法に手を付けるのは、まだ時期尚早だと思います。
ただ一点これはまずいと思うのは、映画にも登場する社会学者の日高六郎さんが言及していますが、個人の尊厳を保障している13条の主語は、原案ではall natural persons(一切自然人は)であったのを、「人民」から「国民」に意訳しさらに制憲議会では新しく10条を追加して「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」としました。日本の官僚が翻訳の時点で明らかに意味のすり替えをしたわけです。それによって在日の人たちをはじめ、日本で暮らす日本国籍を有していない人たちにとって、大きな不利益が出ることになった。
今の憲法にも問題点はあると思いますよ。でもそういうものをちゃんと認識しておけば、その後の法律改正の中で変えていけばいい。権利保障をしていけばいい。いきなり、憲法を変えないといけない、ということではないですよ。
ただ、これほど多くの政治家たちが声高に「改憲を唱えているということの現実的な影響は、軽視できないのではないでしょうか。それに新大久保などでは、在日コリアンに対するヘイトスピーチが横行していて、この国に蓄積してきた膿が、あちこちでわき出しているように見えます。憲法の文言そのものは変わらなかったとしても、規範としての憲法の役割や価値が踏みにじられているのではないか。日本国憲法がうたっているのは、「自国のことではなく、他国の幸福まで真剣に考えよう」という精神であり、「誰もが恐怖や欠乏に怯えずに、安心して平和に生きる権利を持つんだ」という精神ですね。僕はこの精神がどんどん後退を強いられていると思うのですが、山上さんはいかがですか?
僕は基本的に人間は進化するものだと信じているので…新大久保の事件なども含めてね、そういうことが明らかになってきているという意味では、やっぱりいつかは起こることが明るみに出たと。他人に不寛容であったり、他人を侮蔑したり貶めたり…そういうものと常に僕たちは、関係しながら生きてきていて、時には、あまり賢くない判断もするけれど、でも最終的には、人間は生き延びていくものだと思うんです。ひとつひとつの事件について考えてみると、気持ちが落ち込むこともあるし、辛くなることもある。しかしそういう事件が起こって、はっきり人の目に触れるということは、いいことでもある。と言ってしまうと多少語弊があるかもしれないけど、でも必要なことです。いろいろなことが押さえこまれていく一方だとしたら、もっと大きな爆発になって出てきます。
憲法の問題はそれとはちょっと違う。日頃、僕たちが生きていく上で、憲法を意識する必要はありません。でも憲法を必要とする人がいつも必ずいるわけです。それは権力の側ではない。虐げられる側、被差別の側、そういった少数の側の人たちが必要とするのが、憲法なんです。社会の不公平感が増し、少数者への抑圧が強くなっているような時、憲法の条文を読むことで、勇気づけられる人たちがいるのです。言葉の力はすごいですからね。そういう状況になった時に、いつも立ち戻り励まされるものが憲法であって、常日頃から僕たちがそれを意識したり、理念に沿って行動しているか、といったらそういうものではないんです。
ジャン・ユンカーマンさんも、作品に寄せた「監督のことば」のなかで、「平和憲法とは、空気のようなもの」とおっしゃっていますね。逆に言えば、ひとは「空気があるからまともに呼吸できるわけで、その空気が薄くなったり汚れたりすれば、みんな息苦しくなるし、病気にもなるかもしれません。僕には自然に「呼吸」するために必要不可欠な「空気」としての平和憲法が、とても軽んじられているように見えるのですが…。
本当にこの憲法を必要と思う人がいる、ということが大事なのであって…。
憲法を守らなくてはならないのは、国家の側、権力の側です。権力が暴走しないためにあるものなので、我々を規制するものではないのです。だから国は一生懸命変えたいと思う。自分たちを縛るこの憲法が邪魔なんです。
日本国憲法が、これ以上にないほど素晴らしいものだとは思いませんよ。これから先、もっといい憲法ができてくるかもしれない、英知が集まればそうなる可能性もあるでしょう。でも2013年の現在で見れば、我々が下手に触らない方がいい、触って良くなる保障はありません。これは個人的な意思の問題ではなくて、もっと普遍的なこととしてそう思います。これからまだいろんなことが起こるでしょう。紛争や戦争もあるかもしれない。その中でもっと大きな反省をもって、日本国憲法をこえる新しい何かができるかもしれない。
アメリカが日本に「改憲」を強要してくるというケースは考えられないのでしょうか?
それはできないでしょう。起草した人はそういうことも見越して、国会の衆参2/3以上の賛成がないと、発議ができないようにしたんです。改正する手続きのところで、すごく高いハードルをもうけた。
いわゆる「硬性憲法」ですね。ただ、その手続きのルールを規定した96条が、いままさに国会でやり玉にあがっています。2/3ではなくて、過半数の賛成で発議できるようにしよう、と。この96条が変えられてしまうと、過半数を持つ政権与党なら、いつでも発議できるということになります。
短いスパンで言えば、憲法改悪はありうるでしょうね。でも一度変えることができるのなら、またそれを変えることもできるんだからね。そうなったら、それはしょうがない。僕たちが、この時代の人間が判断していくことだから。だけど、変えられたということは、逆にまた変えることもできるという希望もあるわけですからね。
政権の批判をしない新聞・テレビへの危機感
この時期に『映画 日本国憲法』の緊急上映を決められた理由を教えていただけますか?
それはもちろん危機感があるからです。安倍首相の言動も心配ですが、僕が考える今の最大の問題は、自民党に政権がもどってから、不思議なぐらい日本中のマスコミが自民党を叩かないでしょう? これは今までになかったことです。いったいどういったバイアスがかかっているのか…。マスコミが完全に役割を見失っていて、本当にこれは驚くべきことです。唯一はっきりものを言っているのはラジオです。ラジオはメディアとしてある種の機能を発揮していると思うけれど、テレビと新聞、週刊誌までふくめて、危機的な状況にあると思います。例えば沖縄の新聞が一面トップで伝えているような、日米問題において極めて重要な政治的、社会的なことを、ほとんど中央紙はとりあげていません。朝日、読売、毎日と新聞社が違うにも関わらずほとんど同じ論調になっていて、“大本営発表”とあまり変わらないのでは、と思います。そこへの危機感は相当ありますね。
『映画 日本国憲法』の最初の上映から8年が経ち、政権交代もありましたが、安倍政権もまたもどってきて、今、ものすごく落胆されてらっしゃるのかと思ったのですが…。
実は、そんなに落胆も悲観もしていないです。
長いスパンで見たら、憲法が一度変えられてもまた変えたらいい。そして私たち人間はそうした力を持っている、と信じているということですね。
それを信じないと生きていけませんからね。
それとやっぱり、別のところでもお話したことですが、あんなにひどい原発事故が起こった福島の問題だって、みんなだんだんと忘れていくでしょう。「忘れるな」といっても無理で、人間は残念ながら忘れるんです。いつまでも忘れられない、というのは「PTSD」かもしれない。そうなると明日を切り開いていくのも辛いですよ。忘れることも認めてあげないといけないと思うのです。
ただ、「人は忘れるものだ」ということを語っていかないといけないし、大切なことはまた「忘れるな、忘れるな」って言い続けなければいけないし、「忘れたらこうなるよ」ということも言っていかないといけない。だから自分たちが努力をしていかなければならないことですね。
忘れること自体が悪いことではないし…無理ですよ、忘れますよ。忘れていかなければ、生きていく力が湧いてこないですよ。ずっとひとつのことを引きずっていたら。
『映画 日本国憲法』では、歴史家のジョン・ダワーが冒頭に登場していますが、山上さんのお話をうかがっていて腑に落ちた感じがします。ダワーの主著である『敗北を抱きしめて』(岩波書店)は、敗戦後の日本の民衆が、多くの矛盾を抱えながらもたくましく生き延びようとしたことを、生き生きと描き出していますよね。
ところで、山上さんが製作に関わられたフィルモグラフィーを拝見すると、水俣病の記録映画を撮り続けた土本典昭監督のドキュメンタリーがいくつも含まれています。土本監督の作品には、いわゆる被害当事者の怒りばかりではなく、強さも弱さもまるごと含めて、「人間とは何なのか という問いを突き付けてくるショットがたくさん挿入されています。もしかしたらプロデューサーとしての山上さんの姿勢が、土本作品と深いところで共鳴しあっているのではないかと思ったのですが…。
そうですね。そうだと思います。
土本監督の作品『水俣病=その30年=』で、僕には忘れられないシーンがあるんです。胎児のときから有機水銀に侵された18歳の女の子が、お母さんの背中におぶわれたまま、マニキュアでお洒落した手を差し出すショットがありましたね。とても短いけれど、目を洗われるような映像でした。土本作品は、どんな短篇であっても、被写体自身の魅力を伝えてくれる映像が登場します。ただ怒りや悲しみをぶちまけるのではない、もっと別の目線を感じるんです。
そういえば『原発切抜帖』も、新聞の切り抜きをつくる手の映像の背後から、子どもたちの笑い声が聞こえてくるというシーンで終わっていました。姿は見えないけれども、いろんな世代の子どもたちが、公園かどこかで遊んでいるんだろうなあ、ということがよく分かる素晴らしい締めくくりでした。作品そのものは、「原発」というハードな問題を真正面から扱っているのに、このラストの場面に来て、懐かしいというか、決して絶望だけでは終わらないというか、そんな気持ちにさせられるんです。
その直前で語られていたパラオのシーンも、とても印象的でした。パラオは戦前、日本の委任統治領だった太平洋の島ですね。太平洋は戦後も原水爆の一大実験場でしたし、日本もそこに原発から出た核のゴミを投棄してきた。そんな南の島で住民投票が行われて、アメリカによる核兵器の持ち込みにノーを突きつける「非核憲法(*)が可決されるわけです。映画のナレーションでも語られていましたが、この小さな島の人々が、民主主義の原点ともいうべき住民投票を通して、かつての支配者である日本人に厳しい問いを投げかけているように感じました。お前たちは原爆投下されて、戦争の永遠放棄まで誓ったというのに、いったいどうなっちゃってるんだ、と。これは土本監督だけではなくて、やはり山上さんの存在があったからこそ、ああいうメッセージが生まれたのではないかと思いました。
(*)パラオ自治政府は、1997年にアメリカによる核兵器の持ち込みを禁止した「非核憲法」を住民投票で可決したが、その後非核条項をめぐって、数度の住民投票が行われる。結果、アメリカとの自由連合協定が締結され、憲法の非核条項は凍結。その後、1994年パラオは共和国として独立。
(構成・写真/塚田壽子)
様々な視点から憲法を考えることができる『映画 日本国憲法』は、
まだの人はもちろん一度観た方にもまた、見返してもらいたい映画です。
【お知らせ】
●5月3日「子どもも大人も親子で〈憲法の話をしよう。〉」関連企画
●2005年に行った『映画 日本国憲法』応援コンテンツはこちらから読めます。
(監督インタビューやリレートークの模様などを収録しています)
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