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2013-02-13up
この人に聞きたい
齊藤潤一さんに聞いた
司法は私たちとの「約束」を破っていないか
1961年、三重県名張市の小さな集落で起きた「名張毒ぶどう酒事件」。懇親会でふるまわれたぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡し、警察は当時35歳だった奥西勝さんを逮捕しました。奥西さんは、警察の執拗な取り調べで「ぶどう酒に農薬を入れた」と"自白"しましたが、裁判では一貫して無罪を訴えています。しかし、その声は裁判官に通じず、72年の最高裁で死刑が確定。2012年には名古屋高裁で、一旦は認められた再審開始決定が取り消されました。まもなく公開される映画『約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~』は、現在87歳となった奥西さんの半生を描きながら、刑事司法のあり方に疑問を投げかけるドラマ仕立ての作品です。監督は東海テレビディレクターで、『死刑弁護人』『平成ジレンマ』などの映画作品もある齊藤潤一さん。今回の『約束』を撮った背景と、日本の司法に対する思いをうかがいました。
さいとう・じゅんいち
1967年生まれ。関西大学社会学部卒業、92年東海テレビ入社。営業部を経て報道部記者。愛知県警キャップなどを経てニュースデスク、現在ニュース編集長。2005年よりドキュメンタリー制作。これまでの発表作品は「重い扉~名張毒ぶどう酒事件の45年~」(06・ギャラクシー優秀賞)、「裁判長のお弁当」(08・ギャラクシー大賞)、「黒と白~自白・名張毒ぶどう酒事件の闇~」(08・日本民間放送連盟賞優秀賞)、「光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~」(08・日本民間放送連盟賞最優秀賞)、「検事のふろしき」(09・ギャラクシー奨励賞)、「罪と罰~娘を奪われた母 弟を失った兄 息子を殺された父~」(10・ギャラクシー奨励賞)、「毒とひまわり~名張毒ぶどう酒事件の半世紀~」(10・ギャラクシー奨励賞)。劇場公開作品として『平成ジレンマ』(11・モントリオール国際映画祭出品)、『死刑弁護人』(12・日本民間放送連盟賞最優秀賞)がある。
「直感」で決めたキャスティング
――『約束』を撮られた経緯をお聞かせください。
名張毒ぶどう酒事件をテーマにした私の作品は、今回で4作目になります(注)。ここまで続けてこられたのは、取材を重ねるなかで「えん罪に違いない」と確信を持ったから。そして真実を追求するはずの裁判所が、必ずしもそうでないことを"知ってしまった"からでした。作品中にもありますが、先輩裁判官の下した判決を後輩裁判官が覆すと左遷されたり、それを恐れた裁判官が再審請求を却下したりする事態が起きています。一方で、検察側の主張を支持した裁判官は栄転している。そうした理不尽な司法の体質を知るほどに、毒ぶどう酒事件の裁判を追わなくてはならないという思いが強くなりました。
注:これまでの作品は「重い扉~名張毒ぶどう酒事件の45年~」(2006)、「黒と白~自白・名張毒ぶどう 酒事件の闇~」(2008)、「毒とひまわり~名張毒ぶどう酒事件の半世紀~」(2010)。いずれも東海テレビにて放映。
――齊藤監督は、ずっとドキュメンタリーを撮られてきましたが、『約束』をドラマ作品にしたのはなぜでしょうか?
毒ぶどう酒事件のドキュメンタリーを3作撮り終えたとき、限界を感じたのです。制作者としては、やはり主人公を描きたい。しかし、死刑囚として名古屋拘置所にいる奥西さんは、面会も手紙のやりとりも、弁護士か近い肉親、そして唯一認められた支援者に限られています。3作目までは、弁護士や肉親にあてた手紙を借りて、文面を映像に撮ったり、ナレーションで読んだりして、奥西さんのつらい心境を伝えていました。あるいは、面会した弁護士や支援者にインタビューし、最近の様子や話した内容を教えてもらう。拘置所の建物の「あの辺にいるだろう」というところを外から撮る。そうした手法で制作していたのですが、やはり主人公の気持ちを表しきれません。だから、『約束』はドラマにしたのです。
――キャストはどのように決めたのでしょう? 奥西さん役に仲代達矢さん、その母親役に樹木希林さんと、かなり豪華な顔ぶれですよね。
仲代達矢さんも樹木希林さんも、普通なら地方局のドラマに出るクラスの役者ではありません。仲代さんは、前作『毒とひまわり~名張毒ぶどう酒事件の半世紀~』でナレーションをしていただきましたが、ドラマの主演をお願いするときは、私もダメ元でした。でも、「脚本を見て決めるけれど、考えてみる」と言って下さって、最終的には受けてもらえました。
樹木さんは、2011年のモントリオール映画祭でお会いしたことがありました。私は、戸塚ヨットスクールの戸塚宏さんを追ったドキュメンタリー『平成ジレンマ』で招待されていて、樹木さんは『わが母の記』でいらしていました。異国の地であまり日本人がいなかったこともあって一緒に写真を撮り、「今度、ナレーションをお願いします。樹木さんにピッタリな作品の時にご連絡しますからね」と言って別れていました。
それから半年後に、奥西さんのお母さん役で出演して欲しいとオファーしました。最初は、なかなか首を縦にふってくれませんでしたが、毒ぶどう酒事件を説明するうちに、「わかった、何かの縁だからやりましょう」と。名張の現場や奥西さんの妹さんのいる奈良まで来て下さって、仕事というよりは奥西さんを助けたい思いが強かったようです。樹木さんは撮影中、「仲代さんは黒澤映画で主演を張った役者。私は東映の食堂のおばちゃんに『日本の宝』って言われたのよ」とおっしゃっていましたが、日本を代表する2人の役者を動かしたわけで、それだけ重みのある事件なのだと思います。
――若い頃の奥西さんを、山本太郎さんが演じていますね。
山本さんは『死刑弁護人』のナレーションをお願いした縁がありました。仲代さん、樹木さんもそうでしたが、山本さんも「この役ができるのはこの人しかいない!」と直感的なものを感じました。山本さんは、原発に反対して仕事が減ったと言われた時期ですが、話題作りとは関係なく、純粋に役者としてお願いしました。
(C)東海テレビ放送
司法は、真実の追求を約束しているはずだけど…
――ドラマ作品は、ドキュメンタリーに比べるとわかりやすさが増しますね。
事件を知らない人でもスッと入れるわかりやすさは、ドラマの利点の1つだと思います。一方で、わかりやすいだけでは、チープな内容になってしまう。そのさじ加減は難しいところでした。全編通してわかりやすいということは、見ている人が受け身になるんですね。制作者としては、作品を見て「どういうことだろう?」と考えて欲しいところもあるので、せりふの言い回しやナレーションの書き方は、あえて説明しきらないように工夫しました。
――『約束』というタイトルも、ちょっと「なんだろう?」と思います。
奥西さんとお母さんの約束、支援者との約束、そして我々と司法の約束。さまざまな意味を込めたタイトルです。司法は、真実を追求する約束をしているはずですが、それが破られているんじゃないかということも含めて、見た方が自由に考え、感じてもらえたらと思います。
――拘置所の面会室で、奥西さんと支援者がアクリル板越しに「次は外で握手しましょうね」という場面は、実話なんですか?
そうです。進行中の裁判のことですから、ドラマとはいえ事実を曲げるわけにはいきません。脚本は、膨大な裁判資料と支援者の面会ノート、そしてお母さんの手紙を元にして作りました。もちろん、死刑囚の生活は知り得ませんから、想像で書いたり、えん罪被害者の免田栄さんに取材して教えてもらったりもしました。あと、名古屋拘置所といえば戸塚宏さんが長いこと入っていましたから、彼にアドバイスをもらったこともありましたね。
(C)東海テレビ放送
「日の当たらない」部分をクローズアップしたい
――戸塚さんも、『死刑弁護人』の安田好弘弁護士も、世間では風当たりが強いですよね。そうした方々の作品を撮るのは、どんな意図があるのでしょうか?
多くの人が取材して日の当たっているところより、そうではないところをクローズアップしたい。それは、制作者としてのポリシーです。あまり知られていないことを伝えて、「えー!」と思って欲しいといいますか。毒ぶどう酒事件は、名古屋は地元なのである程度知られていますが、東京ではほとんどの方がご存じありません。"ぶどう酒"という言葉のインパクトで「聞いたことあるような…」という人がたまにいるくらいです。光市の母子殺害事件(注)のときも、世間では安田弁護士を"悪魔の弁護士"などと言っていましたが、実際にどんな人なのかは取材してみないとわかりません。戸塚宏さんも同じです。そうしたグレーな部分に飛び込んでみたい思いもありました。
注:1999年、山口県の光市で発生した殺人事件。容疑者として逮捕された事件。当時18歳の少年に対し、山口地裁はいったん無期懲役の判決を下したが、検察の上告により審理差し戻しとなり、2008年に差し戻し審で死刑判決が出された(2012年に弁護側上告棄却で死刑確定)。被害者遺族の「極刑を求める」発言などが繰り返しメディアで取り上げられたこともあって大きな注目を集め、差し戻し審から弁護を担当した安田好弘弁護士ら弁護団に対する激しいバッシングが巻き起こった。
――テレビドキュメンタリーの「光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~」は、安田弁護士ら差し戻し審弁護団へのバッシングが激しかった頃(08年)の作品ですよね。番組を作ること自体がバッシングされる可能性もあるなか、それでも撮りたかったのはなぜですか?
東海テレビとしては、あまり触れたくないテーマだったでしょうね。テレビや週刊誌では"鬼畜弁護団"と言われている人たちを、ある意味で擁護する内容です。視聴者の反響を考えると慎重になりますし、そもそも公共の電波を使うテレビ局は公正中立が大原則です。基本的に、偏った情報を伝えるわけにはいきません。でも、東海テレビには、もともとそういう気質があるんですね。局の中でもかなり賛否がありましたが、最終的にはOKが出ました。
――とはいえあの番組は、特定の主張に肩入れするのではなく、弁護士が法廷で主張していることをそのまま伝えているだけですよね。だけど情報が偏っていると言われてしまうなんて…。
それは報道の影響が大きいでしょうね。確かに、被害者の本村洋さんは大変な経験をされていて、味方をしたくなります。でも冷静に考えれば、弁護団は被告人の主張を代弁しているだけで、それ自体は普通のことなんですよね。でも、マスコミの世論形成によって「悪いこと」にされてしまう。そうした風潮に抵抗したかった気持ちもあります。
一方、毒ぶどう酒事件については、今の段階ではえん罪と決まったわけではありません。それを私ははっきり「えん罪である」として作品を撮っています。私自身、非常に覚悟や度胸がいる作品ですが、局も相当、覚悟しているのだと思います。事件が起きた1961年は、東海テレビが開局した3年後。毒ぶどう酒事件は地元で起きた事件ということもあって、私の前も先輩がずっと追っていました。長い取材に基づいて「えん罪の可能性が高い」という東海テレビとしての主張、そして覚悟があるのです。
――司法をテーマにした作品が多いのは、なにかわけがあるのでしょうか?
実はたまたまなんですよ。私には「今の司法はけしからん!」と大声を上げる正義感はないですし、「司法はこうあるべき」という知識もありません。でも、毒ぶどう酒事件の取材を通じて「ちょっと裁判所っておかしいんじゃないの?」と疑問がわいたから「裁判長のお弁当」という番組を撮りました。その次は「検事ってどんな人?」と思って、「検事のふろしき」を撮りました。次は弁護士だ、というときに、光市事件の取材を通じて安田弁護士にたどり着きました。特別、司法にこだわっているというよりは、1つ作ると次のテーマが見つかって、結果的に司法に関する作品が多くなっています。みんなが疑問に思うようなことを、「私が代わりに調べてきましたよ」というスタンスなのです。
(C)東海テレビ放送
何度裏切られても、信じるしかない
――みんな、司法は正義に基づいて真実を明らかにしてくれると信じているわけですよね。それが、ここまで「裏切られている」とは…作品を見て改めて驚きます。
何度、司法の裏切りがあっても信じるしかない。それが今の奥西さんの置かれた状況です。死刑判決の取り消しは、裁判所にしかできません。昨年、名古屋高裁で2度目の再審決定取り消しが言い渡されたとき(注)、私は最初のうちこそ怒りがわいていましたが、一方で「やっぱりな」とも思いました。これまで何度となく裏切られていますから。でも本当は、ハッピーエンドの映画にしたかったんですよ。だから、脚本の最後の1ページは白紙にして、再審請求の結果を待っていました。それが、あのエンディングになったわけです。
注:2002年に出された第七次の再審請求は、2005年4月に名古屋高裁で再審開始決定→2006年12月に名古屋高裁で再審開始決定取り消し→2010年4月に最高裁で名古屋高裁決定破棄・審理差し戻し→2012年5月に名古屋高裁で再審開始取り消し決定(弁護側は最高裁に特別抗告)という経緯をたどった。
―― 1人でも多くの人に見てもらいたいエンディングです。そうした意味では、テレビ番組でなく映画にした利点は大きいですね。
東海テレビの放送圏は東海3県(愛知、三重、岐阜)で、他地域ではなかなか見られません。でも劇場公開にしたことで、全国で見てもらえる可能性ができました。35歳で逮捕された奥西さんは、獄中で年をかさね現在は87歳です。なぜ彼がそうした状況にあるのか。ぜひ劇場に足を運んでなにかを感じていただければと思います。
(構成/越膳綾子 写真/塚田壽子)
公式サイト http://www.yakusoku-nabari.jp
(C)東海テレビ放送
【公開情報】
東京:2/16(土)より、ユーロスペースにてロードショー
愛知:3/2(土)より、伏見ミリオン座にてロードショー
ほか全国順次公開
【東京:初日舞台挨拶&トーク情報(いずれもユーロスペースにて)】
・2/16(土)13:10の回上映後、
齊藤潤一監督、阿武野勝彦プロデューサーによるトーク
・2/16(土)18:40の回上映前、
仲代達矢、樹木希林(予定)、齊藤潤一監督ほかによる舞台挨拶
ほかイベント多数企画中。公式HPをご確認ください。
【書籍情報】
原作本:東海テレビ取材班『名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の半世紀』(岩波書店刊)2013年2月15日刊行
名張毒ぶどう酒事件については以前、
B級記者どん・わんたろうの「ちょっと吼えてみました」でも取り上げています。
死刑と隣り合わせの、独房での半世紀。
映画の中で、認定された「証拠」のおかしさが明らかにされていく過程には、
司法とは何なのか? と改めて考えずにいられません。
そして、「再審開始決定取り消し」の報を受けた齊籐監督が、
脚本の最後の1ページに書き入れたエンディングとは…。
ぜひ、多くの人に見ていただきたいと思います。
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