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2012-09-12up
この人に聞きたい
稲葉剛さんに聞いた(その1)
現場から見た
「生活保護」バッシングの背景
今年に入ってからも各地で頻発する、餓死・孤立死の事件。一方で、いわゆる「生活保護バッシング」の広がりを受けて、多くの政党が生活保護の切り下げや要件厳格化を打ち出すなど、「最後のセーフティネット」が大きく揺さぶられようとしています。そもそも、生活保護とは何のためにある制度なのか。そして「バッシング」の背景にあるものとは? 生活困窮者への支援活動を続けるNPO「もやい」の稲葉剛さんにお話を伺いました。
いなば・つよし
1969年広島県生まれ。1994年より東京・新宿を中心に路上生活者の支援活動に関わる。2001年、NPO法人自立生活サポートセンター・もやいを設立し、幅広い生活困窮者への相談・支援活動に取り組む。現在、もやい代表理事、住まいの貧困に取り組むネットワーク世話人、埼玉大学非常勤講師。著書に『ハウジングプア』(山吹書店)、共著に『貧困待ったなし!―とっちらかりの10年間』(もやい編、岩波書店)、『わたしたちに必要な33のセーフティーネットのつくりかた』(合同出版)など。
増加する複数世帯の餓死・孤立死
稲葉さんが代表理事を務めるNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」では、これまで10年以上にわたって、生活に困っている人の相談・支援活動を続けてこられました。その経験から、ここ最近の「貧困」をめぐる状況をどうごらんになっていますか。
非常に心配なのは、今年に入ってから、1人暮らしではない複数世帯の餓死・孤立死が増えていることですね。これまでも餓死・孤立死自体はありましたけど、だいたいが単身世帯、それも中高年の男性というパターンが多かった。それが今年は、札幌で40代姉妹が亡くなったのを皮切りに、埼玉で60代のご夫婦と30代の息子さん、3人が死亡しているのが見つかったりと、複数世帯での餓死・孤立死が目立っているんです。
もやいでもここ1年くらいで、複数世帯からの相談が増えています。家族3人でアパートを追い出されて車中生活をしている、夫婦でネットカフェで暮らしている…。ある時期まではなんとか家族で支え合っていたのが、限界に来てしまったというケース。放っておけば家族ごと共倒れしかねない。ある意味、貧困がより深刻な次のステージに来てしまったのではないかという印象を受けています。
そんな中、今年5月には、ある芸能人の家族が生活保護を受給していたとの報道をきっかけに、いわゆる「生活保護バッシング」が一気に広がりました。「もやい」ではこれまで、生活相談に訪れる人に対して「最後のセーフティネット」である生活保護申請のサポートなども積極的に進めてこられたとお聞きしていますが…。
今回の「バッシング」で、私が一番問題だと思っているのは、片山さつきさんなど自民党議員を中心に、「生活保護を受けることを恥だと思わなくなったのが問題だ」といった発言が繰り返されたことです。これは、私たちがずっとなんとか弱めようとしてきた生活保護に関する「スティグマ」、つまり生活保護を利用することを恥である、悪いことだと思ってしまう意識を、逆に強化してしまうものなんですね。
どういうことでしょうか?
テレビ番組などでは、まるで生活保護の不正受給が跋扈しているかのような印象操作も行われていましたけど、実際には不正受給が生活保護予算全体に占める割合はわずか0.4%程度。生活保護制度の運用における最大の問題は、それよりも捕捉率(所得が生活保護基準以下の世帯のうち、実際に生活保護を受給している世帯の割合)の低さなんです。統計では2~3割となっていますから、今受給者が210万人にまで増えたといっても、その背後には少なくとも400万人以上の、「制度を使えるのに使っていない」人たちがいるんですね。
受けられるのに受けていない。つまり、生活保護水準以下の状態で暮らしている人がそれだけいるということですね。それはなぜなんでしょう。
理由の一つは、福祉事務所の窓口に申請に行っても受け付けてもらえないという、いわゆる「水際作戦(※)」。そうしてもう一つが今言った「スティグマ」です。生活相談に乗っていても、みじめだから、恥ずかしいからと「生活保護だけは受けたくない」とおっしゃる方は非常に多い。その人たちに対して、「受給は別に恥でもないし、憲法で認められた生存権の行使なんだから、堂々と使いましょうよ」と呼びかけてきたというのがこれまでの流れだったんですね。今回の「バッシング」はそれに真っ向から逆行する、一種のバックラッシュだと思います。
※水際作戦…福祉事務所が、生活保護予算の増大を抑えるため、生活保護の申請書を渡さない、申請を受け付けないなど、窓口という「水際」で生活保護申請を阻止するという手法。
そうした状況を、現在生活保護を受給している人、受給を考えている人はどう受け止めたのでしょうか。
6月に、私もかかわっている「生活保護問題対策全国会議」などが「生活保護"緊急"相談ダイアル」を開設したんですが、1日で363件の相談があり、うち160件が「不安を感じている」と訴える内容でした。「(自分の生活保護を)打ち切られるんじゃないか」「親族に迷惑をかけるんじゃないか」、あるいは「生活保護受給者を批判するテレビ番組を見て、死にたくなった」という声も多くて。もともと生活保護を受けている人たちの自殺率は一般の2倍なんですが、こうした風潮が続けば、さらに自殺者が増えかねないと思います。
「後ろめたさを感じる」ことで申請をためらう人も出てくるでしょうし、それによって餓死・孤立死に追い込まれるケースが増える可能性もありますね。
「労働」と「福祉」が分離した社会
また、これだけ「バッシング」が急速に広がった背景には、もともと生活保護に対する偏見のようなものが世の中に存在していたこともあったのではないか、と思います。
生活保護の満額受給額が相対的に高すぎる――基礎年金額や、最低賃金でフルタイムで働いた金額よりも高いことがある、だから「生活保護を受けている人はずるい」というイメージは、以前から一般にありましたよね。でも、それはつまり、「ナショナルミニマム(国が国民に保障する生活の最低水準)」の考え方が、きちんと理解されていないということだと思うんです。
憲法25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあって、それに基づいて生活保護制度がある。ということは、生活保護の満額受給額も、健康で文化的な最低限度の生活を営むためには少なくともこのくらいの金額が必要だ、という基準で決められているわけです。つまりそれは、国として定めた「最低生活」の水準なんだから、それ以下で生活する人の数をゼロにする責務が、国にはあるはずなんですよ。
それなのに実際には、生活保護の捕捉率は2~3割で、「最低生活」を割り込んでしまっている人が何百万人といる。その人たちから見れば、最低生活水準である生活保護の満額受給額が、相対的に高く見えてしまうわけですね。本来、問題なのは年金額や最低賃金が低すぎることであって、怒りが向かうべき先は責務を果たしていない国のはずなのに、その怒りをうまく逸らされている、と感じます。
そうした状況を受けて、生活保護基準を引き下げるべきだという議論も出てきています。
しかし、実際に基準を引き下げたとすると、結果として一番困るのは、低年金の人、そしてワーキングプアといわれる人たちです。よく誤解されますが、年金をもらっていたり働いていたりしても、収入が基準以下で資産もないという状況であれば、足りない分だけ生活保護で補うことができます。今はそれでなんとか生活できている人も、基準が下げられれば保護の対象外になってしまう可能性があるんです。
それなのに、「不公平だから」年金額や最低賃金を引き上げよう、ではなくて生活保護基準の引き下げという議論になってしまうのは、やはり「ナショナルミニマム」の考え方が理解されていないからでしょう。最低基準以下で暮らす人をゼロにする責任が国にはあるんだということを、もっと言っていく必要があると感じます。
あともう一つ、生活保護に対する偏見の背景には、戦後日本社会にずっと存在してきた「神話」というか、暗黙の前提みたいなものもあると思いますね。
「神話」ですか?
つまり、バブル崩壊前までの日本は、失業率はわずか2~3%、1回会社に入れば終身雇用で年功序列、給料は右肩上がりという社会だった。その中で社会の共通認識になったのが「選り好みしなければ仕事はあるはずだ」、そしてもう一つ、「一生懸命働けば自分の食い扶持くらいは稼げるはずだ」。この二つの「はずだ」という「神話」がずっと社会に存在してきたんだと思うんです。
しかし、いまや失業率は非常に高くなり、フルタイムで働いても収入は場合によっては生活保護基準以下。社会の構造は大きく変わっているのに、そこに人々の意識がついていっていない。いまだに以前の意識のままで「仕事はあるはずだ」「稼げるはずだ」と自己責任論で語ってしまう人が多い。そこが一つ大きな問題だと思います。
仕事が見つからないのは、あるいは働いても十分な収入が得られないのは甘えているからだという考え方ですね。
その考え方のもと、働ける状態の人は、とにかく労働市場の中で頑張ればいい。一方、福祉というのはその労働市場に入れない人――高齢者とか障害者とか重い病気の人とか、そういう人たちだけのものだ、という感覚が社会の中にずっとあった。労働の世界と福祉の世界が完全に分離していて、その「中間」というのが、まったく想定されないままだったんじゃないかと思うんです。
中間というと…。
例えば、アルバイトはしているけどそれだけでは生活できないから、足りない分を生活保護で補うとか。そういった半就労、半福祉みたいな形が可能だということ自体あまり知られていなくて、生活保護を受けている人イコールまったく働いていない人、みたいな誤解も根強いですよね。
その結果、高齢でもなく重い障害があるわけでもない、身体的精神的には働ける状態にあるんだけど働く場がない、という失業者への目線が非常に厳しいものになった。事実、5~6年前までは、65歳未満のいわゆる「稼働年齢層」の人は、よほど重い病気や障害でもない限り、生活保護がなかなか受けられなかったんですよ。野宿生活をしている人が福祉事務所に相談に行っても、「65歳になれば高齢者という扱いで生活保護を出してあげるから、それまで我慢してなさい」と言われたり。
生活保護などの「福祉」は、重度の障害者とか高齢者とか、「労働」ができない人のためのもの。逆に言えば、少しでも「労働」ができる人は「福祉」を受ける権利がない、と。
私たちは、そうではなくて、働ける状態にある人でも働く場が実際に確保されなければ、それは国の責任であって当然福祉を受ける権利があるという考えで、生活保護の申請を勧めています。でもそれを「なんで働けるのに生活保護を受けてるんだ、あんたたちは福祉の対象じゃないだろう」と見る人も多いんだと思うんですね。
生活保護受給は「徴兵逃れ」?
つまりは「働けるのに働かない」のは甘えだ、ずるい、といった発想ですね。
そして、そういった不平、不満がなぜ生まれてくるんだろう、と考えてみたときに、思い浮かぶのは「徴兵逃れ」という言葉です。
徴兵逃れ?
もし自分が、なかなか仕事が見つからず、でも「働けるから」と言われて生活保護も受けられないという状況に置かれたらどうするだろう。もしかしたら、保護を受けるために自分でわざと病気になろうとするんじゃないだろうか。そう考えたときに、ああ、それって徴兵逃れと一緒だなと思ったんですよ。
徴兵されるのを逃れるために、自分でわざとケガをしたり、病気になるように仕向けたりという…。
作家の金子光晴が、息子に徴兵を逃れさせるために、松葉の煙でいぶして喘息の発作を起こさせた、なんて話がありましたけど、それとまったく同じ構図ですよね。ということは、「働ける人が生活保護を受けるのはけしからん」という人たちの目線は、「あいつらは徴兵逃れをしている、ずるい」という感情に近いのかな、と思うんです。
それは逆に言えば、それだけ労働市場が過酷になっているということでもありますよね。不正規雇用の人は非常に不安定な状況に置かれているし、正社員の人もその地位を守るために、場合によっては過労死寸前のオーバーワークに耐えざるを得ない。労働市場全体がそういう「兵役」のようなものになってしまっていることが、「あいつらは仕事もしないでずるい」という感情につながっているのかな、と。
労働が「つらいもの」という前提があるからこそ、「そこから逃れているのはずるい」ということになるわけですね。
本来、仕事というのは大変なだけじゃなくて、それを通じて自己実現したり、社会とかかわったりつながったりという、喜びとしての側面も強いもののはずなんですよね。それが今の日本社会では、ただつらい、兵役のような劣悪な労働条件が広がってしまっている。
だから、働いている人たちの状況が悪くなればなるほど、福祉を受けている人たちへのバッシングは強まる。両方を同時に改善していかなければ、状況は変わらないんだろうなと感じますね。
(構成・仲藤里美 写真・塚田壽子)
「労働」がつらいもの、という認識が広がれば広がるほど、
それを「逃れて」福祉制度に頼っている人たちへの反感が強まる。
そしてその声が、社会福祉切り捨てへの「追い風」として利用される…。
いまこの国で起こっていることは、まさにそうした図式なのではないでしょうか。
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