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2011-08-03up

〈マガジン9×グリーンピース〉コラボ企画

 2011年3月11日、未曾有の大地震と大津波が東日本東北地方をおそい、そして福島原子力発電所の爆発と崩壊。未だ収束の目処がたたないこれら自然災害と人災の中で、私たち日本人は、放射性物質と共に生きていくことを余儀なくされようとしています。
 このような現実の前で、何を指針にすればいいのか? 市民の立場から何ができるのか? 未来をどう描けばいいのか? 信頼できる国際環境保護NGO「グリーンピース・ジャパン」と共に、様々な角度からシリーズで考えていきます。

vol.1
3.11の衝撃。その時、グリーンピースは?

震災直後、グリーンピース・ジャパンは、そしてオランダにあるグリーンピースの本部は、この未曾有の大災害をどのように判断し、動いたのでしょうか? 世界各地で活動するグリーンピースのスタッフが日本に集結し被災地に入り行った調査について、また永田町や外国人記者クラブで開いた記者会見が、どのようにメディアを動かし、日本政府に働きかけていったのか、についてのレポートをお送りします。

「巨大地震が起きた」——東京オフィスからの呼び掛けに、本部はただちに緊急対応チームを結成。日本への派遣を決めた。

 「日本で大地震が起きた。状況はまだわからないけれど、大きな被害が出る可能性が高いから、本部でもすぐに対応が取れるようにスタンバイしておいてほしい」——東日本大震災発生から30分足らずの今年3月11日、15時10分ごろ。NGOグリーンピース日本事務局長の佐藤潤一さんは、スカイプの音声通話を通じてオランダ・アムステルダムの本部スタッフへとそう呼びかけていた。
 脳裏にあったのは、2007年の柏崎刈羽原発火災だ。そのとき、ちょうどグリーンピース本部に滞在中だった佐藤さんは、地震と原発火災のニュースを受け、本部で結成されたRapid Response(RR/迅速な対応)チームという、災害対応のための専門家チームとともに日本へ急ぎ戻った。そのときの体験から、事務所スタッフの無事確認を済ませると、「とにかく、まずは本部へ連絡をしておこう」と考えたのだという。

佐藤 潤一(さとう じゅんいち) グリーンピース・ジャパン事務局長 1977年生まれ。アメリカのコロラド州フォート・ルイス大学在学中に、NGO「リザルツ」の活動に参加し、貧困問題に取り組む。また、メキシコ・チワワ州で1年間先住民族のタラウマラ人と生活をともにし、貧困問題と環境問題の関係を研究。帰国後の2001年、NGO「グリーンピース・ジャパン」のスタッフに。2010年より現職。

 連絡を受けた本部メンバーらも、当初は状況が掴みきれず半信半疑の様子だったものの、佐藤さんのせっぱ詰まった様子に、すべての予定をキャンセルしてスタンバイ体制に入ることに同意。やがてニュースなどを通じて、押し寄せる大津波の映像が伝えられると、即座にRRチームの結成・派遣と、そのための予算確保が決定された。
 それと前後して、東京電力福島第一原子力発電所で、地震と津波を受けて第1~3号機のすべてが自動停止し、非常用電源故障などのトラブルが発生したことが伝えられる。日本政府が原子力災害対策特別措置法に基づく「原子力緊急事態」を宣言する事態に、チェルノブイリ原発事故後の調査などにかねてから携わっていた、Radiation Safety Adviser(RSA/放射線安全アドバイザー)と呼ばれる放射能の専門家スタッフが、RRチームに加わって日本へと派遣されることが検討された。

福島第一原発が爆発——チェルノブイリの経験があるスタッフから、東京オフィスの一時的な閉鎖が助言された。

 ところが、佐藤さんらが日本でその受け入れ準備を進めていた矢先、日本時間の3月12日午後に、福島第一原発で水素爆発が発生。さらに大規模な放射性物質の拡散が予測される事態が起こる。
 「これを受けて、RRチームの派遣は急遽延期されることになりました。スタッフをこのタイミングで日本入りさせて、危険にさらすわけにはいかないという判断でした」
 日本にいる佐藤さんたちも、本部のRSAスタッフのアドバイスを受け、まずは東京にいるスタッフの安全確保に奔走することに。さらなる最悪の事態を想定して、事務所は1週間ほど閉鎖。スタッフは基本的に自宅勤務となり、一時的に大阪への移動を指示されたスタッフもいた。
 交通網の混乱などがあったとはいえ、多くの人が通常どおりの生活を営んでいる中、佐藤さん自身、「本当にそこまでしなければいけないんだろうか」という考えもあったという。「でも、RSAスタッフの彼らは、チェルノブイリなどの経験があるだけに、起こっている事態がどれほど深刻なのかがよくわかっていたんでしょう。今振り返れば賢明な判断だったと思いますし、いざとなったら避難もできる、というバックアップ体制の中で活動できたことは、スタッフにとっても大きな支えだったのではないでしょうか」。佐藤さんはそう語る。

「調査の目的は、人の命を救うこと」——2週間後、調査チームが来日。まず、飯舘村へ向かう。

 そうして業務の継続体制を整えながら、佐藤さんの同僚たちは、津波や原発事故に関連する国内報道を次々に英語に翻訳し、スカイプを通じて世界各地のグリーンピーススタッフに向けて発信するという作業を始めた。その内容を、世界各地のスタッフが時差を利用して24時間体制で監視し、共有する。この時点ではまだ、日本から放射能の状況についての情報を発信している機関がほとんどなかったこともあり、グリーンピースが発表したさまざまな声明は、海外メディアでも大きく扱われた。
 そして、3月末には、RSAスタッフらで構成される放射線調査チームが、福島県内の放射線量や放射性物質の実態調査を行うため来日することが改めて決定。佐藤さんは調査には同行せず、チームのメンバーと相談して調査の進め方を決定するとともに、東京でチームの安全確保などの後方支援を担うことになった。

 「このとき、すごく印象的だったのが、彼らが最初から『20キロ圏内の調査は行わない』と決めていたことです。そのとき、20キロ圏内にはすでに避難指示が出されていて、日本国内では『そこがどれだけ汚染されているのか』に注目が集まっていた。でも、彼らの考え方は逆。私たちの目的は人の命を救うこと、そのために必要であれば政府の定める避難区域を広げてもらうようにすること。であれば、すでに避難指示が出ている場所を計測する意味はほとんどない、それ以外の場所を計測するべきだ、というんですね」
 地形や風向きの状況を検討し、研究者のアドバイスも受けて、調査チームが第1回の対象エリアに選んだのは福島市を含む、福島第一原発の北西地域。原発から約60キロ離れた福島市や郡山市には、20キロ圏内の地域から避難してきている人々が数多くいたにもかかわらず、そこで計測された線量は驚くほど高かったという。そして、さらにそれより高い数値が計測されたのが、福島第一原発の北西約40キロに位置する人口約6000人の村、飯舘村だった。

計測で終わりでは意味がない——そして危険な情報はできるだけ早く公開する。

 このとき、飯舘村で計測された8〜10マイクロシーベルト/時という数値は、すでに避難指示が出されていたエリアにも相当する高さ。しかし、20キロ圏内には含まれないという理由から、政府による避難指示の対象からは外れていた。住民らは、そこはかとない不安を抱きながらも、正確な情報を与えられないまま、そこに変わらず暮らし続けていたのである。
 その事実が明らかになった時点で、佐藤さんは調査チームのメンバーと相談し、当初の調査結果発表予定を早める。チームに至急東京に戻ってきてもらい、避難区域を飯舘村など20キロ圏外にも広げるよう声明を出すとともに、記者会見を開くこととしたのだ。
 「計測してそれで終わり、では意味がない。やはり、データに基づいて避難指示が出されるようアピールしていくのが私たちグリーンピースの役割だろう、と思ったんですね。特に、RSAのスタッフは、『危険なものや区域を見つけたら、できるだけ早く発表すべきだ』という姿勢が徹底していました。あとで批判を受けたとしても、隠しているほうが絶対に罪が大きい、と。日本だと『パニックになるんじゃないか』などと公表をためらうことが多いですし、その姿勢には学ぶところが大きかったですね」
 政府や東京電力による情報提供の不十分さが指摘され、多くの人から「何を信じていいのかわからない」という声があがりつつあった3月末。その中で、「危険な情報はできるだけ早く公開する」姿勢を取るグリーンピースの活動は、信頼できる情報を求める人たちにとって、貴重な存在となっていく。

声明文を発表し記者会見を開く——メディアでも注目され避難区域の拡大が実現された。

 3月27日に声明文を発表し、30日に記者会見を実施。中心となった調査チームのメンバーたちは、グリーンピースが計測した数値が政府発表のものとほぼ一致したことを示し、「政府発表のデータは信頼できる」とした一方で、そのデータに基づく政府の対処は適切とは言えないと指摘。機械的な同心円状ではなく調査データに基づいた科学的な避難地域設定を行うこと、子供・妊婦の優先避難、さらに地域住民への情報・支援提供を進めることを日本政府に求めた。

 その直後には、IAEA(国際原子力機関)が、やはり飯舘村について、「避難基準の2倍の放射線量が検出された」と発表(ただしのちに撤回)したこともあり、それまでメディアにほとんど名前が出ることもなかった飯舘村への注目はにわかに高まっていく。4月11日には政府が、飯舘村のほか浪江町・葛尾村など、福島県内の一部地域を新たに「計画的避難地域」に指定して避難指示を行うと発表した。
 「長期的な汚染が明らかになってからの避難指示ですから、最初の『緊急避難』という点ではかなり後手に回ってしまったことになります。ただ、グリーンピースを含めたさまざまな働きかけによって、避難区域の拡大を実現させることはできた。政府と同じことをやろうとするのではなくて、政府の施策に足りない部分を指摘して、取り組んでもらうのが私たちの仕事。その意味では、大きな効果があったと思います」。佐藤さんはそう語る。

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