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6月22日(木)
ニュールンベルグの熱狂
(ニュールンベルグ発)
大会議場の大きさを見よ
その建物は、夕暮れにそびえたっていました。日本対クロアチア戦の前日、ニュールンベルグのファンフェスタ(屋台が並び、巨大なスクリーンで試合観戦ができる場所)にでかけた私は、あまりの威圧感に呆然としてしまいました。
ファンフェスタ会場は、ナチスの遺産、大会議場(コングレス・ハレ)跡に隣接して設けられていたのです。ニュールンベルグがナチスと関係が深いこと、そしてニュールンベルグ裁判の行われた都市であることは知識として知ってはいました。また今回のワールドカップの会場近くに、そういった負の遺産があることも情報として知ってはいました。それでも、ローマのコロセウムを模したと言われる巨大な会議場が、唐突に目の前に現れたときの驚きは不思議な感覚でした。この大きさはなんだろう?
ファンフェスタに向かうトラムには、私たち以外に二人連れの日本人の若者がいました。
「あれ、ここのスタジアムはずいぶん古いなあ」
大会議場を指差し、そう言う彼らに、私は「これ、ナチスが残した大会議場なんだよ。そういうものが残っているんだよ」と思わず言ってしまいました。「へえ……」
彼らの反応はただそれだけ……。
ファンフェスタで見かけた、いかした日本人サポーター
ニュールンベルグのツーリストインフォメーションで日本語のパンフレットをもらうと、「負の遺産と義務」という大きな見出しで、この町におけるナチスの歴史と建造物についての説明が載っています。この大会議場は完成されることなく、後世に歴史を伝えるものとして残され、一部にドキュメンテーションセンター(ナチスの歴史館のようなもの)を併設しています。また、今回のワールドカップ会場も、党大会に利用されたことのあるスタジアムを改装したものなのです。ニュールンベルグは、1933年、ヒトラーが党大会を開いた町であり、「これからも永久にこの町で開催する」と〈党大会の都市〉として決めた歴史をもっているのです。
夕暮れのファンフェスタ会場と大会議場
6月18日、試合当日。早めに会場に向かい、ドキュメンテーションセンターを見学しました。ナチスが台頭してくる当時の様子や、この町でどのように党大会が行われたのか、館内では写真、映像で詳細に展示説明されています。また、このエリアにナチスが大会議場を含めた巨大な建築計画を推し進めたこともCG映像で解説されています。演壇のあるツエッペリン広場、大行進をする予定だった大通り(グローセ・シュトラッセ)。それらのほとんどが未完成で、そして今、目の前に存在しています。
表示はすべてドイツ語(英語のワイヤレスガイドあり)。ああ、この展示は世界に向けたものではなく、国内に向けたものなんだなあとつくづく思いました。ドイツ語がわからなくても、次々と提示される写真・映像の数々は、当時の熱狂と規模の大きさ。それからなんと言うのか……人間の悲しさみたいなものが伝わってきました。昨日私がソーセージを食べた広場を、ナチスの党員が高揚感に包まれて行進していく。サッカーファンが歓声をあげるファンキャンプのある場所で、党大会に参加する人々が身支度を整え、食糧の配給を受けている。そういう事実は何度も見続けないと、人は忘れてしまうのではないでしょうか? そして、彼らの表情が妙に興奮している様子が複雑な思いを抱かせます。
ドキュメントセンターの入り口
また、ニュールンベルグ裁判の経緯を説明するブースには、戦争犯罪人として裁かれた人たちの死刑後の遺体写真が報道された当時のまま、展示されていました。小さなものでしたが、印象的でした。過ちを先導した人たち、彼らが間違いなく罰せられたことが今になっても確認できるのです。
見学ルートの最後には、大会議場の中心部に向けて突き出たブリッジから、その全景を眺めることができます。周囲を取り巻く未完成の建物の巨大さを実感するばかりでした。
館内では、日本のサポーターも、クロアチアのサポーターも数多く見受けられました。騒ぐことなく、真剣に展示を見ています。感想を求めるノートに日本語で「日本人とクロアチア人が、ニュールンベルグを訪れて反省をする。これこそが、本当のワールドカップの意味かもしれない」と書いてありました。注:クロアチアは、ナチスの支援を受け1939〜45年クロアチア独立国としてユーゴスラビア王国を解体、独立した政権を樹立していたことがある。
スタジアムに続く道もナチスが大行進をするはずだった大通りに沿っています。すんごく広い道幅です。入場口の目前には、まるでどこかの神殿のようなツエッペリン広場があります。サポーターの喧騒の中、日本のテレビ各局の見慣れたアナウンサーたちがツエッペリン広場のすぐ横でレポートしていました。楽しいサッカーの祭典です。ドイツがこの場所を会場のひとつに選んだことに大きな意味はないかもしれません。それでも、日本の報道がちょっとでもそのことにふれていたらいいな、と思わずにはいられませんでした。
たとえば、自分の生まれた町で、大好きなサッカーチームのホームタウンに、こんな(自国の起こした)戦争犯罪と常に向き合わざるをえない施設があったとしたら、どんな気持ちになるだろう、と想像してしまいます。世界の人たちがやってくる祭典に向けて、私たちは堂々とそれを示すことができるのでしょうか? 広島、長崎、沖縄は被害の歴史です。私たちは加害の歴史も共有しているはずです。
これがシュパーゲル!(ホワイトアスパラガス)とニュールンベルガー
さて、2戦目ですが……。結果は皆さんご存知のとおり引き分け。またまた地獄の暑さでしたよ。どうして日本はこんな暑い時間ばかりに試合をするはめになっているのでしょう? 素人の私でさえ疑問がうかびます。日本のテレビのゴールデンタイムに合わせるためでしょうか? それで選手たちが疲弊するとしたら、本末転倒のような気がするなあ。
暑さのせいか、内容もイライラする感じで。川口のPK阻止のときだけ盛り上がったくらい。隣のおやじ(日本人)は試合中に何度もビールを買いにいくし、前の席の日本人カップルは試合中もなかなか座らなくて、2列後ろの他国の人から「座れよ」とたしなめられるし。
ただ私はサッカー解説者がなんと言おうと、アウェイで勝ち点1を初めてあげた試合であることを評価したいです(あまいかな?)。
町にもどって、シュパーゲル(アスパラガス)とニュールンベルガー(ニュールンベルグのソーセージ)で食事。若い日本人大学生のサポーターたちと同席になりました。礼儀正しくて、サッカーをとっても愛していることが感じられ、試合の内容について熱く語り合いました。今思うと、あの負の遺産をどう見たのか、たずねてみればよかったと思っています。
さあ、次はブラジル戦だ!
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