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2011-10-05up
雨宮処凛がゆく!
「デモと広場の自由」のための共同声明・記者会見。の巻
記者会見の様子。隣は柄谷行人さん。
9月29日、私は有楽町の「日本外国特派員協会」にいた。「『デモと広場の自由』のための共同声明」の記者会見をするためだ。
この日の記者会見に出席したのは評論家の柄谷行人氏、慶応大学教授の小熊英二氏、一橋大教授の鵜飼哲氏、そして私。
なんとも豪華なメンバーがこうして一堂に会した理由は、9月11日の「原発やめろデモ!!!!!」で12人が逮捕されるという異常事態に抗議してのものだ。この日の大量逮捕については第203回で書いた通りだが、「そんなメチャクチャな逮捕を許さない」と、こうして「大物知識人」(私を除く)たちが動きだしたのである。
ということで、会見に先駆けて26日にはサイトに柄谷氏、鵜飼氏、小熊氏が起草した「『デモと広場の自由』のための共同声明」がアップされた。全文はこちらでご覧頂けるのでぜひ読んでみてほしい。
この共同声明で特に私が好きなのは、今回の原発事故を受け「全国各地にデモが澎湃(ほうはい)と起こってきたことは、日本社会の混乱ではなく、成熟度を示すものです」という点だ。その通りで、今まで、デモをすることが「特殊なこと」だと思われていたこと自体がおかしいのだ。この連載でも何度も触れてきたが、「デモをする権利」は当たり前だけど誰にでもある。前回、イタリアのアンジェロさんがデモを主催したことからも明らかなように、外国人だって申請できる。デモが始まる72時間前までに出発地の最寄りの警察署に申請すればいいだけだ。それだけで、私たちは「意思表示」ができるのだ。憲法21条で保障された、民主主義の基本的権利である。
しかし、そんなことをこの国のどれだけの人が知っているだろうか? 少なくとも私自身、これほど気軽にできるものだとはメーデーなどで自分自身がデモの実行委員となるまで知らなかった。イラク反戦デモ以前は、デモと言えば「特殊な人たちの特殊な手段」だとすら、思っていた。どんなに素晴らしい権利でも、知られていなければ存在しないことと同じだ。声明には、「民衆の意思表示の手段であるデモの権利を擁護します」という一文もある。デモの権利は、その国の民主主義の度数を図るものだと思う。独裁政権下では、デモをしただけで射殺されることだってあるだろう。それを思えば、この権利は手放してはいけないものだし、「脱原発デモ潰し」にしか見えない大量逮捕など、決して許してはいけないことだと思うのだ。
さて、そんなことから「『デモと広場の自由』のための共同声明」が出され、私自身も呼びかけ人の一人となり、この日の会見に参加したわけである。会見場に行くと、既に記者席は満席で様々な国のメディア人で埋め尽くされ、何台ものカメラが会見の様子を中継。そんな中、最初に発言した柄谷氏は、日本でデモがなくなった/少なくなってきたのは80年代以降のことであり、それ以前はさかんに行われていたことに触れ、言った。
「日本でデモが少なくなってきたことと、これほど地震が多い国に54基も原発が作られたことには深い関係があります。それは、原発に反対するという意思表示ができなくなってきたということです」
その背景にあることとして柄谷氏が挙げたのは、労働組合の弱体化や社会党の消滅、そして90年代に新自由主義体制が確立したことなど。そのことと、原発が大量に作られ続けてきたことにはやはり大きな関係があることを指摘し、こう続けたのだった。
「地震のあと、外国人は日本人の冷静さを賞賛しました。しかし、同時に不可解でもあったはずです。どうして日本人は抗議しないのか、怒らないのか。しかし、3・11の原発震災以降、デモが始まりました。私は単に原発に反対するだけでなく、個々人がその意志をデモで表現することが重要だと思います。その意味でようやく日本人が意思表示を始めたのだと思います。日本でやっとデモが始まったことに希望を見いだしています。そのきっかけを作ったのは素人の乱の若い人たちです。彼らは新しいデモの形式を作り出した。私は彼らに感謝しています」
隣でその言葉を聞きながら、なんだか顔がニヤけるのを抑えることができなかった。だって、なんかすごく頭のいい人に「デモをやってる」ってことだけで大掛かりに褒められてるみたいなものではないか! もうこの5年くらい散々デモをやってきたが、けなされたり馬鹿にされたり、果ては近しい人にまで「好きだよねー」と呆れられた経験はあっても褒められたことなど一度もない。それがなんと、柄谷行人氏という、おそらく私には難解すぎて読めない本を書く知識人にものすごく「評価」されているのである。デモやってるってことだけで。
同じく。
会見が終わったあと、「いやー、なんか自分がやたらデモばっかしてることがすごい偉いような気がしてきましたよー」と柄谷氏に告げると、「偉いよ!」と言われ、またしても気分が良くなったのだった。これからは、私がデモに行きまくってることを馬鹿にされたら、「そんな私の存在こそがこの国の民主主義の成熟度を表すものなのだ」と反論しよう。しかも、デモにはダイエット効果もある。3・11以降、私は12回のデモに参加したが、炎天下の中歩き続け、躍り続けるデモなどに行きまくったおかげでなんの苦もなく5キロの減量に成功。デモは美容と健康にも効果抜群なのである。「楽しみながら痩せる デモダイエット☆」なんて本を出したら売れるだろうか。柄谷さん、帯コメントとか書いてくれないかなー。
ということで、改めて「デモ」の大切さを実感したのだが、「自分の頭で考えて行動する」って、人として最低限果たさなければならないことではないだろうか? 逆に私はそうしていなかった頃の自分の方が、よほど異常という気がするのだ。そしてそんな「人任せ」の作法を多くの人がとっていたからこそ、地震大国に世界中の1割以上の原発が集中するというあり得ない状況が放置されていた。貧困問題だって同じだ。「誰かがなんとかしてくれる」。そんなうっすらとした無責任な思いを多くの人が持っていればいるほど、どんな悲劇も放置される。どんな不条理もまかり通る。
また、私は基本的に人間不信なので、政府とかほとんどの政治家とかをまったく信じてないし信じるつもりもない。だからこそおかしいことには「おかしい」と声を上げ続けたいし、それこそがこの社会に生きる一員としての最低限の「自己責任」だと思うのだ。
そう、自己責任って、他人を責めて追いつめる言葉ではなく、この社会に生きる大人として、自分がどれほど責任を果たしているか、自らに問う言葉ではないのだろうか。「大人」というと経済的自立ばかりが強調され、また「より多くの利益を生み出す人間」ばかりがもてはやされる世の中だが、私の中での大人の定義はそんなものではない。私の中での大人定義は、自らの頭で考え、おかしいと思うことにはちゃんとおかしいと声を上げ、行動する存在だ。そうして近い未来や遠い未来に理想を描き、そのために変えようという意志を持ち、実際に変えていくために動く存在。この定義は、「経済的に自立してる」くらいよりよっぽどハードルが高いだろう。しかし、そういう大人が増えれば、確実にこの国は変わっていくと思うのだ。そして私はまだまだ及ばないものの、そんな大人になりたいと思い続けてきた。
さて、この日の会見で述べた通り、「原発やめろデモ」会議では、今回の大量逮捕について、日弁連に人権救済の申し立てをした。おかしいことにおかしい、と声を上げている人は、実はたくさんいるのである。「原発やめろデモ」には今までのべ7万人近くが参加しているわけだし、この日記者会見に登場した知識人たちも今回の逮捕を「おかしい」と思い、それを伝えるために声明を出し、わざわざ海外メディアの前で記者会見まで開いた。もちろん、そんな行動は1円にもならない。そして私は、そんな人たちがとてもカッコいいと思うのだ。
私には、「こんなふうになりたいな」と思う魅力的な「大人」がたくさんいる。それはとても、幸せなことだと思うのだ。
日本外国特派員協会のロビーで。
デモであれ、それ以外の形であれ、
自分の意思をきちんと言葉や行動で示すこと。
それは、例えば「原発」に対するスタンスの違いとはまったく無関係に、
私たちの当然の権利であり責任でもあります。
本来は当たり前のはずのそのことが、
強く脅かされている今こそ、
何度でも何度でも声をあげなくてはならない、と強く思います。
雨宮処凛さんプロフィール
あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」
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