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2011-09-21up

雨宮処凛がゆく!

第203回

「原発やめろデモ」での大量逮捕に思う。の巻

19日の6万人デモ

 とにかくすごい光景だった。9月19日の「さようなら原発」デモでの光景だ。なんとこの日の明治公園には6万人が集まり、「原発いらない」と声を上げたのだ。普段は完全にメディアからスルーされがちな「原発デモ報道」だが、さすがに大江健三郎氏や坂本龍一氏という豪華メンバーが呼びかけ人の上、これだけの人数が参加すると無視できないようで、様々に報道される結果となったのだった。震災・原発事故から半年以上。既に多くの人にとって非日常が日常となってしまった中での巨大デモ。この日、印象に残っているプラカードの言葉は「ただいま、被曝中」。そう、まさに私たちは半年以上、ずーっと「被曝中」なのである。

 さて、そんな6万人デモの8日前、震災・原発事故からちょうど半年の9月11日には新宿でまたしても「原発やめろデモ!!!!!」が開催された。炎天下のもと集まったのは1万人。ダンスブロック、パンクスさんたちによる「KILL THE TEPCO」ブロック、家族連れや動物を連れた人々で構成される「なかよしブロック」、そして「子どもだいはんらん」軍団など様々なブロックで構成されたデモ隊は3時間以上をかけて新宿を一周。午後6時から8時までは、またしてもアルタ前に「原発やめろ広場」という名の解放区が出現したのだった。

 しかし、ご存知の方も多いと思うが、この日のデモでは12人が逮捕されるという異常事態が発生した。この原稿を書いている時点で既に7名が釈放されているものの、5名はまだ中にいるという状況である。

「僕を早くお墓に入れて」と訴える福島第一原発。

 検挙理由は、1人が東京都公安条例、11人が公務執行妨害。一部報道ではデモ参加者が「暴力をふるった」などと報じられているが、それは事実誤認だ。当日現場にいた人ならわかると思うが、この日の警察の警備はやはり前回の8月6日同様、異様だった。突然サウンドカーとデモ隊の間に割って入り、デモ隊を意図的に混乱に陥れる。デモ隊からの出入りを許さない。そうしてデモ隊を両側からぎゅうぎゅうに挟んでおしくらまんじゅう状態を作り出す。そんな混乱状態の中、まるで「人間狩り」のように次々と参加者が逮捕されていった。あまりにも異様な状況に、サウンドカーでライブをしているECDさんまでもが「危ないから警察に近づかないで下さい!」と何度も呼びかけたくらいだ。突然警察が襲いかかり、羽交い締めにされながら連行されていく参加者。私が最初の逮捕を見たのはデモが始まって5分も経たないところだった。そうしてデモのゴール近くでまたしても逮捕者が出た。その間にも他のブロックでたくさんの逮捕者が出ていたことはあとになって知った。とにかくこの日の警察は、執拗に執拗に、デモの最初から最後まで、逮捕し続けた。ただ「原発いらない」と声をあげるために集まり、炎天下の中を歩き続けた参加者を。

スターウォーズののぼりには、「放射能は健康にいい」というブラックなコピーが。

 デモの前から異様なことはたくさんあった。デモの2日前には、事前に届け出ていたデモコースそのものが拒否されるというありえない状況となった。このせいで出発地点がアルタ前から新宿中央公園に変更され、デモコースも大幅に変わってしまう。結果、告知期間が少なく、当日、アルタ前に行ったもののデモに参加できなかったという人も多く出てしまった。

 また、当日午後2時頃には新宿東口からアルタ前に出る階段が警察によって封鎖。デモ後に集合したアルタ前広場には、とにかく通りすがりの人が入れないよう信号すら渡れず、警察は地下道へ通行人を誘導。もうひとつの信号では信号が変わるたびに規制線が張られた。

 この日強く感じたのは、露骨な「運動潰し」の空気だ。これまで、「原発やめろデモ」には「デモは初めて」という人たちが多く参加していた。それがデモの爆発的な勢いとなっていた。しかし、デモ参加者をこれほど逮捕しまくれば「デモに行く」=「逮捕されるかも」という恐怖を簡単に植え付けられる。また、「暴力をふるったから逮捕した」ということにすれば、脱原発デモ=暴力集団というイメージなどすぐに作り出せるだろう。

9月11日の「原発やめろデモ」、ラストはやっぱり「原発やめろ広場」!

 菅内閣から野田内閣となり、「脱原発」から政治は随分後退したように思える。読売新聞には「展望なき脱原発と決別を」という社説が載り、首相が変わってからは「経済のためには原発が必要」という論調が再び盛り返しているのを感じる。「脱原発」という人類の命運にかかわる方向性自体が、何か「思いつきばっかの困った菅さん」的な感じのキャラ問題に矮小化され、忘れ去られていく過程に入っているかのようだ。

 しかし、原発を考えることは、「これからの社会」を作るにあたって、何を基準にするかを改めて考えることでもある。「経済」を基準にするのであれば、どれほどの被曝要員が必要とされようとも、一旦事故が起きたら取り返しのつかないことになろうとも、原発を作りまくり、輸出しまくればいいのだろう。そこには様々な利権が絡み、目先の「経済」は活性化する。しかし、「命」を基準にしたらどうだろうか。今も被曝に晒される福島の子どもたち。警戒区域に置き去りにされた動物たち。そして、これから生まれてくる命。 

 「原発いらない」と声を上げるためにわざわざ休日を潰し、炎天下の中歩き続けるために集まった人たちは(これは決して楽なことではない) 、きっと「命」を基準にした社会を目指したいと思っている人たちだ。そんな参加者が、ちょっと警察とぶつかったとかそれだけの理由で逮捕されていく。そんな瞬間に何度も立ち会いながらも、恐怖に立ちすくんで何もできなかった私がいる。そのことを今、猛烈に反省しているが、だからといってあの時自分に何ができただろう。それをずっと自問している。

25日、「東京に原発を!」デモを開催するイタリアのアンジェロさんと。

 きっとこれから、脱原発デモは逆風の中での運動を強いられるだろう。しかし、この半年、私たちはこれまで絶対に考えもしなかったことを真剣に考え、勉強してきたはずだ。そしてどんな社会を望むのか、様々な人たちと語り合ってきた。

 17日、私のこの半年の葛藤と思考とデモと勉強の集大成というべき本を出版した。小熊英二さんや鎌仲ひとみさん、原子力資料情報室の方や元原発労働者など様々な専門家に様々な疑問をぶつけた『14歳からの原発問題』だ。

 この本を書く過程で、どうしてこの国に原発ができたのか、それは国際社会の力関係の中でどんな意味を持っていたのかなど、戦後日本の歴史がまさに「原発」に凝縮されていることを思い知った。また、被曝労働の実態や警戒区域の状況には、何度も思考を停止したくなった。しかし、それらすべてが私たちが今生きているこの国にある現実なのだ。

 この本に、私はこんなメッセージを寄せた。

 「2011年3月11日まで『原発』に無関心だった私が、素朴な疑問を専門家にぶつけました。私たちは、どんな未来を望むのか。原発は、そのことを突きつけてきます」

 ぜひ、多くの人に読んでほしい。そして一緒に考えたいと思っている。

14歳からの原発問題(河出書房新社)※アマゾンにリンクしています

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恐怖感さえ覚えるほどの「弾圧」にさらされた「9・11」新宿デモ。
雨宮さんも指摘しているように、
「脱原発」への逆風が、にわかに強まっているのを感じます。
それでも「9・19」デモに6万人が集ったことは、大きな希望でもあるはず。
めげず飽きずあきらめず、
1人ひとりが葛藤しながら声をあげていくしかないと、改めて思います。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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