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2011-03-16up
雨宮処凛がゆく!
大地震。の巻
左から、本橋哲也さん、アルンダティ・ロイさん、私。まさかこの直後、地震に襲われようとは…
信じられないような大地震の爪痕に、ただただ言葉を失っている。
テレビをつけるたびに死者、行方不明者の数は増え続け、95年の阪神・淡路大震災の悪夢のような映像が蘇り、何かしたいと思いながらもただ呆然と報道を見続けるばかりだ。
地震が起きたのは11日だが、私はこの日、岩手にいるはずだった。翌12日、岩手・盛岡で佐高信さんと対談イベントをすることになっており、その前日の記者会見への参加を要請されていたのだ。
しかし、急遽11日、インド人作家のアルンダティ・ロイさんと対談することになった(「週刊金曜日」に掲載予定)。それで記者会見参加は見送り、12日のイベント当日に岩手入りすることになったのである。
今回が初来日だというアルンダティ・ロイさんは97年、半自伝的小説『小さきものたちの神』で世界的に権威のあるブッカー賞を受賞、世界的に注目されている人だ。プロフィールによると、「インドの核実験、ダム建設の弊害、新自由主義、米国によるイラク&アフガン戦争、カシミール問題や中央インドを中心に展開されている市民戦争まで、公共的な問題に働きかけるライターとして執筆活動を続けてきた。グローバリゼーションと結びついた市場主義や私営化がもたらす経済的不平等(格差拡大・貧困問題)や社会的不公正の問題から、平和構築や宗教原理主義の台頭まで『もうひとつ別の(オルターナティブ)世界』の実現を目指し、批判的な声をあげる知識人としても名高い」とある。ちなみに2010年には米フォーブス誌の「世界にもっとも感動を与える女性30人」にも選ばれている。著書に『帝国を壊すために』(帯コメントは坂本龍一氏)など。とにかく、世界に名だたる作家・活動家なのである。
そうして午前11時から東京・六本木の国際文化会館でロイさんと対談し、そのカッコ良さにシビれ、緊張しながらも「本物の“セレブ”とはチャラチャラしてる金持ちなどではなく、彼女のように社会的な発言をし、世界を変えるために活動している人なのだ」と大感激。午後3時からは彼女を靖国神社などに案内するという予定があったため、国際文化会館内で本橋哲也さん(『帝国を壊すために』を翻訳)と週刊金曜日のKさんとご飯を食べ、寛いでいたところ、地震に遭遇。ただただ「あわわわわ」となり、なぜか冷静な周りの人と違って1人だけ立ったりすぐ近くの入り口に逃げようとしたりしていると「お客様! 落ち着いて下さい!」と五回くらい店の人に怒られるものの、国際文化会館前には建物から避難した人がたまっており、私たちも避難。
この時点で、私はうちにいる猫のぱぴちゃんとつくしが心配で仕方なかった。しかし、ぱぴちゃんとつくしには電話ができない。この時点で「心配な人間」がいる人たちは携帯が繋がらないことに気づいていたが、猫に電話しようがないので私は携帯が繋がらないことにも気づいていなかった。そのうちにロイさんとの待ち合わせ時間になったのだが、インドから来たロイさんは「このくらいの地震は日本ではよくあること」と思ってるっぽく、ニコニコしながら「レッツゴー」という感じなので、二組に別れてタクシーに。ちなみに国際文化会館はちょっと奥まった高台っぽい閑静な場所にあるので、周囲の様子はまったくわからない。が、タクシーで初めてラジオを聞き、車の窓から見える光景を見て、やっと「ただごとではない」と気づいたのだった。
地下鉄の駅から溢れる人たち、道を埋め尽くす、ビルから避難した人々。そしてラジオでは、「水が溢れてる」とか言っている。しかもどうやら岩手が大変らしい。え! 私、明日岩手なんだけど! しかも佐高さん、既に岩手入りしてるはずなんだけど! そう思って携帯をかけてもまったく繋がらない。もしかして、靖国に行ってる場合じゃない? と思いながらも靖国に辿り着くと、そこは「避難所」と化し、人で溢れているではないか。
結局、「遊就館」も地震で閉館になっていたので国際文化会館に戻ろうとするものの、電車も地下鉄も止まっている上、タクシーもつかまらない。しかも6時半からはロイさんのレセプションがある。ということでとりあえず歩くものの、車道は大渋滞し、歩道も歩く人で埋まり、線路沿いでも電車が止まって奇妙に静かな都心はなんだか現実感がなく、何かとてつもないことが起きていることはわかるもののどうしていいのかわからなくて、ちょうどそんな時、タクシーがつかまったのだった。
で、みんなで国際文化会館に向かうおうとするものの、やはり大渋滞。ロイさんたちは降りて歩くこととなり、私はそのタクシーでそのまま自宅に帰ったのだが、普通は30分ほどで着く自宅に辿り着いたのは二時間後。そこでやっとぱぴちゃんとつくしの無事を確認したのだが、二時間程度で帰宅できた自分は全然マシだったとのちに知ったのだった。
と、ここまで来ても私は「明日は岩手に行かなきゃ」と思っていた。よって主催者の人にとりあえず確認の電話をしまくるものの、やはり繋がらない。それからしばらく経ってやっと連絡が取れ、「明日は中止」と知らされ、主催の方も佐高さんも無事だったことを知って一安心したのだが、その後の報道で凄まじい被害状況を知り、言葉を失ったのだった。
そこからは、おそらく多くの人と同じだ。ただただ凄まじい状況に呆然とし、「原発」という、今までだって当事者だったのにどこか当事者意識が薄かった問題が突然信じられないほどのリアルさで迫り、しかしそのこと自体が何か映画を見ているようで現実感がなく、溢れる情報の真偽がわからずに戸惑い、被災地にいる知人の安否に気を揉み。ちなみに宮城には何度も行っているし岩手には親戚もいるし(無事が確認できた)、石巻には知人の女の子もいる。しかし、彼女の安否は今に至るまでわからない。
大勢の人が亡くなったことについて、もう、なんと言っていいのかすらわからない。そして被災した人たちの中には家も流され、職場も喪失し、何もかもを一瞬に失ってしまった人も少なくないはずだ。そんな人たちにかける言葉など、私にはとても見つからない。
地震の映像を見ながら、ある人を思い出していた。3年ほど前に取材した30代のホームレス男性のことだ。彼がホームレス化したきっかけは、95年の阪神・淡路大震災だった。そこで職場が壊滅的な打撃を受け、震災後の混乱の中、彼は生活を再建する機会を失い、同じように被災した人たちがある程度落ち着いても、自らは飯場などを転々とする生活となり、遂にはホームレス状態になってしまったのだった。話を聞いた3年ほど前、私の中では阪神・淡路大震災は「ひと昔前のこと」という認識になってしまっていた。だからこそ、本当に驚き、その長い年月を思って気が遠くなった。大地震は人の命を奪うだけでなく、被災した人々の人生を時に信じられないほど狂わせてしまう。
まだまだこれから先の具体的なことを考えられる状況ではない。が、被災した人たちが一人たりとも漏れることなく、生活再建のための支援を十分に受けられることを心から祈っている。というか、祈るくらいしかできない。
そして原発について、本気で勉強しなければ、と思っている。
「小さきものたちの神」
アルンダティ・ロイ(著),工藤 惺文(翻訳)
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「帝国を壊すために —帝国を壊すために―戦争と正義をめぐるエッセイ—」
アルンダティ・ロイ(著),本橋 哲也(翻訳)/岩波書店
※アマゾンにリンクしています
凄まじい被害の状況に、ただただ言葉を失うばかりですが、
いま目の前の危機が去った後も、
被災した人たちが生活を取り戻すには、
さらに長い年月が必要になることでしょう。
緊急の支援とともに、長期的な視点から何ができるのか、
何が必要とされるのかを考えていきたいと思います。
雨宮処凛さんプロフィール
あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」
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