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2010-05-19up

雨宮処凛がゆく! 145

のら猫ではかる社会の隙間。の巻

ぱぴちゃんとつくし、朝日新聞デビュー!

 5月13日の朝日新聞夕刊をあなたは見ただろうか。

 なんと、うちの猫・ぱぴちゃんとつくしがカラー写真で載っている! 「かぞくの肖像」というペットコーナーに取材されたのだ! これが証拠写真である。常々、うちのぱぴちゃんとつくしの可愛さを世界中にアピールしたいと願っている私としては、本当に嬉しい限りだ。今まで受けた取材の中で、はっきり言って一番嬉しい。暴れる猫二匹を抱えての撮影はものすごく大変で一生撮れないかと思ったほどで、みんな汗だくになっていた。ちなみに私は「猫の手帖」だったか「CATS」だったかの猫雑誌に、ぱぴ・つくし写真を投稿したことがある。つくしの写真のみが採用され、読者投稿の「ふんわり子猫ちゃん」というコーナーに載ったのが自慢だ。そういった猫馬鹿な飼い主なので、本当に嬉しい。

 で、取材では、うちの猫がいかに何の役にも立たず、迷惑ばかりかけ、それでも自分が生きてることに何の疑問も持たずに日々生きる喜びを全身から放射しながら堂々と「無条件の生存の肯定」を体現してらっしゃるかについて話したのだが、掲載と同時期、ある裁判の判決が下った。それは「猫裁判」だ。

 大きく報道されているのでご存知だろうが、将棋の元名人の加藤氏が自分ちの周りののら猫にごはんをあげてることから猫が増え、それがいろいろ周りに「迷惑」を及ぼした結果、周りの住民が起こした裁判だ。で、判決では「餌やりの中止」と「慰謝料204万円」の支払いが命じられた。加藤氏は控訴する方針だという。

 これは全国の「猫好き」「猫おばさん」「猫おじさん」(のら猫にごはんをあげる人。なぜかおばさんが多い)、また地域猫の取り組みをしている人にとって非常に衝撃の判決ではないだろうか。かく言う私もショックを受けた一人だ。判決では、加藤氏がのら猫にごはんをあげ続けたことが周りの住民の「人格権」を侵害する、とされたのだ。

 うちのぱぴちゃんとつくしは「完全室内飼い」で、私と一緒にハーネスをつけて散歩に出る以外は外に出ることはない。だから、うちの猫が外で「迷惑」をかけることはない。だけどうちの周りには半のらみたいな猫が結構いて、いろんな家の人に可愛がられ、ごはんをもらっている。私もあげることがある。で、一応、排泄物を見つけたら片付けるようにしている。そういう中で、猫を通じて生まれたご近所付き合いもある。私の住む周辺には猫好きが多いのか、段ボールで家を作ってもらったり、避妊・去勢手術を受け、大切にされている猫たちがたくさんいる。しかし、そんなことを猫好きの人に話すと「恵まれている」と驚かれることがある。猫を巡ってご近所トラブルになり、警察沙汰にまでなっているなんてこともあるからだ。

 もちろん、猫が嫌いな人の気持ちもわかるし(私もぱぴちゃんを拾うまでは別に猫は好きじゃなかった)、猫アレルギーの人もいるだろう。私自身も猫アレルギーなのでその辛さはわかる(今のところぱぴちゃんとつくしに対しては大丈夫になったが)。

 だけど、何かすっきりしない。裁判が起きた背景には、猫の排泄物の「悪臭」や鳴き声などの「騒音」があったという。程度によるだろうが、まあ生きてることはだいたい臭いしうるさい。というか、猫に限らず生きてること自体の大半は「迷惑」ではないだろうか。しかし、今、その「迷惑」への目はどんどん厳しくなっている。そんな中、社会の「隙間」がなくなり、寛容さも失われているような気がしてならないのだ。

 そんな社会の隙間がなくなることは、回り回って自分の首を締めることにも繋がっていかないだろうか。ちょっとの「悪臭」や「騒音」も許されない、「迷惑」に徹底的に不寛容な社会。私はそんな場所の住人にはなりたくない。というかなれない。 

 今、「喫煙」に対しても非常に厳しい目が向けられているが、何かそれに通じるものを感じるのだ。「猫の餌やり」に対しても「喫煙」に対しても、「反対」する人たちの意見は圧倒的に「正しい」。だけどその正しさが、正しいがゆえにすべて履行される社会には何か息苦しさを覚えてしまう。すべての「迷惑」を排除したら、そこに住む資格のある人は一体どれだけいるのだろうか。

 そんなことを考えていると、数年前にカリフォルニアで滞在した「ゲーテッドシティ」にかなり近い場所を思い出した。社会的地位の高いお金持ちしか住んでいないその場所はひとつの村のようになっていて、道は「部外者が来たら必ず迷う」ようにものすごく複雑に作られている。似たような作りの綺麗な家が立ち並び、庭には似たような花が咲き乱れていて、庭に植えられる花はすべて規則で決まっている。緑溢れる広大な敷地内にはたくさんのうさぎたちが遊んでいて、うさぎは可愛いから存在を許されるものの、ネズミなどは徹底的に駆除されている。一見、ものすごく快適で清潔で美しいのに何かとても不自然で、今にも陰惨な殺人事件なんかが起こりそうな気配が漂っていてなんだか怖かったのだった。

 猫裁判からいきなりゲーテッドシティにまで話は飛んでしまったが、とりあえず、私としては加藤氏みたいなちょっと怖い顔のオジサンが猫たちにごはんをあげているという、その姿を想像するだけでなんだかほっこりするのだ。私はいつも、「のら猫の幸せ度」でこの社会の寛容度をはかっている。

※来週は日本にいないのでお休みします。
※反貧困たすけあいネットワークのイベントにちょっと出ます。
  Bread and Roses 5 ~私たちにパンと誇りを!~
   日時:2010年6月3日(木)19:00~22:00
   場所:六本木SUPER DELUXE(スーパーデラックス)
   東京都港区西麻布3-1-25 B1F(六本木ヒルズの隣)
   TEL 03-5412-0515
※マガ9学校「憲法と軍隊 〜日本と韓国から考える〜」
   日時:2010年6月26日(日)15:00〜18:00
   場所:カタログハウス本社地下二階セミナーホール
   参加費:1000円
   →詳しくはこちらをご覧ください

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雨宮さんと2匹の「晴れ姿」、みなさん、チェックしましたか?
日本でも近年、「ゲーテッド」コミュニティやマンションが増加中とか。
「正しさ」できっちりと統一された「清潔」な空間と、
ゆるゆると隙間のある、綺麗さ清潔さもほどほどの空間と。
あなたなら、どちらを選ぶ?

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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