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2011-04-20up
「……意味不明の防災服を着て永田町をうろうろするだけの国会議員たちのせいで、どれだけ多くの被災地で、飲み水さえ届かないことが続いたことか。……政治家の仕事は、専門家や役人たちに権限を与えて動かし、自分は最終的な責任を取るだけなのに、政治主導をはき違えた政治家たちが、今日も永田町で延々被災地支援を論じている。」
著者が週刊誌『アエラ』に連載している「平成雑記帳」からの引用である(2011年4月18日号)。東日本大震災を巡る政治家への批判を厳しすぎると受け止める向きがあるかもしれない。しかし、1995年1月17日、大阪の自宅で阪神・淡路大震災に遭遇した著者は、50~100年かけて震災で人が死なないための街をつくることを訴え、天災から国民を守ることが政治の使命と語り続けてきた。それゆえの厳しさなのである。
本書は2007年8月13日号~2009年7月27日号に掲載された「平成雑記帳」をまとめたものだ。そこでも震災について、次のように綴っている。
「……復興をなし遂げるのは、いつの時代も結局人間の希望の力なのだが、終戦時にはまだ戦争が終わった安堵もあったのに比べて、天災の不条理を経験した人間のこころは、生涯マイナスのエネルギーのやり場もなく、けっして回復することがない」(「阪神・淡路大震災が『教えたこと』とは何か」より)
震災についてばかりではない。景気が後退した途端に求人数を激減させる大企業の経営者のモラル、オリンピックにおける超人的な記録の輩出、価値観の多様化がいわれながら、携帯電話にすべての機能を託す消費者の姿など、著者が抱く違和感が直截に語られる。テーマはその時々で違うものの、通底しているのは消費への欲求に自制が効かず、弛緩してしまった私たちの日常への批判精神だ。物事を真正面から見据える視線から生まれる無駄のない文章に、読者は思わず居住まいを正すことになる。
先日、ふと思い出して2005年にNHK教育放送で放映された「阪神・淡路大震災10年 作家高村薫 思索の旅」のビデオを見た。高村氏が震災について思索し、行動する3人(写真家・立木義浩、棋士・谷川浩司、消防研究所理事長・室崎益輝)に会いに行き、震災が自分に何をもたらしたか、天災に耐えうる街づくりとは何かについて語り合う。
彼女は阪神・淡路大震災を機に、小説で人を殺せなくなったという。傑作「レディ・ジョーカー」を最後に、ミステリから戦後日本を描く長編作品へと転換を図った高村薫作品に戸惑ったファンは少なくなかったのではないだろうか。かくいう私はその1人なのだが、本書を読めば、著者が市井の人々の人生に目を向けるようになった理由がよくわかる。
(芳地隆之)
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