イラクへの派兵はアメリカとの外交上の付き合い上で派兵しているだけのことであって、他には何の意味もないことです。イラク国民のためにもなっているとも思われず、これでは「国際貢献」とは言えないでしょう。
おそらくこれから、「自衛隊が役に立たなかったのは、武器の行使を禁止する憲法9条があったからだ」という論議がされることでしょう。「だから憲法9条を変えて、武力行使を可能とする国際貢献の明文化をするべきだ」という話も持ち出されるかもしれません。
しかしスタートに戻って考えると、そもそも日本がイラクに派兵したことが間違いなのです。さらに言えば、アメリカがイラクを先制攻撃したことが間違いであり、アメリカに対して同盟国の日本が、その時点でストップをかけられなかった外交力の無さこそ問題といえます。これは日本の外交の問題であって日本国憲法の問題ではないのです。
それなのに日本の平和外交力の弱さを、憲法の問題にすり替えるから「ちょっと待って。そらおかしいよ」と僕も言いたくなるわけです。
19世紀以降、パワーポリティクス、いわゆる「力」(武力)による政治外交の呪縛から逃れられていない世界において、日本は戦後、今の憲法ではじめて新しい理念を持ち、国づくりをやってきました。それがいかに難しいことか、というのは歴史が証明しています。
しかし、まだ60年しか経っていないのだから、あと50年はみんなで今の憲法に明記した理念を目指そうよ、と思うのです。もう少し気長に憲法に向き合おうよと。
反省すべき第一の点は、平和憲法を持ちながらこれまで情報宣伝活動がとても下手だったということです。「日本は決して武力行使はしない、未来永劫、自国領土内の自衛の闘い以外は戦争を放棄した国である」ということをもっときちんとアピールしておけば、今のようなアジア近隣諸国からの脅威というものは、あり得るわけがないはずです。
戦後は、このすばらしい理念が存在していながら、どこか空回りしていたのでしょう。今後の50年は、これはすばらしいことであると国民が再認識し、自信を持って世界中に広めるようにしていくべきです。そのことが、日本人が日本人として生きていくことだからです。日本は、武力ではなく平和外交で国際貢献ができるようになるよう目指すべきではないでしょうか。
「今の世界情勢ではもはや平和外交などできなくなってきている」という意見もありますが、それは「アメリカの論理」を押しつけられているだけです。それに長い目でみれば、現在という時点に合わせただけの国際貢献ができればいいというものではないでしょう。日本が未来のアジアや世界の平和を考えて平和外交を訴え、それに尽力すれば、世界の孤児になどなるはずがありません。