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'05-04-20UP |
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あいかわ きんや 1934年東京生まれ。
俳優座養成研究生(3期生)を経て、劇団三期会を結成。
俳優としてテレビ、映画、舞台でも活躍中。 テレビ人気長寿番組の司会者も務めている。 著書に『泳ぎたくない川』(文藝春秋) 『じんじろげの詩』(立風書房)など。
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日本に自衛隊があるということ。そんなことは、子供でも知っている話です。それをひた隠しにして無いモノにするというのはおかしい。だから自衛隊はあります。
「自衛隊」とは、どなたがつけたか、僕は今となっては、良い名前だと思います。だって、自衛なんだから、攻めてきたときのみ守る、防衛のためだけの隊という意味でしょう。この拡大解釈は、今の憲法のままで充分にできると自分の中ではすでに折り合いがついています。災害援助や国際貢献なども、今すでにやってるように、自衛隊のままで、世界に押し通していければいいじゃないかと思う。自衛隊を自衛軍という名前に変える必要はまったくないでしょう。
コスタリカみたいに、「うちは戦争放棄と軍隊を持たない憲法があるから、国際紛争には巻き込まないでくれ」と言える外交政治力が生まれれば、自衛隊もやがては要らなくなるでしょう。そういう世界になればいいなという夢も見ています。でもこれまで、憲法の拡大解釈の中で自衛隊が作られ、運営されてきたわけですし、イラクにも人道支援で行ったわけですから。ただし武器を持たずに行けばいいのです。自衛隊の人たちは、国外へ行って人を殺すという教育や訓練を受けているわけではないでしょう。それだと憲法違反になりますよね。
「軍隊を持たない」というのは、交戦権を持たないという意味です。自国まで攻めてこられたら守る、というのは当たり前の話です。それが今、攻められてもいないのに、海外に出かけていけるように、あぶなく改悪されてしまうことが怖いのです。歯止めのために、憲法9条は変えて欲しくないのです。「戦争はしない、だけど自衛隊は持つ」。僕の中では、今は「これが憲法9条」でいいんです。
憲法で一番大事なことは「戦争放棄」なんです。これを憲法でうたっている国は、日本とコスタリカぐらいです。「戦争をしない」というのは、地球上にある全ての人間社会の理想像だと思います。戦争が好きでやっているところも、まあ、困るんだけれど、あるね(笑)。しかし世界を見渡してみてください。戦争のない国というのが、人間の究極の理想であり幸せです。戦後60年を経て、日本が世界に影響力を持つ大国になったというのであれば、憲法もその誇れるもののひとつなのです。
今、憲法を変えようという人たちの意見には、「現実と憲法があまりにもかけ離れているから」というのがあります。自衛隊は存在しているのに、「ない」という憲法はおかしいと。でも憲法というのは理想であって、夢であっていいのです。より現実的でぴったりと現実と合うようなものは、いずれにしても作れませんよ。現実と理想が合わないのはある程度当たり前であって、合わないから理想の方を変えろというのはおかしな話でしょう。理想は理想として残しておこうよ、と言いたいのです。 ↑アタマに戻る |
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'05-04-13UP |
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うえはら ひろこ 東京都国立市市長
宮崎県生まれ。元東京・生活者ネットワーク代表。
国立市景観裁判原告団幹事。1999年より現職。 著書に『<環境と開発>の教育学』(同時代社) 『どうなっているの?東京の水』(北斗出版)
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「私たちが、海外で誇りを持って働けるようにしてください。」
胸にずらりとバッチをつけた自衛隊の方が市庁舎にやってきて、私にこんなことを言うんです。自衛隊は海外に出ると、そんなに小さくなって勤務しているのでしょうか。
さらに続けて「私たちは人を殺すのが仕事ですから!」ですって。冗談じゃなくて、本気でそう考えているらしいのです。仰天しましたが、あとでよくよく考えてみたらその通りなんです。軍隊の仕事って、人を殺すことなんですよね。
きっと彼が言いたかったのは、「武器もたくさん用意して、日夜訓練に励み、違憲だと言われながらも頑張って海外に行っている。しかし、9条があるために武器を使えないから、他国軍から白い目で見られているのではないかと引け目を感じている」ということでしょうね。
最近、韓国の廬武鉱大統領が、次のような「韓国国民に対する談話」を発表しました。
「日本はこれまで自衛隊海外派兵の法的根拠を準備し、今では再軍備論議を活発に進めています。これらはみな、痛ましい過去を我々に思い出させ、未来を不安にする行為です。日本が普通の国家を越え、アジアと世界の秩序をリードする国家になろうとするならば、歴史の大義をふまえて、確固たる平和国家として国際社会の信頼を回復しなければなりません。」
そうなんです。これからの日本は、中国や韓国などアジアとの経済協力をいかに強めていくかですよね。9条を改定して軍隊を持って、中国や韓国が信用してくれると思いますか? 将来の日本経済を考えたら、9条に沿ったように人を殺さない自衛隊に変えたほうがずっと得策ですよね。
こんな不景気の中、皆あえぎながら税金を払ってきたのに、「人を殺すのが仕事」に毎年毎年、私たちは4兆8000億以上もの血税を使っているんです。
でも、24万人近くいる自衛隊員を即解雇というわけにはいきません。そこで少しずつ縮小して、沿岸警備隊と災害救助隊にしていったらいいと思いますよ。
実際、べつに武器を持って人を殺さなくても、今でも自衛隊は立派に国際貢献しています。たとえば、スマトラ沖大規模地震やインド、トルコなどの災害の救援には、国際緊急援助活動で活躍しています。変わり種は砕氷艦「しらせ」の南極観測支援というのもありますね。
こんな皆に喜ばれるレスキュー隊に変身すれば、誇りも持てるし、無駄な武器も買わなくて済みます。平和を愛する国として、国際社会の信用もグーンと上がりますね。 ↑アタマに戻る |
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'05-04-06UP |
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たまき まさゆき スポーツライター・音楽評論家 京都生まれ。 大学中退後フリーのスポーツライターとして活躍。
現在はスポーツの他、文化全般にわたるライターとして活動中。著書に『スポーツとは何か』(講談社現代新書)訳書に
『日本式サッカー革命』(集英社インターナショナル)など多数。
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アメリカは戦後の占領政策の中で、日本の国力をそぐために、財閥の解体などいろいろなことを行ってきました。その中のひとつとして、軍隊の武装解除があったわけですが、冷戦によって再びアメリカの要請があり、警察予備隊から保安隊となり、自衛隊が作られたわけです。
軍隊は、平和憲法を持つ日本においてはそもそも存在意義はないし、明らかに憲法に違反しています。といっても、現実には、自衛隊は作られてしまい、自衛権を行使する集団として多くの人々にその存在が認められています。
それではその自衛隊をどうすればいいのか? それは今の憲法の前文及び9条に、非常にわかりやすく書かれています。(編集部注:憲法9条と前文は「これが9条だ」をごらんください)これを基準にして未来を考えたら、自衛隊がどうあるべきなのかは、おのずとわかることです。
自衛隊の存在と9条が食い違っていることが問題で、「変えるべき派」が文章を改定する必要があると主張するのならば、「今は自衛隊として認めましょう。けれども将来的には、平和憲法の理念に基づき、自衛隊の在り方を変えていきましょう」という方針で、条文の一部だけ直し、一時的に自衛隊の存在を認めるという方法もあるのかもしれません。ただし前文を変えることは、大きな問題です。ここは大前提であり理念なのですから。
自衛隊を自衛軍としたところで、自衛のための軍隊なのだから、海外に行くことは絶対に認められないはずです。もしも、組織化されて海外へ行く必要があるのならば、名前を変えて行くべきです。旭川の第○隊を、一時的に海外援助隊に再編成するというのでいいわけです。自衛隊で使っているのと同じ服や靴でもいいですが、自衛隊と書かれてあるものは、全て外す。当然、援助隊なのだから武器は持っていかないし、武器を持っていかなければならない場所へは行かない。それは当たり前のことでしょう。
それをやらずに、武器を持って海外に行ける軍に変えようとしているというのには、何かしらほかの狙いがあるのでしょうね。国際政治のパワーゲームに戦争を利用しているように思えます。
この憲法ができて60年の間、日本は正しいこともしたし、間違ったこともしてきました。そして国際政治の中で、自衛隊が生まれてしまったのです。それを将来的にどうしたらいいのか、を考えるのには、未来の日本がどんな国になればいいのか、未来の世界がどんな状態になればいいのか、ということを先に話し合わないといけないでしょう。北朝鮮や中国の脅威という、現在の、現実の対応から未来を語るのではなく、今の不安な世の中だからこそ、未来の理念から現在を語らないといけないと思うのです。そうすれば、
「今はまだ自衛隊はちょっと持っておこう。でも自衛のためのものだから、海外へ行ってはいけない。で、将来的には、50年後、100年後には、世界中で軍隊のない国の連合が作れるよう、日本がリーダーとなろう」となるでしょう。
「そんなことはできるはずがない」とすぐに言う人がいますが、できるか、できないかが問題なのではなく、ベクトルの先がそこにあるということが重要なのです。50年後にできなければ、100年後、200年後を目指せばいいのです。明治維新の時に東京オリンピックが開催できるとは、誰も思っていなかったでしょう。100年というのはそういった長さのスパンです。100年あれば、時代は予想もつかない変化をするもの。不可能だとされたことを、自分たちの子供や孫たちが、すばらしいアイディアで可能にしてしまうことだってあるのです。 ↑アタマに戻る |
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