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2011-08-03up
鈴木邦男の愛国問答
第80回
「右から考える反原発デモ」に参加した
これは画期的なデモだった。これで、〈流れ〉は変わるだろう。「反原発」「脱原発」に大きく進み、勢いづくでしょう。右翼・民族派の側にも、反原発の人はいる、ということを以前、紹介しましたが、それが行動に移されたのです。7月31日(日)、「右から考える7・31脱原発集会&デモ」が行われました。「呼びかけ人」になってくれと言われ、快諾しました。集会では、「連帯の挨拶」をし、デモでは横断幕を持って先頭を歩きました。
「呼びかけ人」の代表は針谷大輔氏(統一戦線義勇軍議長)です。かつては過激な闘いもやりました。一水会でもよく共闘しています。「新右翼の人たちのデモか」と思われがちですが、それだけではありません。伝統派の右翼の人もいるし、一般の人もいます。又、ロフトプラスワンの平野悠さんや、そのグループの人たち。元・大阪高検公安部長の三井環さんも来てくれました。今は、「市民連帯の会代表」です。さらには、早見慶子さん(作家・元戦旗派)や外山恒一氏(我々団総統)なども「賛同人」になっており、ほとんどの人が参加しました。
「右翼のデモだっていうから怖い人ばかりと思ってたんですが…」と言って来た人もいる。怖い感じの人はいない。黒い街宣車もない。乱闘服、戦闘服を着た人もいない。これはいいと思った。針谷氏が、このことは徹底させたのだろう。事前に渡されたチラシの「注意事項」には、こういう文章があった。
「各団体の幟や旗及び趣旨に相応しくないプラカードや服装・言動はお断りとさせていただきます」
これはいい。あくまで「脱原発」だけにしぼる。それ以外のプラカードや幟は禁止する。当然のことだが、なかなか守られない。好き勝手なプラカードを掲げ、黒い街宣車も参加したら、一般の人が入れない。「日教組打倒!」とか「中国を許すな!」と書かれていては、一般の人は引く。せっかく「脱原発」を言ってるのに、それが後退する。
実は、この日のために何回も準備会を開いたという。大変だ。その中で、「注意事項」を決め、シュプレヒコールの案も決めた。
ご苦労さんでした、と言いたい。それに、デモに参加した人は勇気がある。特に代表の針谷氏だ。本当に勇気がある。何事でも、先がけてやる人は大変だ。後から付いて行くのは楽だ。右翼・民族派・保守の中にも、脱原発、反原発の人はいる。最近はかなり増えている。だが、まだ躊躇している。こんなことをやって、「左翼と同じだ!」と批判されないか。又、「左翼を利するのではないか」という心配だ。さらに、原発をやめて日本は経済成長できるのか…と思う。
又、「左翼のやってることに反対してればいい」と思い、それこそが「愛国運動だ」と思ってる人もいる。さらには、自分たちが作っている雑誌に、電力会社からの広告をもらってる人もいるかもしれない。そんな人たちは、躊躇する。純粋にエネルギー問題を考えて、危なくても原子力は必要だという人もいる。さらには、国防上の問題として、核武装を主張する人もいる。そのためにも原発は必要だという。
しかし、自分たちの国が汚され、住めないようにされているのだ。これは危ない。そう考える人たちが増えてきて、この日の集会になったのだ。デモの「呼び掛け文」には、こう書かれている。
〈福島第一原発の事故をうけ、原発の安全神話は完全に壊れ去りました。残されたものは何かといえば、麗しき山河をいつ破壊するのか分からない原発という脅威との隣り合わせという現実です。また国家は、国の宝である子供たちの命も未来も考えない存在ということが露見されました〉
そういえば、この集会&デモの統一スローガンは、「福島の子供たちを救い出し、麗しき山河を守れ!」でした。原発反対に右も左もないのです。「いや、右翼っぽいスローガンだ」と思うかもしれません。どんな思い、どんな表現でも、それはいいと思います。原発に対し、右からも左からも、いろんな方向から声をあげることが必要だと思います。なぜ右の側から、この運動を立ち上げたかについて、「呼び掛け文」では、さらにこう言ってます。
〈戦中の大日本帝国は戦時下の大変な最中でも、国の宝である子供たちは疎開させています。我々は先祖から与えられている麗しき山河を守らなければいけない立場に有ると思います。そこで左の運動と言われてきた反&脱原発運動を本来やるべき右の側の視点、発想で捉え、脱原発の在り方を考えたく、この運動体を立ち上げました。麗しき山河を護る為には、先ずはなぜ脱原発なのかを考えなければいけないと思います。極端にいえば、「核武装は必要だが脱原発だ」といった意見が有ってもいいと思います。子供たちの命と未来のために! 皆さんと考え、街頭に繰り出したいと思います。右も左も関係なく子供の将来の為にを合言葉に!〉
ちょっと長い引用になったが、これが「右から考える」脱原発の根拠だ。だったら、「右から考える」を取って、一般の、無色透明のデモにしたらいいだろう。と思うかもしれない。しかし、「右から考える」も意義は大いにあったと思う。だって、政府や、東電や、経産省などは、「右からのデモ」に押しかけられたことがないからだ。左だけでない、右の人達さえも、脱原発で立ち上がっているのか。と思い、これは影響力が大きいはずだ。
7月31日は、午後2時に芝公園23号地に集合して、集会。その後、3時30分にデモは出発。2時間近く、歩く。気のせいか、全部右折ばかりだ。水谷橋公園で解散だが、そこに行くまでに経済産業省前、中部電力東京支社前、東京電力本店前を通り、そこで、怒りの演説、シュプレヒコールだ。よく、そんなコースを許可したものだと驚く。それと同時に、「突入しよう!」「座り込みだ!」などと言う人もいて、混乱が予想されたが、針谷代表のリーダーシップで無事にデモは終わった。これにはホッとした。今まで4回、反原発のデモに出たし、それは左っぽいデモだ。今回は5回目だが、一番、不安だった。「突入だ!」「座り込みだ!」となって機動隊と乱闘になったら、確実に捕まる。捕まりそうな人間を助けずに、現場から逃げだしたら卑怯者と言われるだろう。モメたら困るなあ、どうしよう、とそれだけが不安だった。しかし、針谷氏は、その点はよく考えていたのだろう。激しく抗議しながらも、犠牲者が出ないように細心の注意を払っていた。日の丸の旗を先頭にして、脱原発のデモをやる、それを見ていた沿道の人々は、一瞬、これは何だ、と思ったようだ。しかし、すぐに理解し、拍手していた。これは大きな第一歩だ。これから又、「右から考える」脱原発のデモはやるという。流れは変わってきた。時代は変わる。そう実感した。
*
原発に頼らない安全な暮らしや未来を求める思いが、
右も左もなく、多くの人を動かしています。
これがまさに、時代を変える一歩となるのかも。
針谷氏のブログに、
デモ当日の写真や「シュプレヒコール集」があります。
鈴木邦男さんプロフィール
すずき くにお1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」
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