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2010-11-03up
鈴木邦男の愛国問答
第62回
どうする? 北方領土問題
「北方領土を返して下さいよ」と僕は言った。「何を言ってるんですか、あそこはロシアの領土です。ロシアの国民も現に住んでます」と言う。「それは違います。日本の固有の領土です。1875年に日露間で樺太千島交換条約が結ばれた。これにより千島は日本の領土として正式に認められた。ところが日ソ中立条約を被って対日参戦し、北方領土を不法占拠した。その不法が今も続いているんです」「それは言いがかりです。悪意的な反露キャンペーンです。デマゴギーです」と言う。
戦争によって奪われた領土を、その後の「平和交渉」で取り戻したという例は、ほとんどない。じゃ、戦争によって奪われたものは、戦争によって奪い返すしかないのか。これでは「愛国者同士」の話し合いも、連帯も全く意味はない。長い間の友好の努力も水泡に帰してしまう。絶望的になった。
ロシアの「極右政党」といわれるロシア自由民主党党首のジリノフスキーさんと話している時だった。ジリノフスキーさんは野党ではあるが、プーチンさんやメドベージェフ大統領とも親しいし、与党に対し、かなりの影響力を持っている。「極右政党」の代表というと強硬で、融通の利かない、粗暴な人のように日本では言われるが、実際は違う。知性的だし、ユーモアに富み、紳士的だ。一水会の木村三浩代表とは昔からの友人だ。おかげで僕も三度ほど会っている。
東京に来た時、思い切って北方領土の話を持ち出した。かなり親しくなったと思ったし、酒も入っている。この人なら何でも言えるだろう。そう思って聞いたのだ。他の話なら、「ダー(イエス)」とか「ハラショ(素晴らしい)」を連発するのに、さすがに領土問題では彼も譲らない。国の独立や、アメリカへの反撥では一致するのに、領土問題では全く話し合いにならない。普段は、ジョークを飛ばし、どんな時でも和気あいあいと話が進むのに…。
アメリカがイラクに戦争を仕掛けたことにもジリノフスキーさんは反対し、「イラクを守れ!」と言っていた。イラクのフセイン大統領はバース党であり、いちおう社会主義政党だ。ジリノフスキーさんは「極右」だ。でも、右であれ左であれ、国家の自主独立を尊重する。一水会の木村代表も同じ考えだ。アメリカのやり方は許せない。アメリカと政治体制が違うというだけで戦争を仕掛けることは〈犯罪〉だという。
2003年にフランスのニースで、フランス国民戦線結成30周年大会が開かれ、木村氏と僕が招待されて行った。ジリノフスキーさんも来賓で来ていた。国民戦線のルペン党首を中心に、ヨーロッパの右派政党の代表者が大勢集まっていた。ジリノフスキーさんは、何と、フランス語で30分間、演説した。英語もトルコ語も出来るという。凄い人だと思った。
夜、木村氏と共に、ジリノフスキーさんの部屋を訪ねた。通訳なんかはいない。「じゃ、英語で話そう」となった。明るくて、よく酒を飲み、よく喋る。ジョークも絶やさない。スケールの大きな政治家だと思った。「今日の記念に、これをプレゼントしよう」と我々二人に腕時計をくれた。見ると、文字盤の中央に、ジリノフスキーさんの写真がある。面白い。
僕は、すぐに手首にはめた。ところが木村氏は、もじもじしている。「どうしたんですか?」とジリノフスキーさんが言う。「実は、フセイン時計を今、してるんです」と言って、見せる。フセインの息子からもらったので、大切にしている。やはり、文字盤の中央にフセインの顔写真が貼られている。その時、ジリノフスキーさんは言った。即座に言った。
「オー、ノープロブレム。左翼のフセインは左手に。右翼のジリノフスキーは右の手に。それでいいでしょう」
ほう、うまいことを言う、と感心した。木村氏もホッとして、「そうですね」と言って、両手にはめて、喜んでいた。
そんなジョークをいつも言える人だ。そして、スケールの大きい人だ。でも、「領土問題」だけは、深刻になり、話が進まない。場が暗くなる。「ウーン」と腕組みしながら、考え込んでいた。そして、やおら言う。
「お互いの主張をいくら言い合っても解決しない。よし、この際、サッカーで決めましょう!」と言う。エッ? と思った。領土問題は国家の根本問題だ。皆、真剣に考えている。「極右政党」なら、なおさらだ。それなのに、あっさりと「サッカーで決めよう」と言う。そして言う。
「2対0で日本がロシアに勝ったら、二島を返します。4対0で日本が買ったら、四島を返します」と言う。こんなことを言っていいのかよ、と思った。「いいですよ、それでやりましょう」と僕は言った。これも〈民間外交〉だ。ジリノフスキーさんは与党にも影響力があるし、これで北方領土が返ってくるかもしれない。これはいいと思ったのだ。だから、「ぜひ、やりましょう」と言ったのだ。ところが、ジリノフスキーさんは続けて言う。
「でも日本が負けたら、北海道ももらいます」「いいですよ」と言おうと思って「マズイ」と思った。たとえジョークでも、そんなことを言ったら、右翼に殺される。危ないところだった。それにしても、頭の回転が速い。とても太刀打ちできない。
たしかに、これは酒の席でのジョークだ。でも、ジョークを言い合えるというのは、それだけ付き合いが長いし、信頼し合っているからだ。日露の外交交渉をする人達は、そうした付き合いすらもない。日中もそうだ。北朝鮮との関係もそうだ。相手の懐に飛び込んで話し合うことをしない。日本の首相や外相はコロコロ変わるし、向こうだって、覚えられない。日本の政治家や評論家は「毅然とした外交をやれ」「外国になめられるな!」「戦争を辞さずの覚悟でやれ!」と言うだけだ。いかにも「自分は闘っている」というポーズを示しているだけで、実は何もやっていない。
日露問題では一番頑張って、取り組んできたのは鈴木宗男さんだ。それなのに、アラ探しをして逮捕し、又、近いうちに収監だという。国家の損失だ。刑務所に入れるくらいなら、いっそ、「日本所払い」にして、たとえば3年間、ロシアに行かせて、じっくり協議させたらいい。小沢叩きにしてもそうだが、これでは大物政治家が日本にはいなくなる。小粒の人間だけでは、外国のスケールの大きな政治家たちに太刀打ちできない。
メドベージェフ・ロシア大統領が11月1日、北方領土を訪問した。「実効支配」を強化し、アピールするためだ。保守派のマスコミは一斉に反撥し、「断固たる対抗措置をとれ!」「大使を召還しろ!」と叫んでいる。「お前が直接、ロシアに行って言えよ!」と思ってしまう。うしろの国民向けの強硬論なのだ。なさけない。
やはり、鈴木宗男さんをロシアに行かせるしかない。あるいは、サッカーで決めるか。
*
前原外相は2日、駐ロ大使を一時帰国させると発表。
尖閣の問題とともに、
きちんと相手と向き合っての「外交」が行われてこなかったツケが、
今ここに出てきているのかもしれません。
鈴木邦男さんプロフィール
すずき くにお1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」
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