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2013-07-24up

雨宮処凛がゆく!

第269回

絶対黙ってない議員の誕生!! の巻

当確!

 その瞬間を、私は杉並区・高円寺の山本太郎選挙事務所で迎えた。

 立錐の余地もないほどに、ボランティアや支援者で埋め尽くされた事務所。開票が始まって1時間と少し、テレビに大きく映し出された「当確」の文字。その瞬間、「うおおおおお!」という地響きのような声とともに、全員が立ち上がっていた。

 カメラのフラッシュが焚かれ、山本太郎さんは右手を上げてガッツポーズを決める。窓が割れそうなほどの拍手の音の次に自然と起こったのは「太郎コール」だ。

 「太郎! 太郎! 太郎! 太郎!」

 自然と涙が溢れていた。知らない人と抱き合い、握手していた。信じられなかった。ただただ奇跡が起きたとしか言いようがなかった。こんなに嬉し涙を流したことがないんじゃないかってくらい、泣いた。

 今回の参院選全体の結果はご存知の通り、自民圧勝、ねじれ解消というものだ。

 原発推進、憲法改正、そして弱者切り捨ての勢力が存分に力を得てしまった。

 ある意味で、多くの人が予想していた通りの結果だ。

 だからこそ、山本太郎さんにはどうしても当選してほしかった。今回の選挙において、「最後の砦を守れるかどうか」という位置にいたのが私にとって彼だったからだ。前回の原稿で「思い切り応援しています!」と支持を全開にしてしまうほどに、勝ってほしかった。選挙に関して、自分がそこまで必死になるなんて思ってもいなかった。なぜなら、特定の候補者への支持を表明するということは、場合によっては自分の仕事などにマイナスになることもあるかもしれないからだ。

 しかし、そんな私のショボい計算と保身を、山本太郎さんの「本気」が蹴散らした。

 彼は脱原発の声を上げたことによって本気で仕事を失い、もう後戻りできない崖っぷちの状態でこの参院選に打って出たのだ。だからなのか、その選挙演説は日に日に凄みを増していった。鬼気迫る迫力に満ちていた。それに多くの人が感化されるように、急激な勢いで支持の輪を広げていった。

 去年の6月から7月にかけての、「紫陽花革命」の頃を思い出した。官邸前に毎週末、10万人単位の人が集まった1年前。

 あの時、私は「人間って、信じていいものなんだ」と心から思った。あれだけの原発事故が起き、いまだに15万人以上が避難生活を強いられているというのに進められる再稼働。そんな状況に対して、多くの人が行動し、声を上げた。人間は、本気で「おかしい」と思った時には、ちゃんと行動し、怒りの声を上げるものなんだ。そう思った。

 3・11前、デモや運動に明け暮れる私は時に「好きだねー」「そんなことやってなんの意味あるの?」なんて言葉を投げかけられてきた。そのたびに傷つき、時々本気で自分はおかしいんじゃないかと不安になった。だけど、官邸前に20万人が集ったあの光景を見た瞬間、自分は間違っていなかったのだ、と本当に安心した。そして、人間って、ものすごく信じられる存在なのだ、と思った。他者を本気で信じられること。人間の善意や正義感を信じられること。これほど嬉しいことって、たぶんない。

当確後のインタビューを受ける山本太郎さん

 そして、今回の山本太郎さん当選。66万人以上が、「38歳・無職」の彼の言葉に心を打たれ、一票を投じた。官邸前の20万人の3倍以上の人たちが、わざわざ投票所に足を運び、彼の名前を書いた。それぞれの、切実な思いを託して。

 当確後のインタビューで、ある人が彼に「今後6年間、俳優の仕事はしないんですか?」と聞いた。

 「ここまで原発のこと言ったから、無理じゃないかな」と言ったあと、彼はふと思いついたような顔で、続けた。

 「でも、世の中が変われば、僕が仕事をできるようになるんです」

 そうなのだ。「脱原発の声を上げたら俳優が仕事を干される」という今の世の中が圧倒的におかしいのだ。山本太郎さんは、原発とメディア、そして巨大スポンサーなどの関係によって「表現の自由」がこの国でもっとも奪われている人でもある。もう、あまりにもわかりやすく「表現の自由」を侵害されまくっている。彼が俳優として活躍できる社会。脱原発運動をしながら、それでも本業の俳優を続けられる世の中。それってものすごく健全な社会ではないだろうか。

 もっとも、彼にはこれから6年間、国会議員として大活躍してもらわなければならない。

 今回の選挙を通して思ったこと。

 問題は山積みで、選挙全体の結果は暗澹たるものだ。

 だけど、私たちは、私たちの声を確実に届けてくれる国会議員を生み出した。3・11以降、脱原発の活動に取り組んできた人たちの思いが生み出した議員だ。なぜなら、山本太郎さんにあそこまでの覚悟を決めさせたのは、数々のデモや現場で出会ってきた人たちの思いだと思うからだ。2011年4月10日の高円寺のデモがなければ、そしてその後、デモが全国各地で勃発しなければ、みんなが動かなければ、きっと今の山本太郎さんはいない。3・11以降の様々な運動のうねりが、一人の熱い男を、更に暑苦しくさせた。

 さて、これからが、本当の闘いだ。

 でも、まずは少しの間、喜びたい。この喜びを噛み締めたい。

 最後に。

 山本太郎さんを支えてきたボランティアの皆さん、本当にお疲れさまでした!

応援演説に行った時。山本太郎さんを支持する理由を書きました。

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予想されていたとはいえ、
絶望的な気持ちになった人も多かっただろう今回の選挙結果。
その中で、山本太郎さんや吉良よし子さんなど、
正面から「脱原発」を掲げていた候補が当選したことは、
たしかな希望になりました。
彼らに「任せる」のではなく、一緒に何をやっていけるか。
本当の闘いは、ここからです。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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