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2012-09-26up
雨宮処凛がゆく!
ドイツの倫理委員会。の巻
シンポジウム。左から、伊藤美登里さん、私、立命館大学の高橋秀寿さん。
2030年代に原発ゼロ。政府のそんな方針が、経団連をはじめとする財界の反対に遭い、あっさりと閣議決定が見送られた。
なんというか、怒りとかを通り越して、どこから突っ込んでいいのかわからない状態だ。
そんな状況に呆れ果てていた9月23日、立命館大学で開催された「ドイツ現代史学会」の「復興!・・・でもどこへ? ドイツからの提言」というシンポジウムに出席させて頂いた。
ドイツと言えば、3・11を受けてすぐに「2022年までに脱原発」を打ち出した国。そんなドイツの状況に触れられるのではと思い、楽しみにしていたのだが、やはりこの日、「ドイツの脱原発」に関する話が聞けたので、そのことについて書きたいと思う。
この日、登壇したのは大妻女子大学の伊藤美登里さんと工学院大学の小野一さん、そして金沢大学の仲正昌樹さん。ちなみに当日の皆さんの話の内容はあまりにも高度すぎて、高卒の私は時に「とうとう私、日本語がわからなくなったのか?」という恐怖にとらわれたのだが、とても濃密な時間を過ごさせて頂いた。
さて、そんな登壇者の中で「ドイツの脱原発」に触れていたのが「政治学の立場から」発言した小野氏。お話をうかがい、ドイツの脱原発に大きな影響を与えた「倫理委員会」というものに非常に興味を惹かれたので、当日の資料を読み直し、自分でもいろいろ調べてみた。
ということで、ドイツで初の商業用原発が運転を開始したのは1961年。その25年後の86年、チェルノブイリ原発事故が起きる。脱原発の世論は当然盛り上がり、ドイツでは89年以降、新たな原発は建設されていないという。
そうして2000年、連邦政府と電力業界との間で脱原発合意が成立。内容は、「原子炉の平均寿命を32年とし、耐用年数に達したものから閉鎖する」など。
が、2011年9月、連邦政府と電力会社の合意によって「原発運転期間延長」となる。その半年後に3・11が起き、メルケル首相は脱原発に転換。半年前、「運転期間延長」にOKしていたメルケル首相が福島の事故を受け、政策を大転換させたのだ。
そうしてドイツは福島第一原発事故からわずか100日で「脱原発」を決議。
この英断に重要な役割を果たしたと言われているのが「倫理委員会」だ。
倫理委員会。正式名称は「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」。
資料などによると、福島の原発事故から10日ほどしか経っていない頃にメルケル首相が設置した「賢人会議」だという。17人の委員のうち、原子力業界の関係者はおらず、社会学者や哲学者、キリスト教関係者らなどからなる。メルケル首相の諮問委員会であるこの委員会の「倫理委員会〜安全なエネルギー供給」報告書がドイツの脱原発法案の基礎になっているという。
この報告書を読むと、再生可能エネルギーなどの具体的な提案もありつつ、しかし、「フクシマ」の大災害へのショックが綴られ、そして原発、核エネルギーに対して「倫理的根拠から」という言葉が何度か登場する。また、文中には以下のような言葉が文章が登場する。
「将来のエネルギー供給及び核エネルギーに対する倫理的評価に必要な鍵となる概念は、資源や自然環境を保ちながらの『持続性』と『責任』である。」
「倫理委員会は、エネルギー転換をなすべく人(類)としての責任でこの委員会報告書の結論を提示する」(メルケル連邦首相諮問委員会 「倫理委員会〜安全なエネルギー供給」報告書)
そうして報告書は、リスクを抱えた原発の利用に「倫理的根拠はない」と結論づける。
「倫理」。
原発事故から1年半。果たしてこの国で、「倫理」という視点から原発が語られたことが一度でもあっただろうか? いや、デモや集会の場では、「倫理」という言葉を直接使わなくても、そういった視点からの問題提起に何度も触れた。しかし、実際のエネルギー政策を決める場などで、このような言葉を聞いたことは少なくとも私は一度もない。そして「原発ゼロ」に猛反発する財界などから聞こえてくるのは「経済」、つまり「金儲け」ばかりだ。
「倫理」によって原発が止まるドイツと、「お金」によって止まらない日本。
原発事故を起こした当事国で、いまだに16万人の人が避難生活を強いられているというのに、様々な利権や利害関係が絡み合い、大多数の人が望みながらも一向に進まない脱原発。
報告書でもっとも印象に残っているのは、「人(類)としての責任」という言葉だ。
人として、人類としての責任。一人の大人としての、当たり前の責任。
それを果たそうともしない人たちが、様々な決定の力を持っているということ。そのことこそが、日本の最大の不幸なのかもしれないと改めて思ったのだった。
立命館大学で。
原発の問題に限らず、
「倫理」を理由にものごとを語ることが、
なぜか「きれいごと」として片付けられる。
そんな場面をここ数年、何度も目にしているような気がします。
「人としての責任」が見て見ぬふりをして放置されていること。
そのツケを背負わされるのは、誰よりも将来世代なのではないでしょうか。
雨宮処凛さんプロフィール
あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」
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