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2012-01-25up
雨宮処凛がゆく!
人は江戸時代からストリート・パーティーをしてきた。の巻
昨年末、『デモいこ! 声をあげれば世界が変わる 街を歩けば社会が見える』(Twit No Nukes編著 河出書房新社)という本が発売された。
その名の通り、デモへ行こうと呼びかける本である。しかも親切なことに、まったくの初心者でも自らデモを開催できるよう、「集合場所の確保」から「デモ申請」「横断幕の製作」に至るまでのノウハウが詰まっている。
編著をつとめる「Twit No Nukes」は、ツイッター発のデモである。このデモのすごいところは、一人の20代の介護職員の「呟き」から始まったところだ。原発事故を受けてまだ一月にもならない昨年4月5日、平野さんという男性はツイッターで呟いた。
「もし仮に、ツイッターで人を募って、渋谷辺りで脱原発デモを行うとして、参加したいという方がおられれば、公式RT願います」
その呟きは本人の予想を超えて拡散し、3日後にはミーティングが開かれる。そうして4月30日にデモが決定。しかし、デモ初心者による初デモ、果たして人は集まるのだろうか・・・。が、蓋を開けてみたら、なんと1000人が集結。「ツイッターデモ」伝説の始まりである。
この時のデモには私も参加し、この連載の187回でも触れているのでぜひ読んでほしい。以来、ツイッターデモは月一度くらいの頻度で開催され、私も何度も参加している。
この本に登場するのは、そんな「3・11後デビュー」の人たち、そして「3・11以前から脱原発運動をしてきた人たち」、また「3・11以前は脱原発運動には取り組んでこなかったものの、ワケのわからないデモをやりまくり、デモのノウハウだけはたくさんあった人たち」(まぁ素人の乱とか)だ。
興味深いのは、2000年代に入って一気に進化した「日本のデモの歴史」について触れられた「デモの方法論」「人はどんなデモをやってきたか」という2つの章である。
03年のイラク戦争反対デモで登場したサウンドデモ。DJやミュージシャンを乗せたサウンドカーが先導し、明確に打ち出した「路上解放」。このサウンドデモの手法は「素人の乱」や「フリーター労組」などに受け継がれ、この連載でも散々書いてきたようにメーデーのたびに全国でサウンドデモが開催されてきた。が、海外では80年代から新しいデモが発明されてきたのである。本書で触れられているのは「リクレイム・ザ・ストリート」(ストリートを取り戻せ)。このムーブメントについては、私も『反撃カルチャー』(角川学芸出版)で後野井郁夫さんに話を聞いている。サッチャー政権後期のイギリスで、「貧乏人は飢えて死ね」というような政策が進められる中、若者や労働者階級が躍り始めたことから始まったと言われるレイヴ・パーティー(環境運動と反自動車運動から始まったらしい)。そうして89年にはベルリンで「ラブ・パレード」が始まり、99年に参加者は150万人を突破。そうして00年代なかばから、日本ではサッチャー政権と非常に良く似た政策を掲げる小泉政権のもとプレカリアート運動が始まり、「貧乏人」たちはサウンドデモで踊り狂うようになったのである。
98年に出版された『檻のなかのダンス』(鶴見済 太田出版)は、今読むとそんな状況を予言していたかのようである。「現在世界は人類史上最大、未曾有のダンス・ムーブメントを迎えている」と書く本書では、この動きを「ガマンの限界を超えたカラダが一斉にやりだした大々的な『貧乏ゆすり』なのだ」と書いている。
そんなふうに、3・11を迎える遥か以前から、「デモ」は時代と絡み合うように独自の進化を遂げていた。少なくとも、私はそんな世界規模の貧乏ゆすりのただ中にどっぷりと身を置いていた。そうして3・11を迎え、そのノウハウはこれ以上ないくらい、生かされている。ちなみに本書には、「江戸末期、仮装した民衆がはやしことばを連呼し、踊りくるいながら全国を移動した『ええじゃないか』は、デモンストレーションであるとともにストリート・パーティーでもありました」という文章がある。
そうなのだ。路上パーティーのようなデモというのは今に始まったことなどでは全然なく、遥か昔から多くの人がやってきたことなのだ。
ちなみに最近、仕事の関係で大杉栄の本を読む機会があったのだが、彼が遭遇した「米騒動」の描写を読んでびっくりした。これは、これは、まさに「素人の乱」ではないか!しかも大杉栄は、米騒動を更に盛り上げるためにありもしない噂話をでっち上げ、人々を焚き付けては騒ぎを大きくしていく。そんなことをやからしている大杉栄はなんだか悪戯小僧のようで、めちゃくちゃ楽しそうなのだ。
この国で「デモ」と言うと、「ヘルメットにゲバ棒」「怖い」というイメージがまず沸いてしまう人が多いと思う。しかし、人間は古来から、「もう我慢できない!」という限界に達した時、ブチ切れて暴れ、主張し、要求し、そして様々なものを勝ち取ってきたのである。 そうして今、海に空に放射能を巻き散らし、あらゆるものの汚染が次々と明らかになり、福島の人たちの生活を破壊しまくっている原発を巡り、なんとか利権を守りたい人たちが「収束ムード」を作り、再稼働を進めることに必死になっている。
そんな状況に黙っていたくないからこそ、私はせっせとデモに通っている。デモだけじゃない。こうして原稿を書くこともそうだし、人前に出て話すこともそうだ。人によっては署名を集め、国会議員に働きかけ、座り込みをしている。それぞれの人ができる範囲で、自分の得意なことをすればいい。本書の一章「デモはたのしい」には、以下のように書かれている。
「『そんなことをしても世の中は変わらない』と言う人たちがいます。違います。『そんなことをしても世の中は変わらない』と言う人たちが多いから世の中は変わらないのです」
これまで、この国に住む多くの人は、政治不信などからいろいろなことを諦めてきた。諦めて、行動を起こすことをしなかった。そんな政治への諦めは簡単に「容認」にすり替えられ、原発問題を含め、様々な問題を放置することとなってしまった。
本書には、「デモにやってきた人たち」の声も収録されている。彼らの声に、ぜひふれてほしい。
デモいこ!---声をあげれば世界が変わる 街を歩けば社会が見える
(TwitNoNukes編著/河出書房新社)
言いたいことをちゃんと言う、行動に表す。
それは何も今、初めて始まったものではない。
教科書に出てくる「米騒動」だって、
当時のフツーのおっちゃんおばちゃん、若者たちが、
「もう我慢できない!」と路上に出た、ものだったわけで…。
あなたはどんな形で「行動」しますか?
雨宮処凛さんプロフィール
あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」
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