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2011-11-30up
雨宮処凛がゆく!
今度の標的は「高齢者」「年金受給者」? の巻
前回の原稿で、行政刷新会議による「提言型政策仕分け」について、触れた。とにかく「命の仕分け」にならないようにと願っていたが、その結果はやはり残念なものだった。
事実上の生活保護費の引き下げや、医療費の一部自己負担を検討、などという提言が出されてしまったのだ。保護費の引き下げについては、「働いてもそれ以下の賃金しかもらえない人たちがいるんだから贅沢だ」という声もあるかもしれない。しかし、保護費が引き下げられれば、それが「最低基準」となり、最低賃金などがもっと引き下げられてしまうかもしれない。一方で「医療費の自己負担くらい当然」という意見もあるだろう。しかし、生活保護費には最初から医療費が含まれていない。食費をとるか、医療費をとるかという究極の選択が待っている。ちなみに以前も書いた通り、保護を受けている42.6%が65歳以上の高齢者世帯。次いで多いのは傷病者世帯で21.6%。次が障害者世帯で11.3%。病気を抱えていたり高齢だったりする人たちがお金が壁となり、医療にアクセスできなくなることはまさに命にかかわることだ。
さて、そんな提言型政策仕分けの社会保障分野で生活保護と並んで取り上げられたのは「年金」だ。中でも、デフレとの関係で「累計7兆円規模の年金のもらいすぎがある」という指摘は大きく報道された。
小宮山厚生労働大臣は、年金の支給額の引き下げを検討するという。
年金については、「世代間格差」「不平等」という声を多く聞く。確かに、現在の制度では、若ければ若いほど「損」をすることは明白だ。
しかし、今回の「仕分け」を受け、私には非常に気になっていることがある。それは「年金受給者」「高齢者」バッシングがひどくなっているように思えることだ。
報道を見ていてもそれは感じる。趣味のカラオケに興じたり、ゲームセンターでゲームしたりという姿がやたらと強調され、「若い世代が大変なのに、年金を貰って遊び暮らしている高齢者」的な描かれ方が目立つのだ。まるで、若い世代の「怒り」を煽るかのような。そこに何か、うまく言えないけれど、激しく危機感を感じている。そこには生活保護受給者と同じように、特定の誰かを「お荷物」ととらえる意図を感じるからだ。
ご存知の通り、日本は少子高齢化が世界でもっとも進行している国である。少子化については、いわゆる子育て世代のほとんどが低賃金、長時間労働、不安定な雇用形態、貧困、過労などのいずれかに、または複数に直面している実態があり、更には「女性が働きながら子育てをする」ことに冷たい国であることは誰の目にも明らかだ。
その一方で、この国は世界一の長寿国であるという事実がある。本来、これは喜ばしいというか、目出たいことだと思うのだが、もうずーっとこの事実そのものが「目出たくないこと」として語られてきた。そこにあるのは高齢者を「お荷物」と捉え、どう支えるのか、その財源はどうするのかということに終始する目線だ。
今年8月、おそらく初めての「生活保護受給者によるデモ」が開催された。その時に掲げられていたプラカードで印象に残っているものがある。それは「人の命を財源で語らないで」というものだ。「少子高齢化で大変だ」と強調されるあまり、私たちの感覚はどこかで麻痺しているのかもしれない。大切なのは財源よりも、今そこで生きている一人一人の命であり、人生であるという当たり前のことが通用しなくなっている。
さて、年金の問題は生活保護とも密接に絡んでくる。なぜなら、何度も書いてしまうが生活保護受給者の半数近くを占めるのは高齢者世帯。その中には無年金の人も少なくない上、「年金では生活できないから」生活保護を受けている人もいるからだ。障害者世帯もしかり。高齢者や、障害や病気で働けない人への年金が充実すれば、生活保護受給者は一気に減るだろう。
11月9日、弁護士会館で行われた記者会見に参加したことは210回の原稿で書いたが、そこである弁護士さんが話したことが非常に印象に残っている。それはスウェーデンに調査に行った時のこと。スウェーデンで日本の生活保護に相当する給付を受けている人は日本より遥かに多いというものの、どういう人が受けているかというと、「歯の治療にお金がかかるので、そのために一時期受ける」というパターン。もうひとつは「薬物依存やアルコール依存」の人たち。いわゆる高齢者世帯、障害傷病世帯はほとんど利用していないのだというから驚いた。なぜなら、他にちゃんとした社会保障給付があるからだという。
また、この時に弁護士さんは言った。
「生活保護利用者、或いは生活保護費を減らそうとすれば、単純な話、年金を増額すればいい。年金給付額を増やすのか、それとも増やさずに生活保護給付をするのか、選択の問題です」
このように、生活保護と年金の問題は切っても切れない関係がある。それがまず、「提言型政策仕分け」という場でバラバラに取り上げられたこと自体に違和感を感じるのは私だけではないはずだ。
しかし、このまま行けば高齢者・年金受給者バッシングは、厳しい状況に置かれた現役世代の支持を受け、広がっていく可能性が充分にある。そこでまず知っておいてほしいのは、現在の日本で貧困率がもっとも高い世代は60代以上の高齢者であるということだ。全世代の貧困率は16%だが、高齢者は20〜22%と言われている。「悠々自適な老後」を送ることができる人がいる一方で、貧困に喘ぐ高齢者はきっとこの国の人が思うより多い。今月6日に大久保のアパートで火災があり4人の命が失われたが、あのアパートには多くの単身高齢者が住んでいた。そんなふうに周囲を見渡せば、あなたの周りにも「あの人、大丈夫かな」というお年寄りがいないだろうか。また、時折「高齢者の万引きの増加」などが報道されるが、そこに浮かび上がるのは「孤独」と並んで「貧困」だ。
年金問題が取り上げられるたびに、おそらくこれからもっと「悠々自適な年金生活者」といった像が一人歩きする恐れがある。しかし、それは一面では事実であってもすべてではない。また、単純に、そんなバッシングの果てに年金が大幅に引き下げられ、高齢者が相対的に貧しくなったらどういうことが起きるだろうか。ただでさえ厳しい現役世代や貧しい若い世代が、貧しい親や祖父母を経済的に支えなければならないなんてことが起きるのは容易に想像がつく。これはキツい。そこで思い浮かぶのは、自殺や一家心中が激増するだろうということだ。
今、少ない椅子を奪い合うような対立があちこちで起きている。世代間対立もそうだし、就活の厳しさもそうだし、正規と非正規、民間と公務員などもそうだ。もちろん、財源などの問題は重要だ。しかし、ものすごく身近な話で言うと、自分のお婆ちゃんとか高齢の親戚が、お金がなくて惨めな思いや悲しい思いをしたら・・・と考えるだけでなんだかもう泣きたくなってくる。全体の「高齢者」として考えると財源論で語る人も、自分の身内のこととなるときっとそんなにドライに割り切れないはずだ。
ちなみに本当にどうでもいいことだが、私の「好きなタイプ」の譲れない条件のかなり上位には、「お年寄りに優しい」という項目がある。
更にもうひとつどうでもいいことを付け加えると、私のお婆ちゃんは地元・北海道滝川市で初めてパーマをかけたハイカラさん、というどうでもいい伝説の持ち主でもある。
「高齢者」「フリーター」「生活保護受給者」「公務員」…
言葉の持つイメージだけにとらわれるのでなく、
その向こうにある一人ひとりの思いや日常ときちんと向き合うこと。
そのための想像力を持つこと。
いま、私たちに欠けているのはそういうことなのかもしれません。
ときに自戒も込めて、問いかけ続けたいと思います。
雨宮処凛さんプロフィール
あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」
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