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2011-10-19up

雨宮処凛がゆく!

第207回

「OCCUPY TOKYO」と「怒れる者たち」のデモと「反貧困世直し大集会2011」の巻

OCUPPY TOKYOにはなんと作家の矢作俊彦さん、作家の高橋源一郎さん、社会学者の小熊英二さんも駆けつけてくれました!!

 なんだかすごい週末だった。

 なぜならタイトル通り、15日には「OCCUPY TOKYO」と「怒れる者たち」のデモが、そして16日は反貧困ネットワークの「反貧困世直し大集会」があり、丸2日間、「活動漬け」だったからである。

 ということで、まずは「OCCUPY TOKYO」。

 ウォール街占拠の国際アクションデーであるこの日、「私たちは99%だ」という主張に共感した人たちによって、なんと世界中1500カ所で「OCCUPY」=占拠アクションが実行されたのはご存知だと思う。東京では日比谷公園でデモが開催され、大阪でも「OCCUPY OSAKA」と名付けられたアクションがあり、路上を占拠して鍋&レイヴパーティー。で、私はというと、レイバーネットの松元ちえさんたちと「共謀」し、六本木の公園を「占拠」。昼12時から「OCCUPY TOKYO」と相成ったのであった。

OCCUPY TOKYOの様子

 告知期間が少なく、当日午前には雨となったものの、参加してくれたのは200人ほど。みんなが持参したプラカードには思い思いの言葉が躍っている。「WE ARE THE 99%」「若者も怒ってるぞ!」「私たちの未来は企業が作るものじゃない!」「銀行は詐欺をやめろ」「貧困・格差にNO」「だれかを犠牲に安穏と生きるのは卑怯な生き方だ」「貧乏人は集まるぞ!」「東京を占拠するぞ!」「兵器より社会保障」「原発輸出反対! 他人にヤバイもん売って金もうけすんな!」「原発も格差も根っこは一つ」。

 参加したほとんどが、ツイッターなどを見てやって来たというお互いが初対面の人たちだ。そうして初対面の人たちの前でみんなはアピールする。「若者も怒ってるぞ!」というプラカードを持参した学生は、誰かを踏みにじる経済成長やグローバリゼーションをシャウトしながら批判。「原発のせいで大事な家族を失った」というプラカードを持ってきた若い男性は、2日前に福島のお通夜から帰ってきたことを話してくれた。両親の出身地が福島だというその男性には、病気の身内が福島にいたという。その人の病気は震災前までは快方に向かっていたものの、3・11以降、原発事故による心労で病気が悪化、数日前に亡くなってしまったのだという。

 「原発事故から7ヶ月が経ちますが、今もこうして死者は増え続けています」
 そう男性は語った。

 また、公園ではネットでワシントンやカリフォルニアでOCCUPY中やこれからOCCUPYしようと計画中の人々と生中継。

ネットでワシントン、カリフォルニアと連帯。松元ちえさん。

 「自分たちは人権や住む権利、健康に関する権利などを求めて闘っている。今、権利を求めて世界中で多くの人が闘っている」「世界の不正義に対して闘いたい」といった熱い連帯メッセージに参加者たちは盛り上がる。その上、嬉しかったのは「脱原発」についても触れてくれたこと。ワシントンの人は「今、アメリカのすべての原発、核施設を止めるために闘おうとしている」と発言し、カリフォルニアの人はこう言った。

 「3・11で原発が人にもたらす危険を見て、止めなければならないと思った。今、世界中の人が日本を見ている。共に原発反対で連帯しよう。世界中で繋がり、欲望が渦巻く社会を変えよう」

 また、韓国からの連帯メッセージも読み上げられたのだった。

 そうしてみんなで公園でカレーを食べ、私は午後3時からの「怒れる者たちの国際連帯行動」のデモへ。「ウォール街に連帯しよう!」というかけ声で始まったデモには「格差社会を強制終了」「生きる権利を再起動」「占拠万歳」「金持ちばかりが得する社会はおかしい」「1%の連中は皆去れ!」「まっとうな仕事と住宅が欲しいだけ」「皆で路上に出よう! もっと文句を言おう! 労働と消費だけが人生の全てじゃないぞ!」といった言葉が躍り、300人で新宿の街でひたすら叫んだのだった。

公園でカレーを食べる。OCCUPY にごはんは重要。

 「ウォール街連帯!」「タハリール連帯!」「チュニジア連帯!」「99%が世界を変える!」「1%を許さない!」

 そうして異様にテンション高くデモは終了。前回の「原発やめろデモ」では12人もの逮捕者が出たわけだが、今回は1人の逮捕者もなく、無事にデモを終えたのだった。

 さて、その翌日には法政大学で「反貧困世直し大集会2011 震災があぶり出した貧困」。全体会のリレートーク「被災者・被災地から」では、東電からの仮払金や義援金を理由に生活保護を打ち切られた南相馬市の人や、自らも津波で家が流された人などが発言。また、原発から3キロの双葉町に住み、15年間原発で働いていたという人も登場した。その男性の労働環境はというと、雇用保険も社会保険もなし、怪我などをしても病院代は自分持ちという「一人親方」的な働き方。しかも3・11の原発事故後、埼玉に避難していたところを呼び出され、4月前半には1週間ほど爆発した福島第一原発4号機で働いていたのだという。なぜなら、当時は無収入だったから。日当はというと、1日1万9000円と言われていたものの、実際は1万8000円。事故前は線量の低い場所で働いていたからマスクなどはしていなかったものの、4月の時には完全武装の防護服で働いていたという。

プラカード

「怒れる者たち」のプラカード

 3・11を経て、この国では様々な制度の綻びや矛盾が噴出した。「誰かが必ず犠牲になるシステム」を私たちは今、目の当たりにしている。

 そして現在、世界規模でも1%の勝者だけが得をし、残りの99%が皺寄せを食らう「犠牲のシステム」に対する不満が噴出している。アメリカでも、イギリスでも、スペインでも、イタリアでも、そしてアジアでも多くの若者が立ち上がっている。

 次回の「OCCUPY TOKYO」は現在、企画中だ。

 15日、参加したある若者は言った。
 「まずは今日、いろんな人と繋がりたい。そしてここから社会を変えていきたい」

 ぜひ、多くの人に参加してほしい。

「怒れる者たち」のデモ

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自分たちの権利を求めて、きちんと声をあげること、闘うこと。
そしてそのために、たくさんの人とつながること。
そういう当たり前のことを、
今まで私たちはあまりにも疎かにしてきていなかっただろうか。
そんなことを考えます。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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