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2011-09-07up

雨宮処凛がゆく!

第202回

9月11日は新宿で「原発やめろデモ」!! 〜ようこそ、企みの最前線へ〜 の巻

9月5日、「原発やめろデモ」の記者会見の様子(写真提供:小池延幸さん)

 あの震災から、もう半年が経とうとしている。

 最初はただただ呆然とし、言葉を失い、放射能に怯えて外出も控え、ネットなどで勃発する「原発危ない派」と「不安を煽るな派」の壮絶なバッシング合戦に怯え、当然原発についても放射能についても何もわからないままただオロオロし、東京から続々と避難していく友人・知人たちの「逃げないの?」という言葉にもどうしていいのかわからず、猫2匹を抱えてひたすら「どうしよう・・・」という言葉ばかり繰り返していた。

 そんな私が「自分」を取り戻したのは4月10日に参加した高円寺の「原発やめろデモ」。この日、本当に久々に人と会い、原発についてざっくばらんにいろいろな人と話したことが、今の自分を形作っているとつくづく思う。

 前にも書いたが、あれだけの事故を前にしても、3・11直後の私には「“原発反対”とかって言っていいものなの?」という迷いがどこかにあった。なぜなら、その言葉は私にとって「一部のド左翼の人のみに発言が許された言葉」という、今になって思えば本当に失礼極まりないのだが、そんなイメージとともにあったからである。まぁこの事実だけとっても、それほどに「原発の安全神話」が私の心にまで刷り込まれていたということの証拠なのだが、もうひとつ、「原発反対」と言い出すことに躊躇していたのは、「原発推進派」とかの人にいろいろ突っ込まれたら絶対に何も答えられない自信があったからである。だって、原発問題って難しいんだもん・・・。

 しかし、4月10日のデモで少なくない人が私と同じような思いを抱え、それでもいても立ってもいられなくて「原発いらない!」と声を上げるために集まった(しかも1万5000人!)という事実は、何かこれ以上ないくらいに私を勇気づけてくれるものだった。

 以来、デモに参加すること9回。9月11日に新宿で開催される「原発やめろデモ」で、3・11以降のデモ参加回数は晴れて10回目となるわけである。

 そんな半年を振り返って、つくづく「勉強した半年だったな・・・」という思いが込み上げた。原発について、その歴史について、そしてその労働現場について、様々な人に話を聞いた。その成果は9月20日に『14歳からの原発問題』というタイトルで河出書房新社から出版されるのでぜひ読んでほしいのだが、もうひとつ、特筆しておきたいことがある。

 それはこの半年を振り返って、多くの人の「意識の変化」を強く感じるということだ。

 あの震災以来、政府やメディアへの不信感は、もう誤魔化ししようがないほどに大きなものとなってしまった。ある意味、私たちはこの国の様々な矛盾について、強制的に目を開かされるような経験をしたと思うのだ。興味があろうとなかろうと、関心があろうと無関心だろうとそんなことは関係なく、あの日以来、私たちは様々な問題の当事者となった。だからこそ、「デモは初めて」という多くの人が脱原発デモに押し寄せた。このことは、「もう何も信じられないから、自分の手で自分たちの未来を作り変えていくしかない」という強烈な意思表示に思えるのだ。ある意味、崖っぷちの覚悟のような切実さとともにあるような。そんな気迫を、何度も感じた。「デモには初めて参加する」という人たちからだ。

 一度目を開いてしまうと、決してそれ以前の自分には戻れない。今まで見えなかった問題が次々と見えてきてしまうからだ。そうなってしまうと、今までと同じような振る舞いの多くは「見て見ぬふりをすること」と同義になってしまう。3・11以降、きっと多くの人が「自分自身がまるごと書き換えられる」ような経験をした。あの震災はあまりにも多くのものを奪い去ったが、何の因果か「生き残った」人の中には、強烈に様々な問題に「目覚めた」人もいる。

 そうしてもうひとつ書いておきたいのは、そんな3・11以前、私たちは中東で起きた革命を目撃したということだ。

 このことについて、素晴らしいインタビュー記事を発見した。ビッグイシュー9月1日号に掲載されている経済学者の浜矩子さんへのインタビューだ。浜さんは中東・北アフリカの動きに触れて、以下のように語っている。引用しよう。

 「あれは、まさにグローバル市民主義の姿だったと思います。国境を越え、階層を越え、いろんな人たちがネット空間という今日的なものを使い、ああいう形で市民が連帯する姿は一つの感動的な展開で、グローバル市民主義が一つのかたちをもって動いたと言えますよね」

 そこで大切なのは「陰謀」だ。

 「陰謀のベースには怒りがある。グローバル市民のコミットメント力の背景には、賢い怒りというか、巧みな怒りというか、それこそ『僕富論』的ではない、怒るべきことにちゃんと焦点のあった怒りが必要になってきます。的外れな陰謀では自滅してしまいますから」

 インタビューで、浜さんは震災を受け、「ますますグローバル市民が問われているのではないかと思っています」と語っている。また、以下のようにも。

 「まさに私たちは、お互いをボランティアとして支え合うほかないという状態になってきた。逆にいえば、市民たちが主役に躍り出る一つの大きなきっかけになるという面もあります。こういう展開を通じて、主体である市民たちをサポートする国家の役割が新しく構築されていくかもしれません」

 3・11は、多くの人の思考の回路を書き換えた。そして私は4月10日のデモに参加して以降、「素人の乱」のデモ会議に参加し続け、「陰謀」を続けている。強制的に目を開かれた人たちはあの日の前の自分には戻れないし、ここまで不信感を増大させてしまった政府やメディアも決してあの日以前には戻れない。

 そんな震災から半年の今、思うのは、「国家のあり方」とか「今まで消費者としてしか存在しないことになっていた一人一人の役割と責任」とか、或いは日常的なことで言うと「ネットの使い方」とか、そういうものまでが劇的に変わっていくのではないだろうか、ということだ。いや、既に「企みの最前線」である私の周りでは変わっている。着々と、3・11を受けて様々なことが変化している。

 さて、9月11日は新宿アルタ前で午後3時11分に「原発やめろデモ」が出発だ。

 私たちはどうやら、3・11以前とは別次元の別の思考で生きることでしか状況を打開できないようである。誰かは決してなんとかしてくれない。そのためには、まずは意思表示をしよう。

9・11 新宿原発やめろデモ!!!!! の詳細はこちらで。 http://911shinjuku.tumblr.com/

9月5日、「原発やめろデモ」の記者会見の様子(写真提供:小池延幸さん)

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もはや、いろんな意味で私たちは「3.11」以前には戻れない。
それは多くの人が、たくさんの場面で感じていることではないでしょうか。
戻れないのならば、前に向かって進むしかない。
そう強く思います。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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