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2011-07-27up
雨宮処凛がゆく!
しゃもじに書かれた「主婦をなめんなよ!」の巻
牛肉からセシウムが検出されたり、その肉が既に流通してしまっていたりと原発事故の被害は拡大し続けているが、そんな7月23日、ツイッター発のデモに参加した。
このデモは、ツイッターでの個人の呼びかけから始まったもので、一度目は4月30日。なんと1000人が参加し、その時の模様はこちらで書かせて頂いたのだが、5月末には2度目が開催。そうして今回、3度目の「脱原発デモ@渋谷・原宿」となったのであった。
6月11日以降、デモに参加できていなくて「自分内デモ不足」に悩まされ、欲求不満気味だった私は喜び勇んで参加。「東京電力」ならぬ「東京癌力」の旗や「サヨナラ原発」の横断幕、また「放射能汚染の食物何年食べ続けるんですか?」というプラカードが乱立する中、2時間かけて渋谷・原宿を一周したのだった。で、今回も飛び入り参加者がやたらと多く、到着時にはデモ隊は950人に(主催者発表)!
「東京癌力」ののぼり。これ、欲しい・・・。
デモ中、嬉かったのは渋谷の沿道で花屋のオバチャン(エプロン姿) がライブハウスのバンギャかと思うくらいのハイテンションで拳を振り上げ、応援しまくってくれたことだ。コーラーがトラメガを渡すとノリノリで「原発いらない」コールをブチかましてくれる。考えてみれば、食品の汚染については口に入るものだから至るところで話題になっているものの、花だって汚染に晒されているのだ。このように、メディアで話題にはならなくても、あらゆる職種の人が被害に悩まされている。
さて、そんなデモで目立っていたのは「主婦をなめんなよ!」というしゃもじを持った割烹着姿の一群。デモのあと、彼女たちから「原子力のない暮しの手帖」(緊張の夏 保存版)というものを購入したのだが、これが面白い。1ページ目にはこうある。
「台所はもはや放射能と闘う最前線になった。okanはこの戦場で、日々情報を集め、ヒッシに勉強し、献立を考えているのである。ホントだったら、安くて美味しいものを作りたいよ! 忙しい時はテキトーな冷凍食品ですませたいよ。okanは、愛する家族を守るべく、ここに声明を発表する。
1 国は、原発の情報を開示しろ。
2 国は、放射能への対策として、まずは速やかに暫定基準値の見直しをしろ。
3 国と企業は、「風評被害」として、消費者に責任を負わせることをやめろ。
4 そんでさ〜、原発の話しちゃいけないムードなんとかなんないの? 奥さん」
そんな声明の横に書かれているのは「福島の子供はみんなの子供。okanは更年期とも闘うが、脱原発にむけても闘う」という一言。
カッコいい! okan! と、何か一気に割烹着姿のokanたちのファンになってしまったのだった。
「主婦をなめんなよ!」のカッコいい割烹着さんたち。
ちなみに原発事故後、ドサクサに紛れて引き上げられた暫定基準値はあまりにもメチャクチャで、飲料水の放射能基準値にいたっては原発の排水の7倍(!)という恐ろしいことになっている(朝日新聞2011/4/28)。問題意識を持つ持たないにまったくかかわらず、そういう現実を既に私たちは生きているわけである。
そうして今、飲料水だけでなく、あらゆるものの汚染を気にして生きていかなければならない。野菜、魚、肉、お茶、牛乳・・・。本気で考えれば考えるほど一体何を食べればいいのかわからなくなり、そのうち考えるのが面倒になってきて「ま、私は劣化ウラン弾がバンバン落ちてきたイラクでイラク産と思われる野菜食べまくってきたから既に10年以上前の時点でアウトかも★」という気分になり、思わず思考停止してしまうという悪循環に入りつつある。また、食べものに関することでは報道を見ていても、明らかに「風評被害」と「健康被害」を意図的に混同しているとしか思えない論調も散見され、思わず「被曝を促進させているのでは?」と耳を疑うことも多い。だけど「汚染」が一時的なものではなく既に日常となりつつある今、多くの人が慣れているのも感じる。私自身も、相当この現実には随分慣れてしまった。だからこそ、「放射能汚染を気にする派の人」(もうこういう派閥になってますよね)にあまりにも「気をつけた方がいい」と言われると、なんだか「宿題をしようとした瞬間にお母さんに『宿題をしろ』と言われた小学生」のように、「わかってるもん!」という気分になってしまうことも少なくない。わかってる。わかってるけど、どうすればいいというのだ、という遣る瀬ない気分。いつまでこんな気分を抱えなくてはいけないのだろう・・・。
プラカード。
そしてそんな現実は、酪農家や農家の人たちを苦しめている。6月には、福島県相馬市の50代の酪農家の男性が「原発さえなければ」と書き残して自殺している。今は食肉関係の人たちが大変だろう。ユッケの問題で打撃を受けたところにセシウム汚染。最近、知り合いから「BSE問題でたくさんの借金を抱え、バイトとかけもちしながら頑張っていたものの、今回のセシウム汚染でますます大変」という焼き肉屋さんの話を聞いた。
「安い」ことがメリットとされてきた原発だが、こういった補償はもちろん1円たりとも含まれていない。というか、まさか今回の事故がこんな形で膨大な人々の仕事や生活に影響を及ぼすことなど一部の人以外、誰が予想していただろう。「絶対安全」という言葉の前に低く見積もられていたリスクが今、剥き出しになっている。
最近、原発に関する書き下ろし本を書き上げたのだが、取材の過程である人から非常に興味深い話を聞いた。
アメリカでは、建設したものの一度も稼働していない原発があるのだという。理由は、「これから動かしますよ」という時に実施された避難訓練で、「ペットを連れて逃げられない」ということがわかったから。当然、住民の大反対にあい、巨額を投じて建設された原発は動かせなくなった。
翻って、日本では事故が起きた場合に起きうることが、誰か一人にでも伝えられていただろうか? 情報が公開され、民主的な手続きが必要とされればされるほど、稼働が難しくなる原発。ここに本質的な矛盾があるように思う。
今、世界には、440基の原発があるという。
54基の原発がある日本は、その1割以上を一国で抱えていることになる。ちなみに日本列島は地球の表面積のわずか0・3%足らずなのに、長期的な平均では地球の地震の約1割が発生しているそうだ(朝日ジャーナル緊急増刊 『原発と人間』「原発震災」を繰り返さないために 石橋克彦)。
世界の1割の地震が起きる国で、世界の1割以上の原発を抱えているという事実。そんな命がけのギャンブルをしたい人は勝手にすればいいと思うが、人を巻き込むのはやめてほしいというのがこの4ヶ月以上、思い続けていることである。
仕事の途中にデモに参加した「素人の乱」松本哉さんと。それにしても、賞味期限の気になるプラカードだ。
毎日の食事の支度をするのに、「放射能汚染」のことを考える。
少し前ならSF映画? とも思えただろう状況も、
長く続けば「日常」になってしまう。
でも、その「日常」に慣れて黙り込んでちゃやっぱりいけない、のです。
次の土日も、各地でデモが予定されています。
雨宮処凛さんプロフィール
あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」
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