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2011-07-13up
雨宮処凛がゆく!
電力のためには「しょうがない」のか? の巻
原子力資料情報室の西尾漠さんと。(写真・七つ森書館)
悪夢のような震災から、あっという間に4ヶ月が経過した。
今まで生きてきて、これほどいろいろなことを考えざるを得なかった4ヶ月間というのもなかった気がする。
4ヶ月前と比べて、あまりにもいろいろなことが変わった。
被災地にいる人は家を失い、職を失い、大切な人を失った。そして直接的には被災していない人たちも、様々なものを失った。例えばメディアへの信頼感もそうだろうし、この国の政府に対する微かな希望を失った、という人もいるかもしれない。「自分の将来に対して建設的に考えること」そのものを失った、という人もいる。
その大きな要因は、やはり原発だ。
この4ヶ月ほど、これほど「原発」について考えたことはないという人が多数派だろうと思う。私もその一人で、本当にいろいろなことがわかった。玄海原発再稼働に向けての「やらせメール問題」に象徴されるようなやり方、利権の構造、お金の流れ、地域の雇用や人間関係と密接に絡み合い、まるで生活そのものを人質にするような原発。135万キロワットの原発一基を作ると、稼働するまでの10年間で480億円、稼働後の10年間に400億円が国民の税金から自治体に支出されるのだという(「創」2011年8月号「1000万人による反原発運動を」鎌田慧)。
そして今、定期検査中の原発をなんとかして再稼働させたいという思惑が渦巻いているのを感じる。
それに対し、「電力のためならしょうがないよね」「経済のためには仕方ないんじゃないの」という声も聞こえる。
「しょうがない」。一見、軽く聞こえるこの言葉の「重み」を、3・11後、私は噛み締めている。
振り返ると、私自身も3・11以前は原発について積極的に知ろうとなどせず、「上関原発建設反対」の文化人賛同に賛同する以外は、なんの行動も起こしていなかった。そこには「原発問題ってなんか難しそう」という思いもあったものの、浅い知識の中、心のどこかで「まぁ、電気とか足りなくなったら困るし、しょうがないんじゃない?」という思いがあったことは否めない。
しかし、その「しょうがない」の果てに起きうることを、私たちは目撃してしまった。
ひとたび事故が起きれば生活を根こそぎ破壊され、自分の住む家にいつ戻れるかわからないまま避難生活を強いられ、職を失い、そこで培った人間関係も断ち切られ、生活の糧である田畑から引き離され、「すぐに戻れるから」と言われたものの戻ることもできず、置いてきたペットや家畜の餓死を案じなければならない日々。
これが「しょうがない」の一言で済まされることなのだろうか? というか、原発事故によってあらゆるものを失った人に、「でも、電力のためには、日本経済のためには仕方ないよね」と言える人などいるだろうか?
しかし、私も含めたこの国の多くの人は、「しょうがない」という言葉でそのことを容認してきてしまった。そんな薄い意識が、この国にある原発を稼働させ続け、安全神話をどこかで補完し続けてきた。それがこんな悲惨なことになるなんて想像もせずに。
人気のなくなった20キロ圏内で痩せた犬たちが吠える姿を見た時、そして餓死した動物たちの死体を見た時、3・11以前の自分が何気なく思っていた「しょうがない」という言葉の残酷さに、頭をかきむしりたくなった。あれが「しょうがない」の果てに起きた現実なのだ。とにかく原発を作りたい、動かしたい、それで儲けたいという人たちは、地元に「絶対に安全です」とだけ繰り返してきた。「事故が起きたらどうなるか、いつ戻れるかもわかりませんよ」「ペットや家畜は置き去りにされますよ」「農業や酪農をやってたら取り返しがつかないことになりますよ」なんて誰も言わなかった。
そして今、定期検査中の原発を動かそうという人たちは「試験の結果安全が確認されました」とだけ繰り返すだろう。「電力不足」などが大々的にアピールされれば、「しょうがないよね」という当事者性の薄い世論は作りやすくなる。そうして事故が起きれば、また同じ地獄がこの国に出現することになる。
もうこれから先は、2度と「しょうがない」という言葉は使わない。原発事故後、私が決めたことだ。「しょうがない」と思考停止する前に、それを容認してしまった果てに起きうることすべてをシミュレーションすること。そして「しょうがない」という言葉は、どんなに断腸の思いで使っても、結果的には積極的賛成となんら変わらないことだと常に意識し続けること。
原発事故から4ヶ月が経った今、改めてそう誓った。
※次回「原発やめろデモ」は8月6日です!! 詳細はまだ未定!
西尾さんとのトークセッションで。(写真・七つ森書館)
数多くの命が脅かされること。
生活が破壊され、多くの人の故郷が奪われること。
それを「しょうがない」と片付けられる理由など、どこにもない。
けれど知らず知らずのうちに、
その「しょうがない」を受け入れてしまっていたのが、
「3.11」以前の私たちだったのかもしれません。
もうこれ以上、同じことを繰り返さないために。
何をすべきかを、自問し続けたいと思います。
雨宮処凛さんプロフィール
あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」
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