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2011-06-29up
雨宮処凛がゆく!
劣化ウラン弾が降り注いだイラクで私が見た光景。の巻
先日、遅ればせながら『ヒバクシャ 世界の終わりに』『六ヶ所村ラプソディー』『ミツバチの羽音と地球の回転』を見た。すべて鎌仲ひとみ監督の作品で、原発や核、被曝、エネルギーをテーマとしたドキュメンタリーだ。現在進行形の放射能汚染を生きるこの国に住むすべての人必見の映画だろう。
これらの作品を見て、ずっと書くかどうか迷っていたことを書く気になった。
それは、私がイラクに行った時のこと。
なぜ書くのを迷っていたのかというと、そこで見た光景が凄惨すぎてトラウマっぽくなっていたことと、書き方によっては「変に恐怖を煽る」ことになってしまわないかがとても気になっていたからだ。しかし、鎌仲監督の『ヒバクシャ』には、劣化ウラン弾が降り注いだイラクで癌や白血病に苦しむ子どもたち、アメリカの核施設の風下で何十年も汚染に晒された結果、癌が多発している地域で暮らす人々、そして広島の原爆で被曝した人が登場し、彼らに共通する言葉として「ヒバクシャ」という言葉が使われていた。そして今、3・11後のこの国では、多くの人がリアルな「被曝」に怯えているという現実がある。そんなことを見据え、私がイラクで見たことを書こうと思ったのだ。
3・11以降、私は5回の「脱原発」「反原発」デモに参加しているが、その時に多くの人が掲げているプラカードには「NO NUKE」と書かれている。私自身もそんなプラカードを掲げるが、私が初めて「NO NUKE」を掲げてデモをしたのは03年、イラク戦争一月前のバグダッドでのことだった。911テロを受け、アメリカがイラクにいちゃもんをつけてまさに攻撃を開始しようとしている頃。「とにかく戦争を止めたい!」という意志のもと、イラクに乗り込もうという命知らずの寄せ集めの数十人が名乗ったのは「ブッシュ政権のイラク攻撃に反対する会」。出発の前日には外務省からイラクへの「邦人避難勧告」が出ていた上、イラク周辺には既に2万人の米軍が配備され、空爆は秒読みと言われていた。そんなイラクに乗り込み、とにかくアメリカに「イラクを攻撃するな!」と訴えた私たちのデモ隊が掲げた横断幕に書かれた言葉が「NO WAR」と「NO NUKE」だったのだ。ちなみにこの横断幕、私の家から持ってきたシーツと私がドン・キホーテで買ったマジックで作った。それを作ったのは私たちが泊まっていたパレスチナホテルだ。
で、当時は今にもまして頭が悪かった私は、「NUKE」という言葉の意味がわからなかった。というか、私以外にもよくわかってない人がいた。「ヌケって何?」ということになり、誰かが「核だ!」「劣化ウラン弾だ!」と言い出し、「ああ!」と納得して私たちはシーツにマジックでキコキコと「NO NUKE」と書いたのだった。
イラクに行ったのは初めてじゃなかった。その4年前の99年、当時私が組んでいた「愛国パンクバンド」維新赤誠塾のライブのために行っていた(このライブはイラクの国営TVで全国放送された・・・。後日、大統領宮殿に招待されてサダム長男、ウダイ・フセイン氏と会見・・・。今考えるといろいろ命知らずすぎる・・・)。まだ24歳の頃、物書きデビューする前で、右翼団体は抜けていたものの愛国パンクバンドのボーカルをしつつキャバクラ嬢だった頃だ。一水会の誘いでイラクの国際音楽祭に出演することになったのだ。
その時の珍道中はいろいろあるものの、初めてのイラク行きで私がもっとも衝撃を受けたのは、小児病院で癌や白血病、その他様々な病気に苦しむ子どもたちの姿だ。経済制裁で薬のないイラクの病院で、医者はやせ細った赤ちゃんを前に「この子はもう明日まで生きられないでしょう」「この子も」「この子も」と次々と絶望的な見解を述べた。病院の薬の棚は空っぽで、医者は経済制裁の解除を訴え、また湾岸戦争以降、癌や白血病、奇形の子どもが増えていること、それらは劣化ウラン弾の影響が疑われることなどを怒りを抑えた口調で語った。
劣化ウラン弾。その時は、それが一体どういうものなのか、皆目わからなかった。だけど目の前の子どもたちを見て、とにかくトンデモなく恐ろしい兵器が使われたのだ、ということだけはわかった。バスで一緒になった外国人のカメラマンは、私にイラクの病院で撮ったという奇形の子どもたちの写真を見せた。目を覆いたくなるような写真だった。バグダッドには結構な数のストリートチルドレンがいて、その中には顔に見たこともないようなできものがたくさんできている男の子もいた。それがなんなのかはわからない。だけど、そんな子どもたちの様子を見て思ったのは、「なにこれ、これって巨大な人体実験じゃん!」ということだ。そんなことがこの世にあるなんて・・・。ただただ信じられなかった。
03年、イラクにまた攻撃がされそうだという時、真っ先に浮かんだのが99年に見た子どもたちの姿だ。その強烈な記憶があったからこそ、私はイラク入りした。
そうして乗り込んだ2度目のイラクで、小児病院は相変わらず絶望的な状況のままだった。私たちの目の前で一人の男の子が息を引き取り、母親は泣き叫んでいた。
今回の原発事故が起きた時、あのイラクの小児病院の光景がふと頭に浮かんだ。
じゃあ、そもそも劣化ウランって何? そう思っていろいろ文献などを読んでも、理系に死ぬほど弱い私は「天然ウラン」とか「ウラン235」とか「ウラン238」とかの言葉を見ているうちに何がなんだかよくわからなくなってくる。ただ、『ヒバクシャ』のパンフレットには以下のようにある。
「(前略)英語では『Depleted Uranium(DU)』と呼ばれますが、直訳すれば『使い尽くされたウラン』となります。しかし実際にはウラン238も放射性物質であり、劣化ウランもれっきとした放射性物質です。法律上は核燃料も劣化ウランも『核燃料物質』として規制される放射性物質に変わりはありません」
パンフレットには、劣化ウラン弾が大量に使われたバスラなどイラク南部では91年以降、癌や小児白血病などの発生が7倍に増加したことにも触れられている。しかし、米英軍は当然、因果関係を否定。
この原稿を、どうまとめていいのかさっぱりわからない。もちろん、日本に劣化ウラン弾がブチ込まれたわけではないし、劣化ウラン弾による汚染は重金属などの複合汚染があるとも聞いた。とにかく、変に恐怖を煽るつもりはないし煽りたくない。
ただ、私は放射性物質が兵器に転用され、それが直撃したイラクで、それから約10年後に子どもたちが苦しみ、死んでいくのを見た。そのことを、『ヒバクシャ』を見て改めて思い返したのだ。
そんな劣化ウラン弾には、日本の原発のために濃縮した劣化ウランが使われている可能性も否定できないという話を、最近、聞いた。
「核を平和利用しようが軍事力として利用しようが、
放射能汚染による犠牲者は必ず生まれる」。
これは、鎌仲ひとみ監督が4年前のインタビューで口にされていた言葉。
その「必ず」がまさに今、現実となってしまっている。
そのことを、私たちはどう受け止めるべきなのか?
雨宮処凛さんプロフィール
あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」
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