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2011-06-01up

雨宮処凛がゆく!

第190回

子どもを被曝させるな、
という当たり前の要求。の巻

 5月23日、参議院議員会館で「子ども20ミリシーベルトを撤回せよ! 福島の子どもたちを守れ!」という集会が開催された。

 わざわざ福島から子育てをしている親など60人が東京にやってきて、文部科学省に「学校での屋外活動における年間20ミリシーベルト」という基準値の撤回を求め、その後、集会が開催されたので私も駆けつけたのだ。

 ちなみに「年間20ミリシーベルト」と聞いても素人にはピンと来ない。が、国が定める被曝限度量は年間1ミリシーベルト。その20倍の数値で「子どもを遊ばせてOK」と言っているのである。

 また、屋外においては3.8マイクロシーベルト/時という基準を定めたのだが、この基準は18歳未満が働くことが禁じられている「放射線管理区域」(0.6マイクロシーベルト/時以上)の約6倍。国はとんでもない数値に「安全」とお墨付きを与えてしまい、被曝を促進するようなことをしているのである。

 ちなみにこの数値に関しては原子力安全委員会も「基準として認めていない」と発言。また、この20ミリシーベルト問題では小佐古内閣官房参与が「私にとはとても許すことができません」と涙ながらの会見を行い、参与を辞任。それなのに文科省はその数字を撤回せず、被曝させ放題のような状況を続けているのだ。

 ということで開催された集会では、福島の人から様々な発言が続いた。

 毎日ガイガーカウンターで線量をはかっているものの、そういう生活自体がとてつもないストレスだと語る男性は、「実害がなければ健康被害じゃないんですか。私たちは心の被害を受けている。心のストレスも健康被害じゃないんですか」と憤り、2歳と4歳の孫がいるという男性は、「もはや二度と娘や孫たちを我が家に迎えることができない」と嘆いた。その男性の孫二人が通う保育所の庭の線量は地上5センチで0.3マイクロシーベルト。この数値は放射線管理区域の約2分の1。子どもの感受性は低めに見積もっても大人の3倍というから、子どもたちは放射線管理区域以上の線量の庭で遊んでいることになる。そしてそれが今も、現在進行形で続いているのだ。

 「既に孫たちは危険な保育所に通っています。こういう状況をなんとかしたい」

 また、三人の子どもがいるという女性は、とにかく子どもが被曝しないよう、食べ物や水に気を使いまくっているのに学校の基準が「20ミリシーベルト」ではどうにもならない、と涙の訴え。「なぜ、国は子どもたちを被曝させるようなことをするのか」「5年後、10年後、もし子どもたちがガンになって『なぜ止めてくれなかったのか』と言われたらなんて言えばいいのか」と声を震わせた。

 次々と語られる福島の「現実」に、改めて「20ミリシーベルト問題」の深刻さにゾッとした。「それならどっかに避難すればいいじゃん」と思う人もいるかもしれない。しかし、現地では「情報の二極化」も深刻な問題だという。国の「安全」「大丈夫」「ただちに健康に影響はない」という情報をすがるように信じる人と、自ら情報を集め、危険性を知っている人。その二極化は家族の中でも起こり、例えば若い母親が「避難したい」と言っても親世代は「なんでわざわざ? 国は大丈夫って言ってるのに」という反応だったりで、放射能と「国が定めた基準値」が人間関係にもヒビを入れかねない状況が生まれているというのだ。

 自分に置き換えると、それがオオゴトであればあるほど、「安全と言ってる方を信じるか」「自分でいろいろ調べるか」は紙一重のように思う。特に放射能は目に見えない。ちなみに私の場合、今回の原発事故を受けて、何度も「思考停止」しそうになっている。特にこれまで放出された放射性物質が37京〜67京ベクレルで、京は一兆の一万倍と聞いた時、なんだか綺麗な景色が見えてくるような、「もう無理★何も考えたくない★」といった気分になって妙に楽しくさえなってしまった。だからこそ、信じたい方と信じられない方、どっちの人の気持ちもわかるし、それは多くの人が持っている感覚だと思う。

 この集会では、子どもを無事に県外に避難させた父親も発言した。彼は線量が高い場所に子どもの友達が残っているのを見て「自分たちだけ逃げてしまった・・・」という自責の念を感じ、避難できない人はできない人でやはりもやもやした気持ちを抱えている。

 この日、とても印象に残っているのは、代読された若い母親からの手紙だ。正確ではないが、以下のような内容だ。

 「原発を作る時には巨額のお金を投じるのに、事故を起こした後始末にはお金をかけず、何もしてくれない。一部の人間の欲や金儲けのために福島の子どもが被曝をしている悲劇をわかってほしい。国が子どもを殺したと言われる前に、早く目を覚ましてほしい」

 また、福島から来た男性は、集会の最後に言った。

 「私たちがやっていることは"運動"ではありません。ただ、子どもを守るという当たり前のことなのです」

 震災以降、いろんな「当たり前」が通用しなくなっている。しかし、そんな時こそ基準にすべきは、当たり前だけど「命」だと思うのだ。

 と、美しく終わりたいところだが、この日の集会で別の意味でびっくりしたことがある。

 それは、集会に京都大学の小出裕章氏が登場した瞬間。参議院行政監視委員会「原発事故と行政監視システムの在り方」参考人に呼ばれていて、その後、駆けつけてくれたというサプライズ出演だったのだが、小出氏の登場の際、辺りから「黄色い歓声」が上がったのだ。

 原発に反対し続けてきた小出氏(今回の事故があるまで私は存じ上げませんでした)がまるで韓流スターのような歓声を浴びている光景を見て、「時代は変わったのだ・・・」としみじみしたのだった。

 そしてそして、重要なことだが、文科省は5月27日、子どもの年間被曝量の目安を「20ミリシーベルト以下」から「1ミリ以下を目指す」と変更。「目指す」って表現はどうかと思うが、一歩前進したのは間違いなく、福島の人たちの力あってこそ、である。

※6月4日、鎌田慧さんとマガ9学校で原発について、話します!
 私も原発について取材中なので、いろいろ話させて頂きたいと思ってます。詳しくはこちらで。
 当日はなんと、元原発労働者の方も発言してくれます!

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集会の前に行われた文科省前行動では、
ただ「検討します」とだけ繰り返す文科省職員を前に、
雨の中で真摯に訴えを続ける人たちの姿に、
胸が詰まる思いがしました。
イデオロギーではなく、「命を守りたい」という当たり前の思いが、
たくさんの人たちを突き動かしています。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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