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2011-1-19up

雨宮処凛がゆく!

第174回

ネットカフェからのSOS〜奇跡の出会い編〜 の巻

 最近、私は人生がヴィジュアル系づいている。もともとヴィジュアル系バンドが大好きだったのだが、今月20日には「バンギャル ア ゴーゴー」というイベントを開催、大好きなMix Speaker’s,Inc.さんとダウトさんにご出演頂き、31日にはロフトプラスワンでトークライブを開催する予定。また、今発売中の『ゲームラボ』で「ザ・V系っぽい特集」をしているのだが、そこでは「雨宮処凛SELECTION」というページを担当。独断で私がオススメする11バンドさんを紹介させて頂いている。

 そんな私のもとに、ネットカフェから一本のメールが届いたのは先週。仕事がなくなり、お金も底を尽きかけ、携帯も止まったという男性と翌日に会うと、彼は信じがたい台詞を吐いた。

 「あの、雨宮さんをがっかりさせちゃうかもしれないんですけど、僕、ヴィジュアル系バンドをやってたんです」
 「ええええええ!! なんてバンドですか?」
 「○○です(バンド名やどういう系統などかは秘密)」
 「ええええ!! 知ってますーーーーーー!!」

 ということで、この原稿を書いている今は、その男性--仮にVさんとしておく--の生活保護申請に同行した数時間後。以下、「奇跡の出会い」の顛末である。

 メールが来たのは1月12日。そこには、「今いるネットカフェのお金を払ったらもう食べることもできないので諦めようかと思ってます」と書かれていた。とにかくいろいろ手段はあることを伝えるものの、携帯が止まっているのでネットカフェを出てしまうと連絡手段がない。とりあえず携帯アドレスを伝えると、夜になってモバイルネット体験コーナーから返事が。新宿にいるとのことだが、所持金は200円程度。これは今夜にでも行かなきゃ、と思うものの携帯がないのでやっぱり連絡がとれない。そうして夜10時頃、新宿のネットカフェに入ったとの連絡。その日たまたまうちにいた友人A子に事情を話すと「心配だから行こう」という返事。で、「11時に新宿の○○で待ってます!」と返信し、A子とともに新宿へ。しかし、既に店を出たあとだったのか、大分待っても現れなかったので帰宅したのだった。

 そうして翌日の昼、仕事で秋葉原にいた私の携帯にVさんからメールが! なんと今、偶然にも秋葉原にいるのだという。「じゃあ○時に秋葉原の○○で!」と待ち合わせを指定。その時間には1時間くらい遅れるということだったので、秋葉原を徘徊し、ゴールデンボンバーのCDを購入するなどして時間を潰し、待ち合わせ場所へ。そうして初めて対面したVさんは、「ヴィジュアル系」という衝撃の告白をしたのだった。

 で、この日の私には多大な反省点と褒めてあげたい点がある。まず、褒めたい点は、「とにかく連絡がとれたら駆けつけよう」と思っていたので、生活保護申請のための用紙と「路上からできる生活保護申請ガイド」を持ち歩いていたこと。今現在住む場所も所持金もなく携帯も止まっているのであれば仕事を探すのは至難の技だ。放っておいたら最悪、死んでしまう。まずは生活保護を申請し、住む場所を確保することが必要だ。で、だいたい申請した日からの生活費が日割りで支給されるので、「食べ物を買うお金もない」という事態に陥ることはない。ということで、Vさんに住む場所がなく、所持金も残り少ないことを確認し、ガイドなどを渡したのだが、この日の私は予定があり、既に会議に遅刻している状態だったので、「詳しい聞き取り」や「詳しい説明」ができなかったのだ。ということで、ちゃんとゆっくり説明もないまま、「こういう場合は生活保護という手段がある」「明日○時に○○で待ち合わせして、一緒に申請に行きましょう」と一方的に決めてしまったのである・・・。この辺、自分の「感覚の麻痺」をあとで激しく反省したのだった・・・。いや、派遣村くらいから、当事者の人の中にも生活保護などにかなり詳しくなっている人がいたり、私の本を読んでいるとのことだったので「結構知っているのでは」という勝手な思い込みがあったりで、一番大切な部分をはしょってしまったのだ・・・。そのくせ、Vさんが活動していたバンド界隈の話を聞いて喜んでいたのだから大馬鹿野郎である・・・。そんな暇あったらちゃんと説明しろよ、とあの時の私に言いたい。

 しかし、そんな自分の失敗に気づいていない私はフリーター労組のKさんに生活保護申請の同行に一緒に行ってほしいとお願い。そうして待ち合わせ当日の朝、「もう1日考えたい」というメールがVさんから届いたのであった。ちゃんと説明もできていないのだから当然だ。が、待ちあわせには来るのでは、と一抹の期待を抱いてKさん(気管支炎をおして来てくれた)と待つものの現れず。その時、Kさんから「面談・説明の大切さ」を聞き、私は自分がやらかしてしまったことを初めて知ったのであった・・・。

 ちなみにこの日は金曜日。土日になってしまうと役所は閉まる。前日に会った際、「明日までの宿代・生活費」として若干のお金を渡していたのだが、すぐに尽きてしまうだろう。ということで、その日から私はVさんに大量のメールを送信。とにかく会って話をしたいということを伝え、金曜、土曜、日曜の、私がいつでも駆けつけられる時間帯を挙げ(ちょうど原稿書く期間として外に出る仕事を入れてなかった)、会う日時・場所を指定してほしい旨を送り続けた。また、会った時に説明できなかった「生活保護」のこと、その具体的な流れについてもメールで送信。

 が、金曜、土曜、日曜といくら待ってもメールはこない。この間、私は自分の失敗を後悔して落ち込み、この寒い中どうしてるんだろうと思うとご飯も喉を通らず、「心配ダイエット」に成功するというどうでもいい伝説を生み出す。また、役所が開いていない間に連絡が取れた場合、緊急シェルター的にフリーター労組関係の「自由と生存の家」に宿泊できるかどうか聞いてみると、幸いにも一部屋あいているというではないか!

 そうして月曜の朝、メールが来た!  「雨宮さんの言う通りにしてみようと思います」とのことで、私は午後2時に待ち合わせを指定。フリーター労組のKさんも駆けつけてくれ、無事Vさんと再会! なんと週末には39度以上の熱が出て、動けなかったのだという。「正直、死のうかと思ってました」という一言に、会えた喜びを噛み締める。そうして喫茶店でKさんがいろいろ説明。ちなみにVさんは、昨年3月くらいからネットカフェなどで暮らしつつ日払いの仕事をしていたものの、年末あたりから急激に仕事がなくなったのだという。で、とりあえず生活保護を申請して、アパートに入居するまでの間は「自由と生存の家」に宿泊し(緊急ということで受け入れてくれた。自由と生存の家実行委員会の方々のご好意に大感謝です!)、アパートを探して見つかったらそっちに移る、という流れになることに。そうして生活保護申請書などを記入し、いざ、新宿の福祉事務所へ!

 そこからはかなりスムーズだった。まず、福祉事務所の人(とてもいい人だった)に「支援の雨宮です」と言うと「雨宮処凛さん?」とバレバレ。で、宿泊先も決まっていることを伝えるとトントン拍子で話は進み、今日の生活費として2千円が支給される。ちょっとびっくりしたのは、「結核検査」が義務づけられていて、後日受けなきゃいけないこと。それからフリーター労組の事務所に行き、自由と生存の家のSさん、Oさんと面談。布団がないからこの部屋の布団を使ってとか食器やヤカンはあの部屋にあるとか、いきなりの「生活感」に、心底ほっとする。そこから「自由と生存の家」に移動。四帖くらいの部屋だけど個室でキレイな部屋だ。で、布団やヤカンを他の部屋から運び込み、こういう展開になると思って自宅から持参していたタオルとシャンプーをVさんに渡したところで「生活再建」第一歩、終了。新宿で待ち合わせしてから、その間、たった3時間。

「じゃあ、ここまでの感想を」

 Vさんに聞くと、「なんかぽかーんとしてるというか、意味わかんないというか・・・。どうして見ず知らずの人間にいろんな人がここまでしてくれるのかって。今までの自分の人生って、何か“利益”になるとかじゃないと誰も動かないっていうか・・・」との答え。

 「変態なんです」と言い残し、私とKさんは自由と生存の家をあとにしたのだった。

 さて、今日からVさんの生活再建が始まる。

 それにしても、今回も本当に多くの人がかかわってくれた。まずは「新宿に行こう」と背中を押してくれたA子(流行のタイガーマスク運動に乗りたかったらしい)、フリーター労組のKさん、自由と生存の家のSさん、Oさん、スムーズにいろいろ動いてくれた福祉事務所の人。

 ということで、様々なヴィジュアル系バンドに命を救われてきたバンギャとして、何か「恩返し」できたような気分だ。

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「もうダメかも」と思っていても、
ちょっとしたきっかけや出会いさえあれば、
「生活再建」の第一歩を踏み出せる人はたくさんいるはず。
ますます寒い今年の冬、
1人でも多くの人がそんなきっかけと出会えるように、と
願わずにはいられません。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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