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2011-1-12up

雨宮処凛がゆく!

第173回

年末年始のいろいろな動き。の巻

新宿の相談会。

 あけましておめでとうございます!
 皆さん、今年もよろしくお願いします!

 ということで、皆さんはどんな年末年始を過ごしただろうか。
 私は実家の北海道に帰ったりしていたのだが、今年はちょうど年越し派遣村から2年。昨年は「公設派遣村」があったわけだが、今年はそういった大々的なものはない。しかし、失業率は依然として高く、失業者は300万人以上。その中でも、1年以上にわたって失業している人は128万人。いったい現場はどうなっているのか? ということで、年末相談会などの様子を見てきたので報告しよう。

 まず行ったのは12月25〜27日にかけて四谷の司法書士会館で開催された「年末拡大相談会」。法律・生活・医療・労働などの総合相談会だったのだが、初日の来所相談は40人ほど、電話相談は45人ほどと、思っていたより随分少ない印象を受けた。なぜ? この日、相談を受けていた反貧困ネット埼玉の和久井さんも「雇用状況とかも全然改善されてないのに、なぜでしょうね。なんとなく薄気味悪いというか、彼らはどこに行ってしまったのか、絶対いるはずの人たちがどこに吸収されているかをちゃんと検証しなきゃいけないですね」と腑に落ちない表情だ。そんな中、訪れた人の傾向として今までと違うところは、「すべてを失う前に来るようになっている」ということだという。例えば、今まで派遣村やその他の相談会に訪れる人には、既に住む場所も所持金もなく、3日間何も食べていないという人などがザラにいた。しかし、今回の相談会では住む場所はあるものの生活が立ち行かないとか、既に生活保護を受けているけどなんらかのトラブルが発生したとか、住所が定まったことによって債務の請求が来たなど、昨年までのギリギリの状態とは一線を画しているようなのだ。

 ただ、この状況の背景には、この相談会が「派遣村」という言葉を使っていないことや、場所が四谷のビルだったことなども関係しているだろう。そしてこの相談会を訪れた3日後の12月29日、私は状況がまったく「改善」されていないことをまざまざと思い知ることになる。

 それを思い知ったのは29日、30日に新宿西口で開催された「住まいのない方に年越し支援 緊急相談会」の現場だった。この相談会が行われた背景には、全国19カ所のハローワークで29日、30日と緊急年末職業相談が実施されたことがある。都内では5カ所のハローワークが開き、住む場所がない人には1月4日朝までの宿泊と食事が提供されることになったのだが、これをどれほどの人が知っていただろうか? ちなみに、29日、30日に一部のハローワークで相談をする、と発表されたのが12月24日。住む場所がない人が行けば、宿泊場所も確保できるという情報が公開されたのはおそらくもっとギリギリだと思うが、当事者どころか一部支援者の人以外にはほとんど知られていなかったのではないだろうか。逆に石原都知事の「今年は都は協力しない」という発言は多くの人が知っていたと思うが・・・。

 とにかく、せっかく年末年始対策をするというのに、国はギリギリまで情報を伏せ、こっそりと開催しようとした。大々的に告知して大勢来たら面倒、ということだろう。しかし、何もやらないとあとでなんか言われるかもしれないから、その時に「こんなことやってた」と言えるアリバイ作りのための開催、というところだろうか。ということで、この情報を困っている多くの人に伝えようと動き出したのが2年前の年越し派遣村にかかわった人々で作られた「ワンストップの会(年越し派遣村が必要ないワンストップ・サービスをつくる会)」。ボランティアを募り、各地でビラまきをしたりして情報を知らせ、新宿西口にテントを張って緊急相談会を開催。多くの人が年末年始対策に繋がれるようにしたのだ。

 ということで、私も情報を得るたびにブログなどで告知していたのだが、29日、行ってみると、新宿西口の路上という立地もあってか、続々と訪れる相談者。朝から相談を受けている人に聞くと、最近失業して部屋を追い出されるなどして路上に出てきたという、路上生活経験がまったくない上に炊き出し情報も何も知らない若者が少なくないということだった。中には、荷物を全部盗まれてしまった人もいるとのこと。この寒空の中、どうやって過ごしていたのだろう・・・。そうして私もビラを配っていたのだが、本当に普通の、絶対にホームレスに見えない若者が「何やってるんですか」「これって派遣村ですか」などと話しかけてくれて、ただの話好きな人かと思って話していたら実はホームレス状態とのことで慌てて受付してもらう、ということもあった。また、驚いたのは、お腹の大きい若い女性が訪れたこと。この寒さの中、妊娠している状態で、今までどれほど大変だっただろう・・・。ただただ言葉を失った。

 最近、メディアであまり報道されないこともあって、「貧困」を巡るもろもろは何か「終わったもの」「済んだもの」という認識が広まっている気がしてならない。しかし、このように、状況はどう考えても改善しているようには見えない。

 29日、30日の「ワンストップの会」の相談会には、153人が訪れ、4日までの宿泊と食事を確保することができたという。こうしてひとつのセーフティネットにひっかかれば、あとはワンストップの会などの支援で生活を立て直せる。メールで届いた経過報告によると、大半はやはり長引く不況で仕事が見つからずに住まいもなくしてしまった人とのこと。昨年の公設派遣村と比べて特徴的だったのは、携帯電話を持っている人が大幅に減ったことだという。ホームレス状態になっても、多くの人は食事を削ってでもなんとかして携帯だけは維持しようとするものだが(携帯が繋がらなくなると仕事が見つかる可能性が一気に減る)、その最後の砦の維持も厳しくなっていることに「ホームレス状態・貧困状態の長期化」をひしひしと感じた。

 また、12月31日〜1月3日には、湯浅誠さんなどが中心となって「年越しSOS電話相談」が開催された。「『年越しSOS電話相談』結果報告(確定版)」によると、相談者は105人。住まいがある人も38人いたが、71人が所持金一万円以下と、住む場所のあるなしにかかわらず、困窮の深刻さがうかがえる。また、路上にいる人が39名。平均年齢は50歳で、もっとも多いのが40代の25名。面談時の印象では、外見からはホームレス状態と気づかない人が多かったとのことだ。

 さて、こうして今年も多くの人が年末年始にセーフティネットになんとかひっかかった。
 しかし、最初の方でも書いたように、これらの相談会などに来なかった人たちは「どこに吸収されているのか」という問題もある。最近耳にするのは、タコ部屋のようなところに住まわされて訪問販売(もちろん最低賃金とかそういう概念はない)とか、ゲストハウスでヤバめの仕事を斡旋される、などだ。はからずも、今発売中の『宝島』2月号では進化した「貧困ビジネス」についてのモロモロに多くのページがさかれている。読み進めていくと、そこには私が取材で耳にしたこともある様々な手口と一致するものがある。何か「貧困ビジネス」側がすごい勢いで「成長」しているのも感じるのだ。しかも「貧しい人」が「貧しい人」を食い物にするような構図も見え隠れするから複雑だ。

 ということで、今年も年末年始に多くの人たちがボランティアとして、困窮状態にある人の生活再建に走り回ったわけだが、9日、またしてもショックなニュースが入ってきた。大阪で60代の姉妹が遺体で見つかったのだという。2人は痩せ細り、財布には90円しかなかったという(朝日新聞11/1/10)。

 年越し派遣村から2年。今、一番怖いのは、この国の少なくない人たちがこういった悲劇に「慣れ」つつあるように思えることだ。

年末に出たニコニコ生放送。福島みずほさんと。

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「派遣村」初年度のような報道はほとんどなくなったけれど、
こうした数字を改めて見ると、
問題は何も解決してはいない、と改めて痛感させられます。
「異常」だったはずの状況が、
いつの間にか「当たり前」になっているとしたら、
それこそがもっとも怖い現実なのかもしれません。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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