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2010-12-15up

雨宮処凛がゆく!

第171回

秋葉原事件の裁判に行く。の巻

反貧困たすけあいネットのイベントで。

 12月7日、東京地裁の104号法廷で13:30から始まった裁判に行った。

 その裁判とは、秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大被告の裁判。

 あれだけ騒がれた大事件だけに傍聴券を手に入れるのは難しいのではないかと思って早めに行ったのだが、なんと集まった人は傍聴席の定員に足りず、抽選はナシで全員が入れるという事態にまず驚いた。

 秋葉原事件が起きた時、私は「25歳、自動車工場の派遣社員」というキーワードに頭をブン殴られたような衝撃を受けた一人だ。以来、この事件について様々な場所で発言したり書いてきたわけだが、考えれば考えるほどわからなくなっていた、というのが正直なところだ。そうして今年の夏、裁判で加藤被告が事件の原因として語ったのは「派遣」の問題ではなく、自分のものの考え方や掲示板での嫌がらせ。同時に、事件の数ヶ月前には自殺を考えていたことが語られた。

 これらのことによって、私のあの事件に対する「わからなさ」はより深くなったわけだが、ただひとつ言えるのは、自分がもう死にそうに、叫びだしそうにどうしようもなく苦しい時、ほとんどの人は自分がどうしてこんなに苦しいのか、その原因を客観的に分析したり言語化したりすることなど到底できないということだ。それができるのであれば、そもそもこういった事件は起こらない気がする。

 ただ、私の中には加藤被告の掲示板の書き込みの言葉たちがどうしようもなく残っていた。裁判に行ったからといってどうなるものでもないけれど、加藤被告を実際に自分の目で見てみたかった。

 開廷時間と同時に腰に紐をつけられた状態で入廷した加藤被告は、想像していたよりもずっと小柄で細くて、そのことにまずびっくりした。服装は、黒いスーツに白いシャツ。真ん中の長椅子に座る前には被害者や遺族がいる傍聴席をまっすぐに見つめ、深々と一礼。その目には一点の動揺もなく、妙に堂々とした姿は何か「悟りきっている」というか、「解脱」した人のように落ちつきはらっていることにまたまた驚いたのだった。

 さて、この日は被害者遺族や事件当日に加藤被告に襲われて怪我を負った人などの意見陳述。まずは、事件で亡くなった31歳の男性の家族が書いた意見陳述が読み上げられていく。秋葉原に通っていた男性は自分で会社を経営していたこともあったこと、事件当時は無職で、しかし、心配させないためかそのことを親には隠していたこと。亡くなった翌日、就職の内定の知らせがあり、それで両親は初めて無職だったことを知ったこと。

 意見陳述では、自身が加藤被告に刺された元タクシー運転手の男性も意見を述べた。「加藤被告に極刑を求めます」と告げた男性は、自身が負った「3つの傷」について話した。ひとつめは刺された傷や手術のあと。ふたつめは、周りの人を助けようと思いながらも何もできなかったこと。みっつめは、自分の子どもと同じ年頃の加藤被告に「死を与えて下さい」と言わなければならないこと。

 また、加藤被告に刺された女性も意見を述べた。初めて秋葉原に来た日に事件に遭ったという女性は、友人とビルから出てきた時に突然目の前に男の人が転がって来るのを目撃する。トラックではねられた男性だった。周りを見ると他にもたくさん倒れている人がいて、加藤被告が警察を殴っているのが見えたという。そうして自分に向かってくる加藤被告にお腹を刺された女性は、「どうして何もできなかったのか」と自責の念にかられていることを述べたのだった。自分があの時、加藤被告が通り過ぎるのを見逃していなければ、その後に何人もが刺されることはなかったのに、と。

 「何もできなかった」と、女性は何度か口にした。そしてタクシー運転手の男性も、同じ台詞を口にしていた。あの時、あの場にいた人たちはみんな自責の念を感じている。その女性からそんな言葉が出てきた時、改めてあの事件が残した傷の深さを思った。そうして女性は「加藤さん」と加藤被告に呼びかけながら言ったのだ。

 「加藤さんは、捕まってすべてが終わったと思っていたかもしれませんが、あれから加藤さんが見ていない大量の血が流れ、今も私たちの混乱は終わっていません」「加藤さんがどのように育ち、どんな考え方をするようになったのか、犯罪の動機解明は重要ですが、加藤さんの過去の記憶を辿って解明できるとは思えません。辻褄が合う理由を探して納得しても、それほど意味のあることだとは思えません。なぜ、私たちが加藤さんのものの考え方を理解しないといけないのでしょうか。たまたまそこにいた私たちは、加藤さんの内面について考える前に、必要なことがたくさんあります」(自分のメモを見ながら書いているため、正確な表現ではありませんが、だいたいの主旨です)

 意見陳述では、遺族の言葉として何度か「死刑にして下さい」「死刑にならなければ絶対におかしい」という言葉が読み上げられた。しかし、長椅子に座った加藤被告は少し俯いたまま、終始無表情を崩さなかった。その姿は、自分の運命をすべて受け入れ、何もかも諦めているようにも見えたし、完全に心を閉ざしているようにも見えた。

 自分の机の前にノートとペンを置いた加藤被告は、時々ノートに何か書く以外はほとんど動きもせず、そうして閉廷の時には入廷の時と同じように遺族や被害者席をまっすぐ見て、一礼をした。

 その目はなんだかマジックで描いた漫画の「ねこぢる」の目みたいで、何の感情も読み取れないもので、ただ、私の目には、まるで女の子みたいに華奢な加藤被告の手ばかりが焼き付いているのだった。あの弱々しい手と、7人の命が奪われ、10人が負傷した大事件がなかなかつながらなくて混乱ばかりが募る。

 次回の公判にも、行こうと思っている。

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多くの人の体に、心に今も大きな傷を残す秋葉原事件。
被告人質問で「現実で、本音でつきあえる人はいなかった」
と供述したという加藤被告は、
今、何を思い、感じているのか。
やりきれない思いだけが残ります。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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