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2010-10-06up

雨宮処凛がゆく!

第162回

猫と「地域社会」。の巻

猫村さん(仮名)。

 今年の夏は「消えた高齢者」問題が世間を騒がせたわけだが、その時にやたらと強調されたのは、「家族の絆」、そして「地域社会のつながり」だった。

 「家族の絆」論に関しては、時に「家族なんだからどんなに大変でも国に迷惑などかけずに一家心中するまで助け合え」的な裏メッセージを含んでいたりするので警戒していたものの、それでは「地域社会のつながり」についてはどうかというと、自分自身がまったくそんなつながりのない中で生きてきたので「この世に存在しないに等しいもの」という感覚だった。これは地元を離れ、賃貸物件に住んでいる多くの人に共通する感覚だと思う。

 しかし、ここ数日で、私は思い切り「地域社会」にデビューしてしまった。そうして現在、もろもろ事情があって、「のらの子猫を預かる」という一大任務まで任されている。その子が写真の「猫村さん(仮名)」だ。生後一ヶ月程度の女の子。現在風邪で服薬中。そんなのらの子猫の登場に、うちの猫のぱぴは怒り狂って私に暴力をふるいまくった果てに引きこもり&ハンスト中。運命に逆らわないタイプのつくし(同じくうちの猫)はちょっと離れたところからずーっと子猫を観察している。そうしてとうの子猫はというと、まるで「小さな怪獣」のように家中を飛び回って遊び狂っていたかと思うと突然熟睡し、寝て起きたらちゃんと猫トイレでオシッコやウンコをし、その後唸りながら大飯を喰らい、また遊ぶというワンセットを1日に10回くらい繰り返している。

 と、ここまで読んで頂ければおわかり頂けると思うが、「地域社会」デビューのきっかけは「猫」だ。

 これまでこの連載を読んでくれていた人なら知ってると思うが、私は猫アレルギーのくせに重度の猫好きである。そしてその一方的な愛は自分ちの猫だけでなく、のらちゃんやよその家の猫にも向けられている。そんなことは猫にもわかるのか、ここ最近はうちが近所の猫の「たまり場」になり、勝手にいろんな猫が上がりこんで寛いでいくのだが、その中にはうちの「猫じゃらし」をくわえて持って帰る近所の飼い猫などもいて、幸せな日々を送っていた。が、これは前から気になっていたことなのだが、うちの近所には猫好きの人が多く、当然そんな場所では食料調達もできて居心地がいいので居着く猫が続出。その子が子猫を生んだりして何か「猫王国」のようになっていたのだ。

 その上さらに追い打ちをかけるようにうちの近所でまた子猫が生まれた。それが猫村さんなのだが、ほうっておくと猫村さんが今度は子猫を産むだろう。増えすぎると当然苦情などが予想されるわけで、なんとかしないと、とずっと考えながらもそんなことを話せる「近所の人」もいなくて一人悶々としていた。

 こういった場合、「地域猫」というのが一番いい解決策なのは猫の本を死ぬほど読んでいるので知っていた。地域猫とは、のら猫に避妊・去勢手術をし、共存していくというやり方だ。しかし、うちの周りの猫たちは人んちで勝手に寛ぐくせに触らせてくれない。その上、いろんな猫がいろんな家に出入りしているっぽく、どの猫が飼い猫でどの猫がのらなのかもわからない。

 そんな時、唯一近所で「猫」を介して顔見知りになった女性—仮にAさんとしておく—と話す機会があった。何年か前、その家の物置で猫が子猫を生んだことがあり、しかし、当然そんなことを知る由もないAさん宅の人は物置の窓に鍵をかけ、お母さん猫が「子猫が閉じ込められてる!」と私に必死のアピールをしたのでそのお宅に行き、無事子猫を保護したことがあったのだ。で、数日前、そのAさんが「うちの猫がお宅の猫ジャラシを持ってきてしまったので・・・」と返しに来てくれたのだが、その時の私はちょうど動物病院帰り。まだのらだった猫村さんの風邪があまりにひどいので、動物病院に行って薬を貰ってきたところだったのだ。

 そうして「また子猫が生まれたけれど誰か貰ってくれないだろうか」ということになり、近所の人が貰ってくれるかも、ということでその人のところに行ったのだが不在。1時間後に戻ってくるというものの、その日の私は「仙台貨物」の「イガグリ千葉」さんのライブに行くという動かしがたい予定があり(素晴らしかった!)、結局は一度猫村さんをお母さん猫のもとに戻し、外出。その間にも、私は周りの人に「子猫がいるんだけど誰か貰ってくれないだろうか」と声をかけていた。ちなみに近所の人はやっぱり子猫は貰えないということだった。

猫村さんとつくし。つくしが熊のようだ・・・。

 動きがあったのはその2日後だった。Aさんが、「猫のボランティアの人」と一緒に訪れてくれたのだ。なんでもボランティアの人は「地域猫」の活動をしている人らしく、前からそういった「猫の活動家」みたいな人には会ってみたかったのだが、この辺りが猫王国になっていることを聞きつけて私のもとにも来てくれたのである。で、話を聞くと、うちからちょっと離れた場所にも猫がたくさんいる場所があるのだが、そこの猫はみんな避妊・去勢済みの地域猫で、そこの「地域猫化」を手がけた人らしい。いわば、猫のプロなのである。

 そこの猫たちが地域猫であることは知っていた。猫と遊んでいたら知らない人が教えてくれたのだ(猫好きは、猫ネタだと突然コミュニケーションの能力がアップしたりする)。ということで、Aさんが「猫の活動家」さんと引き合わせてくれたのだが、何か「猫好き口コミパワー」の底力に驚いたのだった。そうしてこの辺りの「地域猫化」が進られることになり、また、子猫の里親さんまで探してくれるという。それは願ってもいない話なので猫村さんを保護。無事に里親さんが見つかるまで、私が家で預かることになったのだ。

 こうして私は「猫」を通して地域社会へとデビューしたのだが、これは非常に心強い。なぜなら、これまで一人で猫のことを心配し、どうすればいいのかと気を揉んでいたからである。しかし、これからは一緒にこの辺の猫のことを考えてくれる人がいるのだ。その上、私は猫村さんが近所のオジサンに洗ってもらっていたり、他のおうちに泊まっていたこともあることを知った。

 今回のことを通して、私は「猫好きコミュニティ」の恐るべきネットワーク力を目の当たりにした。しかし、のら猫はのら猫として「見える」から問題としてわかり、「地域社会」の中にも「猫好きコミュニティ」があるからなんとかしようという動きになるものの、その一方では年間3万人という人が「見えない」ままに孤独死しているという現実もある。

 とにかく、こうして私は地域社会と初めてつながったのだが、「素人の乱」の松本さんがよく言っているように、「近所の人」とか「商店街の人」とか、おそらくまったく価値観の違う人たちと何かをする、ということは実はとても大切なことのような気がする。「家族の絆」や「地域社会のつながり」論に対抗する言説として、同じ価値観の人たちとの居心地のいいコミュニティ作りを提唱する人もいるが、同じ世代や同じ価値観だけの人で集っていると、それ以外の他者は簡単に「理解不能なモンスター」になる気がするからだ。いや、既にそれは始まっているだろう。

 ということで、今は猫村さんの里親さんが現れることを待つ日々だが、猫村さんとの別れの日を思うだけで涙が滲んできて仕方ない。そんな私は猫村さんの登場によって猫アレルギーが悪化し、現在、マスクをつけてこの原稿を書いている。

民主党・衆議院議員の田中美絵子さんと週刊金曜日で対談しました。来週号に掲載予定。とっても楽しかったです。

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「価値観の違う人たちと協働する」ことの大変さと面白さ、
そして重要さは、札幌で商店街活性化に取り組む中島岳志さんも指摘されているところ。
戦時中の「隣組」のような息苦しさは避けたいけれど、
こんな緩やかなつながりから生まれてくること、
変わっていくこともたくさんあるのでは? と思います。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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