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2010-09-15up
雨宮処凛がゆく!
中国人だから? アルバイトだから?「女」だから? 〜あるセクハラ裁判を巡って〜その3。の巻
11日のニート・初男主催「大人廃業サミット」の楽屋にて。出演者のみなさんと。
川崎さんがいくら訴えても、セクハラを「日本のコミュニケーション」「個人と個人の問題」と言い放つ上司。
しかし、中国では上司は「父親のような存在」であり、上司の言うことは絶対正しい、という価値観があるという。最初の頃、川崎さんも上司の言うことは正しいのかと思っていた。しかし、図書館で法律の本を読み、愕然とする。
「図書館に行って調べたら、全然違う。会社と関係ないとか。法律の本見たら、会社の責任大きいです。なのに『コミュニケーション』とか、びっくりしました。それで会社を信用できなくなったんです」
セクハラについての認識は近年高まってきたとは言えるものの、いまだ「個人の問題」と思っている人は存在するようである。が、職場でのセクハラを会社は放置してはいけない。男女雇用機会均等法では、会社はセクハラを受けた人が労働条件で不利益を受けたり、職場の環境が害されないよう措置をとらなければいけないと定めている。しかし、「個人の問題」と放置したことがのちの裁判に繋がったのだろう。
また、A氏によるセクハラは、川崎さんの心身を確実に蝕んでいた。
「シンク洗ってる時も、いつ後ろから来るかわからない状態だから、毎日緊張してました。いつも後ろ振り返ってる状態で。緊張しすぎて身体の調子が悪くなって、生理痛がひどくなって仕事中、倒れたこともありました。もう、仕事できない状態だった。夜も眠れなくなりました。寝ても夜中に突然目が覚めて、そうしたら眠れないし、あと悪い夢見るとか。食欲も全然なくなったり、逆に突然食欲が止まらなくなったり」
05年に川崎さんは結婚したのだが、その時、A氏は「おめでとう」も何も言わず、「お前の旦那いつ死ぬの」と言い放ったのだという。 そんな中で、川崎さんは追いつめられていった。A氏を殺して自分も自殺する、とまで考え、「頭の中で映画みたいに」その映像が浮かんでいたという。
そんな川崎さんに転機が訪れたのは06年3月。川崎さんが突然「解雇」を言い渡されたことだった。セクハラとはまったく別のことが理由だった。同僚女性の仕事ぶりへの苦情がテナントの人からたびたび川崎さんに入っていたことから、川崎さんはビルの事務所に手紙を出したのだ。そのビルで働いていた川崎さんには、自分の会社にとってビルがお客さんの関係だということが頭になく、「ビルの人から注意してもらえれば」という程度の気持ちだったという。また、「中国人が嫌い」だというその同僚からは、トイレが詰まったりすると「川崎さんが悪戯した」などと濡れ衣を着せられてもいたという。が、この手紙が問題となり、解雇を言い渡されてしまうのだ。
「今考えたらまずかった」と川崎さんは言うが、何から何まで勝手が違う中国から来た川崎さんに、その辺の事情がわからないのは仕方ないのではないだろうか。また、この話には、アジアの人々に対する差別的な視線も垣間見える。私の知り合いの韓国の女の子はファミレスで働いていた際、「韓国人だからこれで充分だ」などと言われ、お客さんに出せなくなったコーヒーなどを無理に飲まされた経験を語ってくれたことがある。それをやっていたのは日本人のパート主婦たちだと聞いた時、なんだかとても悲しくなった。
さて、突然解雇を言い渡された川崎さんだが、彼女は強かった。その翌日、「私は悪いことしてない、仕事します」と出勤。しかし、課長には「ダメ」と言われてしまう。そうして行った先はハローワーク。そこで相談し、「外国人の労働組合がある」と紹介されたのが「首都圏移住労働者ユニオン」。川崎さんがすぐに電話をすると、書記長の本多ミヨ子さんが応対してくれた。「すごく優しくて、すぐに迎えにきてくれた」のだという。そうして解雇や今までされてきたセクハラのことなどを話し、それは「違法」で「犯罪」だと言われたことによって不安な気持ちが吹き飛んだという。
「それまで、ビルの60代の女性たちに相談して、女性たちはかばってはくれるけど、何も解決してなかった。それがここに来て違法だよって言われて、すごく不安がなくなった。頼りになる。ここは外国人守ってくれるって思った」
そうして組合に入った川崎さんは会社と団体交渉をする。初めての団体交渉の感想は、本多さんが言いたいことを代弁してくれて、「すごくすっきりしました(笑)」とのこと。
その後、半年間ほどにわたって団体交渉を続けるものの、セクハラに関しての会社側の言い分は、「A氏に聞いたがそういうことはしていない」というもの。また、川崎さんは職場に残り、A氏を異動させてほしいと訴えたが、その後川崎さん自身が別のホテルに異動となった。要求とは違ったが、働き続けることができる上、やっとA氏のセクハラからも解放されたのだ。そうして川崎さんは現在もそのホテルで働いている。
「ホテルに移ったのはよかった。もし移ってなかったら、たぶん私あの人殺して自殺してた。殺す勇気はないよ。だけど、ずっと頭の中で考えてた」 しかし、会社側が「セクハラがなかった」と言い続けることはどうしても納得いかない。そうして川崎さんは07年12月、会社とA氏を訴える。
(続く)
辛酸なめ子さんと。
以下、告知です。
※10月2日、以下のイベントに出演します。ぜひぜひ。その前の9月19日の築地本願寺も来てね。
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考えよう、若者の雇用と未来 —働くことと、生きること—
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【日時】10月2日(土)19:00~22:00(開場18:00~)
【会場】Asagaya / Loft A
【司会】荻上チキ(批評家)
【出演】雨宮処凛(作家)/赤木智弘(フリーライター)/山内太地(大学ジャーナリスト)/ペペ長谷川(だめ連)/大友秀逸(加藤智大被告の元同僚)/清水直子(ライター・フリーター全般労働組合)/塩見孝也(元赤軍派議長)/増澤諒(就活生の本音フェス実行委員会代表)/大瀧雅史(就活くたばれデモ@札幌・首謀者)※ 順不同・敬称略
【参加費】前売1500円/当日1700円 (ローソンチケットにて販売中 L:31740)
【問合せ】hyougakisedai(a)
【主催】氷河期世代ユニオン
※当日はニコニコ動画によるライブ中継があります。
雨宮さんも指摘するように、
改正雇用機会均等法21条では、
女性労働者が性的な言動に対する対応によって不利益を受けたり、
就業環境が害されたりすることのないよう、事業主が
「雇用管理上必要な管理をしなければならない」と定められています。
セクハラが「個人と個人の問題」ではなく、
当事者だけに責任があるのでもないことは明らかです。
雨宮処凛さんプロフィール
あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」
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