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2010-06-09up
雨宮処凛がゆく!
新内閣と生活保護裁判。の巻
トルコから帰国してたまった仕事に追われてバタバタしていたら、鳩山首相が辞任して「菅新総理」が誕生したからびっくりだ。
しかも下降の一途を辿っていた民主党支持率が突然60%以上に急上昇。まだ何もしてないのに。こういう支持率の急上昇や急下降を見るにつけ、なんだか「小泉劇場」以降の危うさを感じるのは私だけではないだろう。
さて、私は菅さんと話したことなどはないが、何度か同じ場所に居合わせている。初めて見たのは日比谷の年越し派遣村。もちろん当時は民主党は野党で、菅さん以外にも山井さんや社民党の福島さんや辻元さんや新党大地の鈴木宗男氏などが来ていた。
派遣村以降も、菅さんが反貧困関係のイベントに来ているのを何度か見かけた。というか、湯浅さんを「内閣府参与」(というかもともとは「国家戦略室」という話だった)に口説いたのも菅さんじゃなかったっけ? ということで、とりあえず貧困や不安定雇用の「実態」については知っているはずだ、という思い込みからやはり私の期待値も高まるが、その辺りはほどほどにしておきたい。というか「世襲じゃない」とか「とてつもない金持ちでない」というだけで否応なく期待値が高まってしまうってこと自体、いかにこれまでが特殊だったかってことの証明ではないだろうか。
そんな菅内閣で幹事長になったのは枝野さん。また、官房長官には仙谷さんが選ばれた。両者とも、格差・貧困関係のテレビ番組などで一緒になったことがある。その時の印象としては、反貧困運動側への理解は深いと感じた。ちなみに仙谷さんは生活保護の母子加算問題に関する院内集会に来てくれたこともあり、それなりに「意欲的」な印象を持っているのだが、さて、これからどうなるのだろう。ちなみに私自身の不満としては、政権交代後も「不安定雇用問題の優先順位が低い」ということがある。特に派遣法はどうなるのだろうか。
このように私は、常に「反貧困運動などの現場にどんな政治家が来るか」をチェックするようにしているのだが、鳩山辞任の翌日の6月3日、六本木で開催された「反貧困たすけあいネットワーク」のイベントに来ていた国会議員の顔ぶれに非常に驚いたのだった。
まずびっくりしたのは「たちあがれ日本」の与謝野馨氏。与謝野氏が「反貧困」を掲げる六本木のクラブイベントに来るなんて・・・。「時代は変わった」感に思わず遠い目になってしまったのだが、もっと驚いたのは与謝野氏のお話だった。もともと自民党は社会民主主義的な政策をしてきたとかいう言い訳みたいな話から始まって、今更「日本から豊かさが失われていくことを危惧してる」みたいな発言。会場のあちこちから「とっくに失われてるよ・・・」という呟きが漏れていたのだった。与謝野さんが話す少し前には「当事者発言」として派遣切りに遭った人や、様々な事情から実家にいられなくなり、5ヶ月間ホームレス生活を強いられ、その間は図書館で「食べられる草」などを調べて生き延びていた若者などが登場したのに、今さら「豊かさが失われたら」とかって・・・。せっかく選挙を前にしてやってきたというのに「何もわかってない」ことをアピールしに来てしまったようなものかもしれない。
反貧困たすけあいネットワークのイベントにて。
他にも民主党、共産党、自民党の人が来ていたのだが、自民党の人(すみません、名前忘れた)の話にもちょっとびっくりした。こちらは年収200万円以下の人が世代別でどれくらいいるとかそういうグラフを持参してきたのだが、そういうことは政権交代以前にずーっと運動側が自民党の人にわかってもらおうと思って言ってたことで、なんか自民党の人が「朝生に出た共産党の人」みたいなことを言ってる、という図に、隣に座る共産党の小池議員と人格が入れ替わったのかと一瞬目と耳を疑ったのだった。
さて、その翌日には民主党代表選挙で菅さんが新代表に。この日、私は大阪にいた。「食べられないのに働けってどういうこと?!」と題された集会に出演したのだ。この集会は、「岸和田生活保護事件」を考えるためのもの。「岸和田生活保護事件」とは、岸和田市福祉課に生活保護の申請に行った30代の男性(妻と二人暮らし)が、仕事もなく所持金もほとんど尽きた状態なのに「働く努力をしていない」と5回にもわたって申請を却下され、09年7月に却下決定の取り消しと慰謝料の支払いを求めて提訴した、というものだ。
ここ数年、北九州で生活保護を「辞退」させられた果てに餓死者が出たり、申請させてもらえずに自殺者が出たりして大きな社会問題となってきた。「水際作戦」という言葉が広く知られるようになり、その問題点が指摘されてきた。にもかかわらず、このような実態が放置されていたのである。ちなみに5回にわたって却下されてきた時期は政権交代前の08年6月から12月にかけて。なんだか弱者を切り捨てる自公政権の「置き土産」のような気がしないでもない。
経緯はというと、男性は08年2月に派遣切りに遭って失職し、それまで働いていた大東市から妻の母がいる岸和田市へと引っ越し。岸和田で簡単に仕事が見つかるだろうと思っていたものの何十件も落とされてしまい、困り果てて生活保護の申請に行く。が、「健康だし仕事は探せば見つかる」と却下されてしまう。5回にもわたってだ。
却下の理由は「稼働能力の不活用」。難しい言葉だが、ようは今回の場合、「働く努力をしていない」と決めつけられたのだ。生活保護を受けるには「貯金などの資産がない」とか「家族にも頼れない」などの条件があるのだが、その中には「働ける人は働く努力をすること」も含まれている。しかし、働く努力をしているのに仕事が見つからないことはままあるだろう。そして実際、この男性は仕事を探していた。それなのに「稼働能力の不活用」という理由での却下。向こうの言い分としては「もっと真摯に仕事を探せ」ということらしいが、「本気で」とか「真摯に」とかって、誰がどういう基準に基づいて判断するのだろう。たまたま福祉事務所の窓口にいる人? その人の手に、最後のセーフティネットにひっかかれるかどうかの生殺与奪権が握られているんだとしたら、それはセーフティネットでもなんでもない。
ちなみに「稼働能力」を活用するためには、最低限の条件が必要だ。それは面接に行く交通費があることだったり、履歴書を買うお金があることだったりする。が、この男性の場合、食べ物にも事欠き、家賃も払えずガスも止められている。しかし、全財産が500円になった時には「岸和田に仕事がないなら大阪市内まで探しに行くように」言われているのだ。だからその交通費がないんだけど・・・。男性は面接に落ちるたびに自分を責め、精神的にも追いつめられ、自殺も考えたという。
結局、生活保護は6回目にしてやっと申請が認められ、男性は無事仕事も見つかったようだが、この手の話はきっと全国にゴロゴロしているはずだ。
集会で、男性は言った。
「これ以上、私たち夫婦みたいな貧困者の方や、本当に困っている人たちを出したくありません。そのために、私たち夫婦は岸和田市と大阪府を相手に裁判で闘います」
政権交代後、「水際作戦」は大分減ったという話を各方面から聞く。しかし、今もひどい目に遭いながらも声を上げる余力すらない人もいるはずだ。この裁判には、プレカリアート層の今後がかかっていると言ってもいい。皆さんも、裁判の行方を注目してほしい。
大阪の集会で生田武志さんと。生田さんの『貧困を考えよう』(岩波ジュニア新書)、とってもわかりやすいです!
数年前には想像さえできなかったような、
「反貧困」イベントでの光景。
何かが大きく変わった、ことだけは事実ですが、
それが状況を変えることにつながっているのかどうか?
菅新政権における貧困・雇用問題の今後、
しっかりと追っていきたいと思います。
雨宮処凛さんプロフィール
あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」
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