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2011-04-06up
伊藤真の「けんぽう手習い塾・リターンズ」
【第9回】最高裁大法廷での違憲状態判決について
(その2)
●『合憲判決』と『違憲状態判決』はどう違うの?
前回のコラムで解説したように、3月23日の最高裁大法廷判決は『違憲状態判決』でした。また、第4回のコラムで紹介したとおり、私たちは昨年夏に実施された参院選の1人1票実現訴訟も提起しており、2月28日の名古屋高裁金沢支部の判決で15件すべての第1審判決が出ましたが、こちらは3件が『違憲違法判決』、12件が『違憲状態判決』と15連勝で終了しました(15件とも上告し、最高裁に係属中)。
そして、参院選の15件の1人1票実現訴訟の判決がすべて出たため、3月1日以降、新聞記事などで訴訟の結果一覧を掲載しているところがありましたが、名古屋高裁の判決(2月24日)について殆どの報道機関が『違憲状態判決』と報じているのに対して、一部の新聞が『合憲判決』と報じており、報道機関によって判決の評価が異なることがありました。
そこで、今回は1人1票実現訴訟の判決(『合憲判決』、『違憲状態判決』、『違憲違法判決』、『違憲無効判決』の4種類)について説明したいと思います。
まず、判決について説明する前におさらいになりますが、そもそも1人1票実現訴訟とはどういう訴訟であるかを確認すると、実際に実施された衆・参議院議員選挙は、憲法が保障している投票価値の平等が実現されておらず違憲なので、無効であるという訴えです。より厳密に言うと、選挙は公職選挙法に規定されている選挙区割り、すなわち、定数配分規定によって実施されるので、投票価値の平等を実現していない定数配分規定は憲法に違反しており、そのような規定に基づく選挙は無効にせよと裁判所に求めるものです(ちなみに日本国憲法が投票価値の平等、すなわち、1人1票を保障していることについて争いはありません)。
このような原告の訴えに対して、裁判所はいくつかの段階を経て判決を出します。
最初に、裁判所は定数配分規定そのものが1人1票という憲法の要請する原則に違反しているのか否かを審理します。この段階で、選挙時の定数配分規定が1人1票を実現している、または1人1票を実現してはいないが、それは著しい不平等とはいえないと裁判所が判断すれば、『合憲判決』が下されます。今回の参院選の15件の訴訟では、さすがにそのような非常識な判断をする裁判官はいませんでした。なぜなら、第6回のコラムにも書いたとおり、憲法が参議院の独自性を規定していたとしても、それによって投票価値の平等の要請を後退させる理由にはならないこと、参議院議員も全国民の代表(憲法43条1項)であり都道府県という行政区画は憲法上の要請ではないこと、1=0.2票でないのは小学生でも理解できることで、このような著しい不平等は理不尽だからです。
もっとも、ここからが法律を勉強したことがない人には少し難しいと思いますが、定数配分規定が1人1票を実現していない、すなわち、憲法に違反していると裁判所が判断したとしても、それだけでは違憲判決を出しません。なぜなら、公職選挙法を改正するのにはある程度の時間が必要となるため、改正に必要な合理的(相当)な期間が与えられていたにもかかわらず国会が改正しない段階に至って初めて、裁判所は国会による改正がないことを違憲違法と判断するからです。
裁判所は選挙当時の定数配分規定が1人1票を実現していないと判断しても、その選挙までに1人1票を実現した公職選挙法に改正するのに合理的(相当)な期間がなかったと判断した場合には、違憲状態にはあるけれども国会の裁量権を尊重して直ちに違憲判決を出すことしません。これが『違憲状態判決』であり、いわば「有罪だけど、諸事情を考慮して一定期間は刑罰を科すのを猶予します」という執行猶予付判決のようなものです。
この『違憲状態判決』を3月23日の最高裁大法廷判決の判決文(*)で見ると、P11の3行目からの『本件区割基準のうち1人別枠方式に係る部分は、……、憲法の投票価値の平等の要求に反する状態に至っていた』、『そして、本件選挙区割りについては、……、これもまた、本件選挙時において、憲法の投票価値の平等の要求に反する状態に至っていた』という部分が、衆院選を実施した際の1人別枠方式を含む選挙区割り(定数配分規定)が憲法の保障する投票権の平等に反していることを示しており、同P11の14行目からの『本件選挙までの間に………、憲法上要求される合理的期間内に是正がされなかったということはできない』という部分で、選挙区割りは違憲だけど選挙までに国会が合憲になるように是正する時間がなかったから、今回は『違憲状態判決』にとどめ、『違憲違法判決』を出すのは見送りましょう、となるのです。(*判決文はこちらからダウンロードして読むことができます。)
●2009年最高裁判決、名古屋高裁判決は
「合憲」ではなく「違憲状態判決」と評価されるべき
では、なぜ2月24日の名古屋高裁の判決を『合憲判決』と報道した新聞があったのかというと、判決文の中で「大きな不平等」という表現はあったのですが、「著しい不平等」とはいっていないため、これを違憲状態判決と読み取れなかったからなのです。
2007年に実施された参院選に関する1人1票実現訴訟の最高裁の大法廷判決(2009年9月30日)は、選挙当時の4.86倍(1:0.206票)という格差について、「上記のような較差は、投票価値の平等という観点からは、なお大きな不平等が存する状態であり、選挙区間における選挙人の投票価値の較差の縮小を図ることが求められる状況にあるといわざるを得ない」としていますが、この判決を一般的にはこれまでは『合憲判決』と評価していたのです。そこで、「投票価値の平等という観点からは、なお大きな不平等が存在し、このような状態は、少なくとも憲法が想定していた事態とは言い難い」とする名古屋高裁の判決もこの最高裁の判決と同じではないかと判断した新聞社があったからなのです。
しかし、前述の通り、合憲判決とは国会の作った公職選挙法の定数配分規定が何ら憲法に違反しない場合をいうのであり、裁判所が判決において投票価値に大きな不平等があると認定した時点で、これを『合憲判決』と評価するべきではありません。憲法が大きな不平等を許しているとは到底いえないからです。
更に「国会において、速やかに、投票価値の重要性を十分に踏まえて、適切な検討が行われることが望まれる」(2009年 最高裁大法廷判決)、「投票価値の不平等状態を是正するため、早急な立法措置が必要とされている」(2月24日 名古屋高裁)と裁判所が国会に投票価値の平等を早期に実現するよう注文をつけています。
このことからも、これらの判決が『合憲判決』であると評価することはできません。憲法に違反しない国会の立法について裁判所が改正するように注文をつけることなど権力分立に反し許されないからです。裁判所が国会に注文をつけるのは、その法律が違憲状態にあるからに他なりません。
つまり、2009年の最高裁大法廷判決の評価が今まで間違っていたのであり、この大法廷判決も2月24日の名古屋高裁の判決も『違憲状態判決』と評価すべきなのです。
●『違憲違法判決』は、
選挙は違法だが選挙は無効としない、とするもの
次に『違憲違法判決』ですが、これは定数配分規定が憲法に違反しており、かつ、選挙までに国会で1人1票を実現した公職選挙法に改正することが可能であったと裁判所が判断した場合に出されます。この場合は原告の主張どおり、憲法に違反する定数配分規定に基づく選挙が行われたわけですから、選挙も無効になるのが原則です。
しかし、裁判所が、選挙を無効とすると、政治的・社会的混乱が生じるため例外的に選挙を無効とはしないと判断して出されるものが『違憲違法判決』です。国のした行為(選挙)が違法であり、その効力を否定することにより公益に著しい障害が生じる場合、裁判所は当該行為の効力を否定しなくてもよいが、判決で行為が違法であることを宣言しなければならないという規定が行政事件訴訟法31条にあります(「事情判決」といいます)。そこで、裁判所はこの事情判決の法理を適用して、憲法に違反する定数配分規定でなされた選挙は違法だけど、選挙は無効としない、というのが『違憲違法判決』なのです。昨年11月17日の東京高裁、今年1月25日の高松高裁、同月28日の福岡高裁が判決主文で「原告の請求は棄却する。ただし、平成22年7月11日施行の参議院(選挙区選出)議員選挙の●●●選挙区における選挙は違法である。」としているのは、このためです。
これに対して、原則どおり、憲法に違反する定数配分規定でなされた選挙は無効であるとするのが『違憲無効判決』となります。ちなみに、1人1票実現訴訟において最高裁が『違憲無効判決』を出したことは一度もありませんが、私は『違憲無効判決』をしても、その無効の効力を将来効にするなど社会の混乱を避ける方法はあると思っています(第4回コラム参照)。また、公職選挙法219条1項は、選挙の効力に関する訴訟においては行政事件訴訟法31条(事情判決)を適用してはならないと規定しているので、『違憲違法判決』をすることが本当に許されるのかという議論がありますが、今回は割愛します。
●いよいよ国民審査権を行使すべきときが来る
前回までのコラムに書いてきたとおり、1人1票が実現された上で行使する選挙権は民主政治を入り口でチェックする機能を持つことになります。しかし、現状のように1人1票が実現していない状態ではこのチェック機能は働きません。そこで、参政権であり、1人1票が実現されている国民審査権で民主政治をチェックしなければなりません(出口でのチェック)。
今回の最高裁大法廷判決で、1人1票を認めたのは須藤判事・田原判事・宮川判事の3名だけで、他の12名は認めませんでした(否定したかどうかは問題ではありません。1人1票を認めたのかそうでないのかが重要なのです)。そして、遅くとも2013年には実施される衆院選の際の国民審査においては、裁判官が入れ替わらない限り、須藤判事・千葉判事・横田判事・白木判事・岡部判事・大谷判事・寺田判事の7名が審査対象となる予定ですので、須藤判事以外の6名の判事には「×」を付けなければなりません。
私たち国民は、主権者として参政権である国民審査権を行使することによって、この国を真の代議制民主主義国家にする責任があるのです。
●1人1票の実現は一夜にしてならず
考えてみれば、この国が真の代議制民主主義国家であった時代はありませんが、今現在は皆さんが思っている以上に、1人1票を実現する草の根の活動は日本中に広まっています。例えば、twitterで毎週日曜の21:00〜22:30で行っている『がんばろう日本!1人1票をつぶやく会』(1人1票実現に対する想いを最後に「#ippyo」のハッシュタグをつけてつぶやく会)において、昨年11月末頃には東京高裁で『違憲違法判決』が出た後にもかかわらず、1時間あたりのツィート数は330程度でした。しかし、わずか2ヶ月後の2月6日には、2600を超えるツィートがあり、2月13日には総合ランキング1位になるほどの盛り上がりをみせています。
また、0.6票君Tシャツを着て駅で0.6票君カードやティッシュを配布する活動(「駅活=えきかつ」)も、東京のみならず神奈川、愛知、岐阜、大阪や福岡でも実施されるようになりました。特に東京では山手線の全29駅を1日1駅でカードを配布して回るのですが、既に3周! もしています。
正直、私もこのような短い期間で1人1票実現への草の根の活動が広まるとは思っていませんでした。もちろん、これらの活動は私たちがお願いして行ってもらっているようなものではなく、サポーターの方が1人1票の実現を「自分事」と考えて行っているに過ぎません。まさにいま民主主義を勝ち取ろうと一人ひとりの国民が動き出しているのです。
日本で1人1票を実現するというこの問題は15人の最高裁判事が決めるような問題ではありません。主権者たる国民が自らの手で実現するべきことなのです。本来なら国民投票で決めるべき問題です。国民審査という参政権を行使してこの国を1人1票が実現した民主主義の国家にすることができるのです。
このコラムを読んで下さっている方は、既にこの問題が「自分事」になっているはずです。さらに多くの人に、
「清き1票が0.2票ではオカシイ」
「国民審査は参政権」
「須藤判事以外は1人1票に賛成でない」
といった情報を伝えて下さい。
その1人1人の活動が新しい日本を創ります。
※3月23日の最高裁大法廷判決を受けて、日弁連をはじめ第一東京弁護士会、第二東京弁護士会などが会長声明を出していますので、ご覧ください(日弁連の会長声明はこちら)。
*
「考えてみれば、この国が真の代議制民主主義国家であった時代はありません」という塾長の言葉が、響きます。民主主義の根幹が問われる「1人1票」の問題に自らが参加し、この国をどうするのかを、自分たちが自主的に決める。今、まさにそれが問われている時です。
伊藤真さんプロフィール
伊藤真(いとう・まこと)
伊藤塾塾長・法学館憲法研究所所長。1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。著書に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)、『憲法の力』(集英社新書)、『なりたくない人のための裁判員入門』(幻冬舎新書)、『中高生のための憲法教室』(岩波ジュニア新書)など多数。近著に『憲法の知恵ブクロ』(新日本出版社)がある。
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