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年末年始合併号特別対談「〜憲法改正、私はこう考える[2007-2008]〜伊藤真(伊藤塾塾長)×小林節(慶応義塾大学教授)」

〈その2〉9条はどうあるべきなのか?

日米安保があり、基地があり、海外派兵が続く。9条があってもぜんぜん平和ではない現実について、どう考えるべきなのか? さらなる9条の拡大解釈にストップをかけるため、改正を問うのか? 9条の精神をどう活かすべきなのか?さまざまなことが矛盾だらけであることに、改めて気がつかされる伊藤真先生と小林節先生の静かで熱い議論。私たちもギリギリと真剣に考えていきましょう。

伊藤真●いとう・まこと
伊藤塾塾長・法学館憲法研究所所長。1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。著書に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)。『憲法の力』(集英社新書)など多数。

小林節●こばやし・せつ
慶應義塾大学教授・弁護士。1949年生まれ。元ハーバード大学研究員、元北京大学招聘教授。
テレビの討論番組でも改憲派の論客としてお馴染み。共著に『憲法改正』(中央公論新社)、『憲法危篤!』(KKベストセラーズ)『憲法』(南窓社)、『対論!戦争、軍隊、この国の行方』(青木書店)など多数。
 

■自衛のための軍隊は必要

編集部

 2004年に出版された『対論!戦争、軍隊、この国の行方』(青木書店)の中で、小林先生が9条の改正私案を提案されていますが、この考え方は、今も同じでしょうか? 引用しておきますと、

第1項
侵略戦争を放棄する。ただし、自衛戦争は放棄しない。つまり、自衛権の保持を宣明する。加えて、国際責任から逃げないことも明記する。つまり、国連からの正式な要請があった場合には、国際社会の治安維持のための国際警察活動に参加する用意があることも宣明する。
第2項
前項の目的を達するために、自衛軍を保持することを宣明する。
第3項
国民の中には、宗教的信条等により戦争(軍事活動)に参加することを忌避する者もいるので、国民の人権の一種として、良心的兵役拒否権を明文で保障する。

小林

 基本的に変わりはないです。昔からこれを言ってきてますし、今も言ってることです。

編集部

 対談の冒頭で、小林先生から、改憲する必要性の前提として、今の9条は全く空洞化しているので、そのためにも9条を改正しなければいけないとお聞きしました。

 そして9条には、自衛権を保持していること、自衛軍を保持することを明記するべきだ、というこの考え方が、たぶん、伊藤先生の考えとは違うところだろうと思いますが。

 伊藤先生は、今「マガジン9条」に連載中のコラムのほうで、日本国憲法は自衛権も放棄する、自衛権も持っていないと、書かれてましたよね。

伊藤

 自衛権の言葉の使い方にもよりますが、私は、9条の本来の意味は、自衛のための戦争も含めて、対外的に軍事力を使って自衛するということ自体を放棄したと考えています。

小林

 憲法9条の本来の趣旨はそうだと思いますよ。しかしそれではまずい、というところから自民党的改憲論が出てきて、今は解釈で丸ごとまたいじゃって何でもできる状態になっています。事実、海外派兵しているんですから。

 私の考え方ははっきりしていまして、間違っても、二度と侵略戦争はしません。これは同じですね。ただ、運悪く我が国が万策尽きて、他国から侵略の対象になったとき、我々の運命は我々が決めるべきであって、他国の軍事力に決められるべきではないと私は思いますから、本当にそういう条件が整ったときには、自衛戦争はできるべきだと思います。そこは、今の憲法を変えます。

 したがって侵略しないというのは、今の憲法のとおりです。でも、本当の意味での自衛が必要なときには自衛します、というところは、今の憲法を変えます。そのために、自衛軍を持ちます。

■自衛軍は持つ、ただし海外派兵はしない

小林

 ただ、間違って海外へ侵略することがないようにしなきゃいけないです。それをどう歯止めをするかというと、原則海外派兵は禁止して、例外的に海外派兵できるときは、特定の他国、同盟国の要請では不十分で、それだけでは認めません。国連その他国際社会の合意というか、国際社会における第三者機関の決定を必要とします。と同時に、ただそれだけでもないです。第三者機関が海外派兵を要請──つまり世界警察はないですから、世界警察をしに「来て」と言われたとしても、行きたくない状況ということはあるじゃないですか。だから、事前に我が国の国会の承認を必要とします。これ、わかりますか? これね、国際社会では非常に穏当な普通の国になった「形」を示すけれど、現実問題として(海外へは)条件が厳格で行けないと思います。それでいいんです。

 とはいえ、昔の僕は、そんな日本は孤立すると思ってたわけです。でも、しかし、最近そうでもないと思うようになったんです。例えば、日本は世界有数の経済大国じゃないですか。こんな狭くて、資源もなくて、人口だって実は大きくないんですよ。アメリカの半分しかいないしね。中国とかインドから比べたらめちゃくちゃ少ないし。それから、EU連合国家から比べても小さいしね。

 それから、スパニッシュ・スピーカーからすれば、超マイノリティーですよ。その日本が、こんな経済大国でいるということは、世界中の国々と取引して、存続しているわけです。これは、この国が滅びたらみんな困るんです。だから、日本は殺すに殺せない国なんですよ。最近、僕はここが変わったんです。これは、護憲派に言われて変わったとか、「反省したか」と言われる話じゃない。僕は、真剣に論争の中で学習したんですよ。

編集部

 論争の中で?

小林

 そうです。自民党との。だって自民党なんて、「今、海外派兵しなかったら孤立する」とか言って。するはずないんですよ。

 それからね、さらに孤立しない理由。日本は、世界第3の他国支援国なんです。ODA(オフィシャル・ディベロップメント・アシスタンス)ね。それから、世界第2の国連のファイナンスを担っている国なんです。こんな国が、海外派兵しなかったくらいで、お金だけと言われて、つぶされようがないんです。「悔しかったら、金出してみろ、このやろう」ですよ。ただ日本のほうが、お金を出しているくせして恐る恐る「あの、軍隊で行かないとつき合ってくれませんか?」と問うから、向こうが図に乗って、「ああ、ついでにそれもよこせ」とくるんです。

 それからアメリカとの関係だって、(海外派兵しなくても)アメリカと関係が悪くなんか絶対ならないんです。日本列島が弓の形でここに存在するおかげで、ロシアと北朝鮮と中国は、太平洋へ出れないんですよ。おかげで、太平洋はアメリカの海なんです。だからアメリカは、ハワイで威張ってられるんです。日本が大陸側についてごらんなさい。太平洋は戦の海になって、アメリカはサンディエゴの軍港の外に防衛線を張らなきゃいけないんですよ。アメリカは丸裸になりますよ。そのくらい、日本という国はいてあげるだけで、そこに米軍の基地を置かせてあげるだけで、すごくアメリカの役に立っているんです。

 だから、もし日本が北朝鮮に襲われたら、アメリカは世界戦略上の日本、米軍基地を守るために来る。しかも、日本がお人よしにもその米軍基地に千四百億円も、出してあげている。普通、アメリカから見たところの後進国に基地を置くときは、アメリカだって、これまでの先例から言ったら場所代を払っているはずですよ。こんな都合の良い相手いないです。それを、「アメリカさん、もっとおつき合いしないと、私、捨てられますか?」なんて上目遣いで言うから、「ついでだ、もっと要求しとこうか」となるんですよ。何と言うかな、セクハラ的発言をすると、日本は、“エニー・タイム・オーケー・ガール”なんですよね(笑)。さんざんセクハラされてるのに、「もっとつき合わなかったら、私って捨てられますか?」ってしがみついているみたいなもので。本当に、勘違いするなですよ。

編集部

 それ聞くと、かなり屈辱的ですね。

小林

 さらに極めつけは、アメリカは、今世界の基軸通貨、ドルで威張っているでしょう。昔は、アメリカの地下金庫に、ドルを持っていったらくれる金があったけど、今はそれはないでしょう。つまり、世界経済が大きくなり過ぎたことと、それに見合う金を備蓄する能力がアメリカになくなったことと、それでアメリカはどんどん勝手に緑の紙を刷っているわけです。それを何が支えているかというと、最後には、「困ったら日本が払います」と。つまりアメリカの国債をたっぷり買い込んで、絶対売らずに抱え込んでいる日本がいるわけです。アメリカのいわば地下金庫になってあげているんですよ。

編集部

 アメリカの地下金庫にまでなってるって・・・

小林

 これだけ世界に貢献し、アメリカに貢献し。この日本が、「おい、こら」と軍刀をがちゃつかせて出ていかなかったら孤立するなんて、被害妄想ですよ。しかし僕も、その被害妄想を持っていたんです。湾岸危機ぐらいまでは。だけど今は、気づいた。日本は、大丈夫だなと。

■非軍事・非武装で日本ができる国際貢献

小林

 それでどうするか。これからのことだけれど、いろいろな方法があるじゃないですか。アフガニスタンだって、昔は豊かな農村だったわけですね。それが、1つは石油の関係とか、それから東西冷戦の影響でぐちゃぐちゃになった。中近東なんか、みんな豊かな砂漠の民だったわけですよ。石油が出ただけで、西洋にちょっかいを出されてあんなことになっているわけです。

 日本は、そういうところに手を出してなかったじゃないですか。石油は買っても、日本は石油を奪ってないんです。しかも、日本はキリスト教とイスラム教のけんかに対して、神道と仏教の第3の文明で、もともと中立なんです。襲ってきた金髪、青い目、白い肌じゃないんです。我々はアジア人なんです。この立場を活かして、我々は、例えば戦争がおさまりかけたときに道路工事に行くとか、お水配りに行くとか、電線をつなぐとか、一番得意な地雷除去をしてあげるとか。

 それから、最初は食糧をあげますよ。だけど、ただあげちゃうってだめなんですよ。再生産能力をつくってあげなきゃ。  もう1つ、伊藤先生も強調しておられるけれど、日本は戦争の被害者や風土病の被害者を最先端医療で助けてあげられる。その救助隊はみんな全部、日の丸をべたべたつけてやるといいんです。

 日本は、確かによその国を侵略しそびれて負けた前科者ではございますけれども、これだけみずから復興して、あとは明るくサービスする国になったと。こんな日本、ありがたくて殺せないですよ。

編集部

 今おっしゃってるのは、国際貢献の話ですよね。海外に自衛隊を派遣しなくとも、できうる有益な国際貢献があるという。

小林

 そうそう。非軍事的国際貢献。ここは、確かに僕は変わったんだ。だけど、なぜ変わったかというと、最前線で自民党の改憲推進派らと議論をしている中で、一生懸命学習して変わったんですよ。伊藤先生にも、随分助けてもらったけれど。僕の変わった瞬間、先生、見てるよね(笑)。伊藤先生に問われながら、こういうことを言っちゃったわけ。

伊藤

 私が「派兵しなかったら、インド沖で給油継続しなかったら、日本は本当に孤立しますか?」と問いかけて、「先生、こうじゃないですか、こうじゃないですか」と。すると「そうだよね、そうだよね」と。(笑)

小林

 僕が、話の筋でここまで言っちゃったわけよ(笑)。あれ? 伊藤先生と同じこと言ってるなと。だから、「変わった」って彼に指摘されて、「それはそうだ。でも変わったんじゃない、成長したんだ」と(笑)。

■日本の海外派兵は国際貢献になるのか

伊藤

 今のアフガニスタンをめぐる議論に関して言えば、・・・自民党はイラク特措法の期限を延長するのか、どうするのかというところで、自衛隊がインド洋での給油活動から撤退したら、国際社会から見捨てられるという議論をずっとやっていた。とんでもないなあ、と思っていたら、民主党の小沢さんがちょっと一人で走ってしまった。しかし、軍事的な貢献というのは、対案としてそれも違うだろうと思っています。

編集部

 小沢さんは、給油活動からは撤退する、アメリカ主導の軍事プロジェクトの支援だから。でも国連が決めた、国連の指揮下にあるものなら、例えばISAFだったら、自衛隊を参加させる、武力を伴う軍事的な貢献もすると、論文で主張してしまった。

小林

 「ひきょう」と言われたために男気を出して、「軍隊に参加する」と言っちゃったんだろうね。小沢さんは、そんなことを言う必要ないのに。

編集部

 湾岸戦争の時に幹事長だった小沢さんには、莫大な多国籍軍への支援金を日本が払ったのに、アメリカや国際社会から感謝されなかったという、思いこみのトラウマがあるのでは、と思ってしまいます。小沢さん以外にも、湾岸戦争の時のことを引き合いに出して言う人は多いですよね。

伊藤

 軍隊で出ていって国際貢献することは、日本のやるべき仕事じゃないし、そんなことをしなくたって幾らでも誇りを持った、立派な、世界に誇れる日本であり得るわけです。日本大好きという愛国心に満ち満ちている人にとってみたって、このほうがよっぽどいいと思うんですよね。何でアメリカ、イギリスと同じことを、それこそ人の真似をしなくちゃいけないんだろうか、情けなくてしようがないですよね。

 憲法は、一人ひとりの個人のレベルで、人と違うことはすばらしいんだ、個性があっていいんだということを、個人のレベルで保障しているんだから、国家だって、それぞれ違っていいはずです。要するに日本は日本らしくあればいいわけです。僕は、日本という国が好きですから。

 この国らしい国際貢献が、さっき小林先生がおっしゃったようにあるわけですよね。それをしていけばいいんじゃないですか、という議論をいろいろしていくうちに、「そうだね」と。

小林

 真剣に論争に参加するからこそ、こういう結論も出てくるわけです。だから、「(改憲の論議に)関わったらいけない」なんて、逃げてる護憲派のことは、本当に気に入らない。進歩しないですよ。最後に追い詰められたら、「だって今の憲法上で、政府はやりたいこともできない、今のままで効果があるじゃないですか」と。

編集部

 自民党がイラク特措法の新法をつくるに当たっては、小林先生は何かアドバイスを求められましたか?

小林

 でき上がった資料は届くけどね。資料は届くけど、声はかからないね。担当者から、「先生、少し発言を控えてくださいよ」と言われた。「おれの学説だ」と反論しているけれどね。

■集団的自衛権をどう考えるのか

編集部

 ところで小林先生は、以前は、集団的自衛権に関しては、行使できたほうがいいとおっしゃってましたよね。今、お伺いしたお話だと、海外派兵できないわけですから・・・。

小林

 集団的自衛権、それも1つの選択肢だと今でも思っていますよ。集団的自衛権というのは、行使することに意味があるんじゃないですよ。究極は、例えば今ここに、女性3人と僕らの5人がいますが、けんかするとなった場合、伊藤先生と僕が、一番腕力がありそうじゃないですか。伊藤先生のほうが大きいですよ。だけど、僕、講道館柔道と少林寺拳法の黒帯を持ってますからね。子どものころ、手が不自由でいじめられたから、強いものにあこがれがあってね。だから、柔道と拳法という武器を持ったわけです。

 それで何を言いたいのかというと、伊藤先生と僕が分かれている限り、けんかは成り立つんですよね。要するに、あなたたちがどちらかにつくことによって。ところが、僕ら2人が同盟国になったとする。僕たちどちらか一人に対する攻撃は2人に対する攻撃とみなすから、2人でかかっていくよといったら、もうけんかは起きないじゃないの、この中で。そういう意味で、集団的自衛というのは、僕は、正しい友好国同盟、つまり侵略同盟じゃなきゃ、あるいは親分アンド子分ズ・リレーションじゃなければ、正しいと考えます。

 アメリカ親分が世界侵略するのに、「おまえ、属国になれ」という関係はよろしくない。あるいは、旧ソ連親分が、「世界侵略するから、おまえ、属国になれ」という関係ではまずい。だから、本当の意味での同盟関係、つまり価値観を共有する同盟関係だったら、それは紛争を予防することになるでしょう。集団的自衛権というのは、その関係のプレゼンスがもう効果ありというわけです。そういう意味で、昔から主張しています。でも、今、それを言うと誤解を招くから。

編集部

 誤解を招くとは?

小林

 だって、(集団的自衛権を認めているということは)台湾派兵賛成論だけとられちゃう恐れがありますから。

編集部

 そうですね。じゃあ、同盟関係を結んでいても、さっきのお話だと、自衛隊もしくは自衛軍の海外派兵はしませんよ、ということですか? 同盟国から要請を受けても?

小林

 それは可能じゃないですか。国際法上、留保は可能だしね。

 それから、日本というのは第2次世界大戦の侵略者兼負け犬という前科の特殊事情があるから。日本が動くということは、いろいろな逆効果があるじゃないですか。そういう事情は、だれだって知っていますからね。うちは同盟関係に入りますけれども、海外派兵というのは簡単にはできませんよと言うことはできると思います。

 さっき言ったのは、別に同盟国としての海外派兵じゃなくて、国連の一員としてのね。つまり、侵略戦争と自衛戦争のほかの警察戦争があるじゃないですか。第三者間戦争を解消する、止めるための戦争。それは、あり得るよとさっき最初に話をした。それだって、国連の要請プラス国会の事前承認を必要とする、ということです。

伊藤

 集団的自衛と集団的安全保障という二つの異なる考え方がありますね。その集団的自衛権というものを、先ほど先生がおっしゃったように、紛争を防止したり、攻撃されないようにするための1つの道具として、集団的自衛権という名前で呼ぶかどうかは別にしても、1つの同盟関係を築いていくぞというのは、理屈としては、1つのありようだと思います。

 ただ、先ほどの先生のご指摘のように、親分、子分の関係、実際にはアメリカが集団的自衛権という名のもとに好き勝手なことをやらかしているのが現実です。現実の世界では、事実上、親分、子分の関係になっちゃっていますよね。集団的自衛権という名のもとで、結局アメリカの侵略戦争に周りの子分たちは加担するという実態が、今、あるわけじゃないですか。そうすると、本当に対等な同盟関係というか、その中で紛争予防のために集団的自衛権をうまく活かしていくためには、まだまだハードルが高いんだろうなと思うのです。

小林

 現実にそうでしょうね。だから、集団的自衛権を、僕、抽象的には認めるけれども、実務的には、案外使えないかもしれない。言葉の定義だけど、集団的自衛というのは、あくまでも仲間対敵の関係ですよね。仲間のどこかに攻撃が来たら、敵には仲間全員でかかる。これは、あくまでも友敵関係で、紛争の構図です。

 でも、それに対して集団的安全保障のほうは、むしろ敵、味方というよりも第三者機関としての警察組織をつくるわけです。我々に対する攻撃かどうかは別として、正義に対する無秩序が出てきたら、それはみんなで対処する。

編集部

 国連の考え方は、加盟国が集団的安全保障の中にあるということでしょうか?

小林

 違いますよ。国連自体は、集団的安全保障を「目指す」組織なんです。もちろん、歴史は別として。その加盟国は、国連の集団的安全保障装置が動いてくるまでは、個別的集団的自衛で対処していいという仕組みです。  ただ、そうは言っても国連自体はもともと戦勝国の集団的自衛のためにつくられたようなものですよね。

伊藤

 ユナイテッド・ネーションズですからね。ただ、今の国連がどういうふうに変わっていくのか、変えていかなくちゃいけないのかは、また別の議論として必要です。本当に中立的な、第三者的な警察機関みたいなものが国際組織としてできたとして、そこの決定かつ日本国内の主権者、国民の意思決定があれば、軍隊も、警察権の行使として、日本が外へ出すことは一応理論的には可能だというのが、小林先生の考えなんですよね。

■自衛軍を持つことの、メリットとリスクを想定する

伊藤

 ただ現実に、そういうところに警察権を出す場面が本当にあるだろうかというと疑問なんです。そんなことをする前に、もっとほかにもやらなくちゃいけないこと、やれることは多分あるだろうと思うし、今の国連だって、国連軍は一度も組織されていないわけですから、これからもそこまで行く手前で止めていくことになるんだろうと思うんです。

 私は、そういうところに出ていくための軍隊というものも、理論的にはあり得ると思います。自衛のため、最後の砦みたいな形で、軍事力によって守るという考え方があることも十分よくわかるんです。

 先ほど先生がいろいろご指摘してくださったように、例えばこの日本を具体的に攻撃してくる、またはつぶそうとする国が現実的にはなかなか想定できない。ただ、そうは言ったって、何かわけのわからないのがやってくるかもしれない。その可能性は、絶対ゼロにはならないわけです。そうすると、そのときのために何らかの自衛の軍事組織を持つ。実際には使わないかもしれないけど、そういうものを持っておくということが、国民の安心につながっていくということも理屈としてはよくわかるんです。

 ですが、反面、そのことのリスクも考えておかなければいけない。例えば、そういう軍事組織を持ったときに、今の政治の現状で本当に、それを要請されたときに断れるだけの力量のある政治家がいるだろうか。国民がそのときのムードや雰囲気に流されて、それを後押ししちゃうことがないだろうかと考えてしまいます。いろいろそういうことを考えると、軍隊をコントロールするための条件を設定していくのは、相当ハードルが高いのではないか。その前にやらなければいけないことが山ほどあるようにも思うんですね。

 ちょっと前に小林先生とお話しさせていただいたんですが、例えば自衛の軍隊を持ったとして、その軍隊を立憲主義的にきちんとコントロールするための前提というものをしっかり考えていかないと、それこそ政治家がいいようにそういう組織を利用しかねない。例えばテロ事件なんかが起こった時、国民をわっと盛り上げて、それにマスコミを乗せてしまってなんていうことを、平気で、場合によってはアメリカなんかはやるかもしれない。それに乗せられちゃうようなことにならない仕組みづくりというものを、しっかり考えていくことが必要です。立憲主義的に、いかに軍隊をコントロールするのかというところとあわせて考えていかないと、危ないと思うんです。

 ですから抽象的に、軍隊があれば安心だ、最後、そこで守れるんじゃないか、または、攻められたらどうするという抽象的な不安をあおって、ただ、軍隊があれば安心じゃないのというだけで終わってしまってはいけないと考えています。憲法以外のさまざまな前提条件、例えば、文民統制なんていうのも1つなのかもしれませんが、それがうまく機能するだろうかということを考えていくと、まだリスクのほうが大きいという気がするんです。

 私は、「国」を守るための軍隊というイメージしかありませんが、そうではなく「国民」の生命、財産を具体的に守っていくためには、どういう方法が考えられるのか、その選択肢をもっと考えるべきだと思うんです。軍隊を持っていれば、いざというときに、本当に国民の生命、財産を守れるのか疑問です。特に、今、テロとの戦いといわれますが、そこでは軍隊を持っていようが、持っていまいが、同じだという気がすごくするんです。

 いざという時の安心材料としての軍隊を持つ前に、ほかの方法はないだろうか。せっかく9条があるわけですから、その9条の精神をより具体化していく方法をもっと必死で考えるべきだと思うんです。小林先生は、9条の精神を具体化するために、明文で、憲法の中にそれを入れ込んでというご主張だと思うんですね。

 私は、9条の精神を生かすために、ひとまずこの9条を置いておいて、それ以外のところの議論、立憲主義を政治家にわかってもらうということも含めて、そうした議論を、もっとしてもいいんじゃないかというふうに考えるのです。

 よく小林先生から批判されることですが、護憲派は、9条があるから平和だと思っている。全然平和じゃないわけですよ。9条があったって、それこそ安保条約はあるわけだし、朝鮮戦争、ベトナム戦争、今のアフガニスタン、イラクの戦争とずっと戦争に加担してきちゃっているわけじゃないですか。ですから私たちは、今、戦争に参加して加害者になっている。9条があるにもかかわらずです。そうしたら、この9条、本当に機能しているの? やっぱりしてないじゃないの?ということを、その現実にきちんと向き合ったうえで、じゃあ、何が原因なんだろうかということを本気で考えていかないとだめだと思うんです。

 私は、1つの根源は安保条約にあるんじゃないかと思いますけれども、今、突然、安保をなくすわけにもいかない。それが現実だと思います。じゃあ、どうするんだよということを、本当にぎりぎり、頭から湯気が出るほど考えていく。そういうことをやらないで、知的怠惰でいることは許されないと思うんです。

 今の9条があるから、平和が守れてきたというのは違う。その現実を直視して、じゃあ、どうすればいいんだ。小林先生のように、9条に、絶対侵略戦争をしないぞとか、軍隊を外へ出さないぞということを明記したほうがいいのか。それとも、何か別の方法があるのかということを本気で考え、比較考慮して、議論していくことがすごく重要なんだと思います。

■軍隊をきちんと管理するには

小林

 今、伺っていて思い出したけれど、伊藤先生とはもっとその先の議論もしていて、私が伊藤先生に指摘されたのは、「軍隊を持ってきちんと管理できるんですか?」と。これは、今まで考えたことがなかったんですよね。

 軍隊というのは、軍人にとっては、女房より同期の仲間と一緒にいるときのほうが落ち着くんですね。つまり、死なばもろともの世界で、子供のころから共同生活で訓練されてきて、特に上のほうまで行くエリートは、それがとっぷりじゃないですか。別世界の人で、特殊社会なんです。だからこそ、シビリアン・コントロールを厳格にと考えるけれど、そういう人たち、いざとなったら、「うるせえな、おれは歴史に貢献するんだ、今、クーデターを起こすんだ」となるわけです。それをさせない方法を、伊藤先生と2人で考えました。

 1つは、今は憲法がすごくしり抜けになっていますが、一度でも自衛官であった人は、絶対に政治家になっちゃいけないと。これは、シビリアン・コントロールの鉄則です。自民党から参議院議員になったひげの佐藤さんなんてね。本来は資格ないですよ。だって、軍隊の論理で物を言うじゃないですか。それは危ない。でも、しようがないんです。彼らは、そういう教育をされていますから。だから軍人教育を受けた人は国会議員にしない。これが、1つ。

 それから、軍隊ボスをつくらないために、将校の任期を、裁判官の任期と同じで、10年で切っちゃう。だから、軍隊を一生の仕事というものにさせない。今の日本の経済力と技術力から言ったら、兵隊の練度の低さは機械で補えます。

 今話しているのは、侵略戦争が来たらって前提ですよ。我々は戦争はしかけませんから。だけど、北朝鮮の金さんみたいに、「話がつかなかったらテポドンぶち込むぞっ」ていう人がいるんですよ。同じ文明を生きていない、同じ時代に生きている人で。そういう話してわからない人が来たとき、軍隊を持っているということは、歯止めになるんですよ。持ってなかったら本当に来ますよ。

 それから、ちょっと共産圏と似ているけれど、軍隊に将官レベルの政務官を置くこと。軍人教育を受けていない人、あるいは選挙で選ばれた政治家が、軍隊の指令チームに入ることです。

 それからもう1つは、さっき、伊藤先生がおっしゃってた重要な点で、現代のテロには軍隊で対応できないというのはいささか乱暴な議論で、なぜテロが起きるかというと、これはアメリカという軍事大国がひとり勝ちみたいな、絶対正面衝突したらかなわない相手が、傲慢なことをするからなんですよ。それをやると、相手はテロしかなくなるんですね。これは文明の衝突で、アメリカ的な、独善的なキリスト教文明が、今19世紀を生きている砂漠のイスラムの民に、田園のイスラムの民に、アメリカのやり方を押しつけるから必死で反発するんです。

 もっと変な話、神話を根拠にパレスチナに割り込んできたイスラエルの横暴をアメリカが追認するから、現地の人らは、どうやっても勝ち目がないから逆ギレしてテロにはしる。だから、まず国際政治からそういうことをやめるという運動を、日本はできると思うんですね。

 それでもテロという、要するに正規戦じゃない──戦争というのは、要するに代表選手が制服を着て正々堂々とフェア・プレイで、お互いに標的になり合って、バトル・フィールドでぶつかることです。でも、それでない、夜陰に乗じて、民間人の格好をして、後ろから迫ってくるというテロに対しては、そういう戦い方にはそういう戦い方に対応する部隊をつくればいいんです。

 だけど問題は、一番大事なのは、そういう戦いを仕掛けてこられちゃうような環境をつくらないことですよね。それは、やっぱりアメリカのひとり勝ちをさせないとか、日本はそれに加担しないとかね。

 僕は、どこにも安全保障の穴をつくりたくないんです。軍隊も必要な場面があり得るから、それは持っていないとなめられます。だから持ちます。持って、きちんと管理します。

編集部

 その軍隊というのは、例えば今の自衛隊の規模でいいということですか?

小林

 十分です。

編集部

 今の自衛隊の規模で、縮小とか拡大せずに名前だけを変えて、軍として位置づけるということですね。

小林

 一応調べた結果、日本の自然的、政治的特性に照らして、徴兵制は要りません。今の20万前後の職業選択の自由で入ってきた自衛隊員で、日本は、経済力と技術力がありますし、教育水準は高いですから、十分これで、あり得る攻撃に対して今の自衛隊で守れます。

■日米安保をどう考える

伊藤

 先生、そのとき、安保条約はどうしましょう。今みたいな、アメリカと一緒の自衛隊ということなのか、それともアメリカのお世話にならず、きちんと自前の軍隊で、きちんと自衛するということでしょうか?

小林

 今の自衛隊は、中国や北朝鮮やロシアが入ってきたとき、1週間かそこら自衛隊で守りきれば、その間に米軍がシフトしてきて、もう絶対負けない状態になるという、そういう設定なんですね。これは、防衛省とか外務省とか在日米軍の当時の司令官とかいろいろな人と直にしゃべって、私が得た認識です。

 そういう意味で、何が一番問題かというと、実は、自衛隊は弾切れなんですよ。比喩的に言えば、「弾は3日しかもちません」。だから、非常に立派な自衛隊を持っているんだけれど、この海岸線が長い複雑な日本で敵は場所を選んで上ってくるじゃないですか。そこに部隊を集結する、移動も大変だ。それから、そこで体を張って全力で撃ち続けなかったら、敵が上がってくるじゃないですか。でも「弾が3分間しかもちません」の世界なんですよ。これ比喩ですよ。どんな立派な自衛隊で、どんな立派な武器を持っていたって、弾がなかったら、上がってくる兵隊にやられちゃうじゃないですか。そういう弱点をちゃんと補って、ちゃんとした弾を持たせるという意味において、そして米軍がバック・アップに入ってくれるという関係においての、今の体制なんですね。

 でも、いいじゃないですか。さっきからお話ししているように、アメリカは、日本のためにいるわけじゃなくて、アメリカは、アメリカの世界戦略のために日本列島にいるわけですから。その便利を捨てたくないですから、心配しなくてもアメリカは守ってくれますよ。片務条約で。

伊藤

 ちょっと今の議論から離れちゃうかもしれないんですけど、今、アメリカが日本に駐留しているのは、日本と極東の安全のためという安保条約の目的とは全然違いますよね。

小林

 そうですよ。

伊藤

 ですから、今の在日米軍が駐留しているということ自体、安保条約という条約にも違反していると思うし、そもそも、その状況というのは、やはり今の憲法の想定する状況、要するに外国が戦争をすることにお金やいろいろな物資を出して、養ってあげて、訓練もさせてあげる場所を提供させられるだけじゃなくて、さっきの先生のお話のように、お金も出してあげている。それはどう考えても、外国の戦争に日本が加担しているわけであって、9条の精神には大きく反するというふうに思うんですけど、先生はどうですか。

小林

 おっしゃるとおりですね。そこまで考えていなかったけど、言われてみればそのとおりですよ。だからこそ、護憲派は、「今は9条が守られている」などと暢気に構えて内輪で盛り上がっていないで、反対勢力と公然と論争して問題を明確にして主権者・国民大衆に知らしめるべきなのですよ。私はもう疲れたというか、飽きてきましたよ(笑)。

写真:岸圭子
構成:塚田壽子(編集部)

次回はいよいよ最終回。
伊藤先生の9条についての考え方、
2008年の政局、そして生存権、
25条についても、語っていただきました。お楽しみに!

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