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2010-07-21up

雨宮処凛がゆく!

第153回

「新卒」至上主義って変じゃない? 〜「就活」不条理劇場〜 その1。の巻

 突然だが、今回からまた「連載」の開始だ。ということで、既に大学3年生が動き始めているというこの時期に「就活」を巡っての第1回目。

 自慢じゃないが、私は就職活動をしたことがない。「就職」そのものもしたことがない。19歳から24歳までアルバイトで食いつなぎ、25歳から現在に至るまでの10年間は物書きという仕事で食いつないでいる。高校を出る時には進学するつもりで卒業し、途中で進学を諦めたので現在に至るまで「就活」とは無縁のまま来てしまった。

 そんな私でも、「就活」が大変だ、ということは知っている。特に自分自身が90年代の就職氷河期世代なので、周りの人たちの苦労は見てきた。それまで頑張って勉強し、せっかくいい大学を出たのにちっとも「就職」が決まらず仕方なくフリーターとなっていった友人・知人たち。90年代後半頃には、就活するものの100社以上に落とされて「自分は社会からも誰からも必要とされていないのだ」と自己否定スパイラルに突入する人や、心を病んでしまう人たちも周りで続出。何か「就活」とは人を追いつめ、病ませていくものだという認識は当時からあった。

 そんな就活が更におかしなことになっている、と本格的に思ったのは数年前。この連載にも何度か登場したぶっちのドキュメンタリー映画「遭難フリーター」を見た時だった。映画の中で、某有名企業に入ったぶっちの友人は、その企業に入るために「エントリーシートに10万円かけた」と誇らしげに語っていたのだ。

 それってどういうこと? どうして「雇ってもらう」ためにそんなに大金を使わなくちゃいけないの? っていうか、就活って、もはやカルト?

 そうして、自分自身が物書きになってからの10年間で、「就職が決まらない」ことに追いつめられた大学生の読者から「本当に恥を忍んでお願いします。雨宮さんの知り合いの出版社を紹介してくれませんか?」と泣きつかれたことが一度や二度ではないことを思い出した。申し訳ないがそういった「職業斡旋」みたいなことはやってないので丁重にお断りするのだが、ほとんど会ったこともない私になりふり構わず泣きつくほどに追いつめられている大学生たちのことはずっと気になっていた。

 なぜ、彼らがそんなに追いつめられているのか。それは「新卒」で採用されなければ人生アウト、というような思いがあり、実際、今の日本社会では著しく「不利」になってしまうからだろう。

 もう何度も書いてきたことだが、私と同世代のロスジェネの中には、大学なり高校なり専門学校なりを出る時期がたまたま不況で「氷河期」だったためにやむを得ずフリーターとなった人たちがたくさんいる。その十数年後、彼らの一部がフリーター生活すら維持できず、ホームレス化しているのは周知の通りだ。社会はたまたま生まれた年が悪かったために「新卒採用」を逃した世代にいまだ「再チャレンジ」(懐かしい言葉だな・・・)の機会を与えてはいない。

 そんな上の世代の窮状を、ある意味で「見せしめ」のように見せられている現在の大学生たちが「とにかく新卒で採用されなければ」と焦るのは当然と言えば当然である。

 が、「働きたい」と願う大学生たちを巡る状況は依然として厳しい。というか、この十数年、ほとんどずーっと厳しい。2010年春に卒業した大学生のうち、就職できたのは7人中4人。実質就職率は57.9%だという(筑摩書房『不況は人災です!』より)。

 また、就職が決まらないまま卒業するよりは留年することによって「新卒」ブランドを守ろうと「就職留年」したり、大学院に進む人たちの話も聞く。読売新聞の調査によると、就職留年をしている人は09年の段階で少なくとも7万9000人 (読売新聞10/7/6)。留年者が増えれば増えるほど、就職戦線が激化することは想像に難くない。が、留年したくても学費がなければアウトだろう。大学院も然り。一部の大学では留年者の学費を一部免除しているらしいが、あくまで「一部」の話だ。また、「内定切り」「新卒切り」と言った嫌な言葉もメディアを賑わせている。08年には『就活のバカヤロー』という本が出版されて大きな話題となり、09年には「就活のバカヤロー! デモ」と題されたデモも開催された。参加者たちは「お先まっくら」「就活粉砕」などと書かれたプラカードを掲げ、「自己分析させるな!」「終わりなき就活に終わりを!」「就活が自己啓発セミナーみたいでおかしい!」「内定させろ!」などと叫びながらデモ行進を繰り広げたのだった。

 私自身、今まで「就活が異様に大変」といった事実を知りながらも、なかなか当事者の話を聞く機会がないままでいた。ある意味で、「もっと大変なワーキングプア」の取材を優先させてきたと言ってもいい。しかし、現在のワーキングプア層の何割かは、「新卒採用」という壁に阻まれ、割を食ってきた人たちでもある。そして現在就活中の大学生たちも、「新卒採用されなければワーキングプア道まっしぐら」という恐怖に駆られてもいる。問題は地続きなのだ。

 さて、ここにそんな「新卒」至上主義に疑問を唱える人がいる。それは早稲田大学4年生の増澤りょうさん。自らは今年5月、目出たく大手百貨店に内定が取れたという「就活の勝者」でもある。そんな彼から来たメールには、内定が取れていない周りの学生たちが、来年以降も「新卒扱い」されるために就職留年や大学院進学を選ばざるを得ない実態が綴られ、こう書かれていた。

 「私はこのことに疑問を持っています。今の採用制度の下では、多くの無駄なお金・時間が使われ、また、留年・進学できない学生は泣く泣くフリーターになるしかないのが現状です。

 もし、企業が新卒扱いを『卒業から○年以内』のように採用制度を変えて下されば、多くの学生が無駄にお金を使うことや、就職活動で今のように苦しむこともないのでないでしょうか」

 そうして彼は、現在の新卒採用のあり方に疑問を唱えるイベントを開催したいのだという。

 次号、増澤さんに就活に関するモロモロの話を聞いた。乞うご期待!

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「就職のために浪人」「大学生活の半分は就活」…
若い世代の話を聞く機会があるたび、
「今の“就活”ってそんななの!?」と驚かされることしばしば。
次回、現役大学生が語るリアルな「就活事情」、ご期待ください。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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