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2012-12-05up
立憲政治の道しるべ/南部義典
憲法によって国家を縛り、その憲法に基づいて政治を行う。
民主主義国家の基盤ともいえるその原則が、近年、大きく揺らぎつつあります。
憲法違反の発言を繰り返す政治家、憲法を無視して暴走する国会…。
「日本の立憲政治は、崩壊の危機にある!」
そう警鐘を鳴らす南部義典さんが、
現在進行形のさまざまな具体的事例を、「憲法」の観点から検証していきます。
憲法改正を選挙の争点にする愚
▼憲法改正が争点?
衆議院議員総選挙が公示されました。震災復興、原発再稼働、TPP、社会保障と消費増税、外交、沖縄米軍基地、世襲など、争点はじつに多岐にわたります。つい先週まで多党乱立の様を呈していましたが、政権公約が公表されて各党の色が明らかになり、党首討論会を通じて、方向性の微妙な違いも見えてくるようになりました。
小選挙区制の下、示された民意は国会で集約されていきます。"今度こそ"という期待を込めて、次の首相、将来の社会を見据え、一人ひとりが納得できる候補者、政党を選びたいものです。
そんな中、憲法改正の是非が、争点の一つとして燻(くすぶ)っています。
議論に火を付けているのは、紛れもなく、自民党の安倍総裁です。自民党憲法改正草案に示されているように、自衛隊を「国防軍」とし、集団的自衛権の行使を容認すること、憲法改正手続きの要件を緩和することなどを訴えています。日本維新の会も、石原慎太郎代表がかねてから持論とする「自主憲法の制定」を政権公約の一つに掲げました。
思えば2007年、安倍首相当時に施行された参議院選挙でも、憲法改正の重要性を繰り返し主張していました。当時、衆議院は小泉郵政選挙の余波で自民・公明両党が3分の2以上の議席を占めており、参議院でも両党が議席を伸ばせば、2010年5月18日(憲法改正国民投票法の全面施行日)以降であれば、与党単独で憲法改正の発議をすることが可能な状況にありました。
しかし、参議院選挙で憲法改正を公約の柱に掲げるも、結果は惨敗。両院の多数派が与野党で逆転するというねじれ現象を招いたわけです。
今回の総選挙も同じ帰結に至るでしょう。自民党が単独で、衆議院で3分の2以上の議席を得ることはありえません。自民党、日本維新の会の獲得議席を足しても、それには至らないと思います。
憲法改正は、国政選挙の争点にすることはできないし、争点にしてはならないものです。憲法上、言論の自由、政治活動の自由は保障されていますが、選挙における憲法改正の主張は単なる意見表明にすぎず、それ以上でもそれ以下でもありません。
憲法の本質、憲法の動態を冷静に考えれば自明なことなのですが、案外、知られていません。国政選挙のたびに、この誤った命題が繰り返し訴えられています。その都度、この国の立憲政治は不幸な状態に覆われているといえるでしょう。本稿では、そんな無為有害な議論の封じ込めを試みます。
▼争点にできない、争点にならない理由
(理由1)
憲法とは、権力の行使を命令し、拘束(制限)する最高規範である。これは、政権が交代しても変わらない、普遍的な原理である。選挙は、憲法の枠内でどのような政権政策が実行されるのか有権者が選択し、新たな政治権力を創設する機会であって、候補者、政党が憲法改正を訴えるなど、憲法体制に対する挑戦を表明する機会ではない。
日本国憲法は近代立憲主義の思想に立っています。個人の権利、自由を保障することが目的であり、その目的を達成するための国家統治、権力行使に関する仕組み、枠組みを定めた体系になっています。制憲者である国民の意思によって支えられ、法典としての形式は永遠に続くものです。自民党の憲法、民主党の憲法というものが、政権交代のつど、制定されるわけではありません(憲法はそのようなことを、全く想定していません)。憲法の下で、政権を争うのが選挙のあり様です。
国政選挙では、候補者、政党が今後の政権公約を訴え、支持を拡大し、政治権力の獲得をめざすという積極的側面と、政治実績に対する評価、チェックを受けるという消極的側面があります。
国政選挙の積極的側面をみれば、政権公約に掲げる政策を実行するため、どんな法律を制定し、どれほどの規模の予算を執行するのか(歳入・歳出はどうなるのか)という、いわば、日常の政治過程に関することが争点となっています。
政権公約は細かな施策のパッケージになっているわけですが、すべて憲法の目的に適合し、その枠内であることが当然の要請です。違憲の政権公約は、法論理的にありえません。
「もし、憲法を○○のように改正すれば、こんな政策が実行できるのです。社会はこんなふうに変わります」というフレーズは、憲法改正が発議された場合に、政策論を伴って初めて具体的に語ることができます。それに至らない段階で触れても、ただの虚言です。
国政選挙の消極的側面では、既存の政党(とくに内閣を構成する与党)が、政権公約を遵守できたかということと、誤った憲法解釈、誤った憲法運用を行っていないかどうか、有権者によって評価、チェックされるという現象を捉えることができます。
憲法を守らない議員から、議席を返上させるのも選挙の役割です。近代立憲主義の意味を理解していない議員から、そのことだけで議席を奪うことさえ可能です。そして例えば、最高裁から違憲状態と判示されていながら、選挙区割りの見直しを合理的とは言えない期間、立法上の措置をサボタージュした政党・議員に対して責任を問うことも当然できます。
候補者、政党は、選挙のさい、ことさら憲法に関しては「まな板の上のコイ」のように寝かされています。有権者からチェックを受ける立場に置かれているわけですから、新憲法制定、憲法改正など、現在の憲法制度について挑戦を表明することは背理です。憲法問題は本質的に、国民の側から政治権力に訴えかけることであって、候補者、政党という権力の側が法律、予算と同レベルに、国民に対して実現を約束する性質のものではありません。
(理由2)
憲法改正は、何十年、何百年に一回行われるかどうか分からない、立憲政治上、最大の営みである。衆議院議員の任期を基準として議論することが失当である。そもそも、期限を設けることが間違っている。
憲法は、(理由1)で述べたように、公権力を拘束する制限規範として、永続する法典です。憲法が一瞬でも機能しなくなることは、国が無くなることを意味します。主権者の意思に基づいて、最高規範として安定的な運用を図ること、近代立憲主義を維持し、発展させていく道だけが残されています。
このような意味で、憲法の意義・目的は大きく変わることはありません。しかし例えば、国の統治機構は、憲法の意義・目的を達成するための手段として設けられているにすぎません。統治機構は、社会情勢、国民意識が変化することにより、権力分立を維持しつつも、そのスキームを修正したほうがいいのではないかという改革意識が高まることはあります。
こういった憲法規範意識の変化は、たびたび起こるものではなく、数十年に一回、数百年に一回という極めて長い時間軸の中で芽生え、生成されるものです。日本でもヤマト国家の成立以降、たびたび「憲法」が制定されていますが、国の体制の変更は、何百年に一回しか起こっていません。歴史上明らかなことです。
したがって、現在、日本が他国の占領下、国際機関の管理下に置かれているという状況であれば別ですが、主権国家として、いつまでに憲法を改正するとか、新しい憲法を制定するというスローガンを掲げること自体、近代立憲主義に対する挑戦行為でしかありません。
しかも選挙とは、数年に一回、多すぎると言われるほど行われるもので、衆議院であればその先4年間の政権政策プログラムを提示するにすぎません。国民と政治的約束が交わせるのは、せいぜい4年先のことまでです。憲法問題を、4年間というタイムリミットで論じ、成し遂げようとすることは、憲法規範意識の変化を強制するようなものであり、極めて不当です。
憲法改正の是非は、個人の人生の尺度、内閣総理大臣・議員の任期を基準にするなど、短いスパンで論じるものではないのです。
(理由3)
憲法改正は、通常の立法よりも厳格な手続きが憲法上予定されている。憲法改正を唱道する政党が、衆議院の過半数を相争いながら、硬性憲法のハードルを超えようとするのは、論理的にありえない。
日本国憲法が硬性憲法であるという理由からも、選挙において憲法改正を訴えることの不当さが立証できます。
衆議院議員の総選挙では、各党は政権を相争う関係にあります。
より詳しく説明しますと、衆議院の法定議員数は480名で、議長を除いて過半数を占めることができるかどうかが、政権運営を担えるかどうかの境界です。単独政権でも、連立政権でも同じです。
総選挙後に召集される特別国会では、まず内閣は総辞職をしなければなりません(憲法第70条)。そして、新しい内閣総理大臣の指名議決に入るわけですが(憲法第67条第1項)、衆議院の議決が参議院の議決に優越することが憲法で定められているので(同条第2項)、衆議院で過半を占めることが重要です。基本的には、各政党は衆議院の議席の過半数を得られるかどうか(与党になれるかどうか)、この一点で相争っているのです。
他方、憲法改正の手続きには、各議院の総議員の3分の2以上(表決数)の賛成を要するという高いハードルが設けられています(憲法第96条第1項)。
このハードルゆえに、日本国憲法が硬性憲法と呼ばれる所以ですが、どれほどの高さになっているのか、世間的には軽く受け止められている印象を受けます。
法律と憲法改正との手続きの違いをみれば分かります。
法律であれば通常、各議院の定足数は「総議員の3分の1以上」、表決は「出席議員の過半数」で決することになります(憲法第56条第1項第2項)。つまり総議員の6分の1を超える数の賛成表決があれば法律を制定できます。これに対し、憲法改正は総議員の3分の2(=6分の4)以上の賛成が無ければ発議することができません。議決要件のハードル較差は、4倍あるのです。
3分の2条項でも、法律案に関する衆議院での再議決要件(憲法第59条第2項)とも異なります。こちらは、「出席議員の3分の2以上」で再可決した場合です。総議員>出席議員という関係からも、憲法改正の発議要件のほうが厳格であることがわかります。
国会が憲法改正を発議するとは、それほど政治的な労力を要するということです。国会の勢力図をみれば、野党第一党の協力、賛成が不可欠です。
結局、過半数(2分の1以上)を争う関係に立ちながら、3分の2以上のコンセンサスをめざすということ自体、数理的に矛盾しているのです。選挙戦で喧嘩をしながら、握手はできません。議論に必要なのは協力関係であり、対立関係のなかで実現できるものではありません。私がよく喩えるのですが、「多人多脚走」と同じなのです。
(理由4)
憲法附属法(憲法が法律に委任している場合など、憲法条項の内容を規定する法)を事前に具体化する必要がある。附属法に関する合意形成と国民に対する説明がなければ、憲法改正(案)は絵に描いた餅にすぎない。
日本国憲法は近代立憲主義という考え方を基調としています。憲法の条文はその趣旨を明確にするもの、関連するものに限られ、憲法の目的を実現するための具体的な政策は、国会が制定する法律に委ねられることになります。このような法構造は、66年前、日本国憲法が制定されたときからそうであり、将来も変わりません。憲法だけで、政策の全体像、詳細まで示されるわけではありません。
とくに、憲法が法律に委任しているもの、憲法の規定を実現するために必要な法律を憲法附属法といいます。憲法改正を論じるさいには、憲法附属法の内容も含めて問題となります。
例を一つ挙げましょう。
自民党憲法改正草案第9条の2、「国防軍」に関する規定です。改正後の第9条の2という条文には、「法律で定めるところにより」(第2項、第3項及び第5項)、「法律で定める」(第4項)という文言が繰り返し出てきます。国防軍という制度の設計は法律に大きく委任されているのです(改正草案を何度読んでも、具体像は把握できません。自由な解釈が許されるにすぎません)。法律が制定されて具体的な内容が充填されないと、憲法は空洞状態のままなのです。
憲法改正論議のさい、憲法附属法の法律の条文まで完成されていることまでは当然に要求できないまでも、せめて法律案の骨子(大綱)くらいは、憲法改正を発議する政党間で合意していなければならないでしょう。法律で定められるべき「何か」が示されなければ、憲法改正国民投票のとき国民が判断できません。
いま、自民党憲法改正草案第9条の2の「法律」に関して、このような議論の整理ができているでしょうか。選挙というドサクサに紛れて、憲法改正を唱道するのは、法制的、政治的にどれほど無意味なことか、多言を要しないでしょう。
▼結語
憲法改正を選挙の争点にすることほど、無意味で、愚かしいことはありません。
思えば、国会では、2007年に憲法改正国民投票法を制定してから、与野党が信頼関係を維持しながら、立憲主義を守るための真摯な、本質的な憲法論議を行ったことがありません。憲法改正を争点化することはもちろん、憲法審査会の始動問題(2007-11年)も、衆議院、参議院いずれも野党対策として、政局的に扱われた面があります。憲法改正に反対する政党を批判し、党勢を抑圧する手段として利用されてきたにすぎません。
憲法を争点としないという憲法論議の作法が、与野党間で共有され、慣習として高まれば、暴れる議論に対する歯止めになります。しかし、立憲政治の現場でそれをずっと欠いてきたことが、安倍総裁、石原代表を逆の意味で元気にする原因となっています。
次の内閣総理大臣になる可能性の高い安倍総裁、石原代表に一度、問いかける必要があるでしょう。憲法制定権力、憲法改正権はどこに所在するのか、憲法の名宛人は誰なのか、自分を新憲法の起草者=新たな国づくりの体現者と錯覚していないか、憲法は国民を支配する道具だと考えていないかなど、立憲主義、民主主義をどう理解しているのか、本音で語らせて、国民が評価する機会が必要です。
いま、立憲政治が進展するのか、近代以前に逆戻りするのかの瀬戸際です。大きな岐路に立たされ、試練のときを迎えています。
自民党などが掲げる「憲法改正案」。
基本的人権などを著しく制限するその内容ももちろんですが、
そもそも「憲法改正」を選挙の公約に掲げること自体が、
立憲主義を理解していない証拠と言えるでしょう。
この「おかしさ」、もっと指摘されるべきことでは?
南部義典さんプロフィール
なんぶ よしのり慶應義塾大学大学院法学研究科講師。1971年岐阜県生まれ。1995年京都大学卒業、国会議員政策担当秘書資格試験合格。2005年から国民投票法案(民主党案)の起草に携わり、2007年衆参両院の公聴会で公述人を務めた。近時は、原発稼働をめぐる各地の住民投票条例の起草、国会・自治体議会におけるオンブズマン制度の創設に取り組む。著書に『Q&A解説・憲法改正国民投票法』(現代人文社、2007年)がある。ツイッター(@nambu2116)、フェイスブック
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