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2013-04-03up

鈴木邦男の愛国問答

第122回

桜も日の丸も泣いている

 3月一杯で終わってしまいました。文化放送の「夕やけ寺ちゃん活動中」が。僕は水曜日に出てました。政治、経済、社会のニュースを扱い、ゲストを迎えて話を聞き…と盛り沢山の内容でした。週刊誌・月刊誌の編集長から旬の話を聞く「編集長は見た」のコーナーもありました。又、Wコロンをはじめ、芸人さん達とも一緒に話をしました。とても勉強になった2年半でした。
 鈴木宗男さん、東祥三さん、東国原英夫さんなど政治家にナマの政治の話を聞きました。又、高校生の時から憧れていた小林旭さんに会えました。文化放送でなかったら絶対に実現しなかったでしょう。又、小説家の人達とも会うことが出来、とても刺激になりました。その小説家が来る前には、必死で作品を読みまくりました。大学の文学部の学生のようです。課題図書を何十冊も読みました。そこでの発見は大きかったし、実際に話し合ってみて教えられることも多かったです。
 最近では、『ビブリア古書堂の事件手帖』の三上延さん。『黙示』『ハゲタカ』シリーズの真山仁さん。『欲望』『無伴奏』、そして最近は父親の看護をテーマにした『沈黙のひと』で話題になった小池真理子さん。などです。
 最近は小説を余り読む機会がなかったので、大量の課題図書を読み、いろんなことを考えました。「ものを書く」といっても、小説家と評論家では、こんなにも違うのかを驚きました。
 政治的評論や社会的評論をする。ルポをする…という人は、<現実>に立ち向かい、批判したり、評論したりします。こんな方法もあるではないか、という提案もします。でも、<現実>からは逃げられません。少しでも離れると、「そんなのは空想だ」「きれいごとの理想論だ」「現実を見ていない」と批判されます。月刊誌でもテレビ討論でも、強硬な「現実」論者が優勢に立ちます。それは仕方がないのかもしれませんが、「理想論」がほとんど無くなったのは淋しい限りです。
 昔はあったのですね。非武装中立論。インターナショナル、又、「愛国心なんかいらない。それに固執するから排外主義・侵略主義になるのだ」と言う人がいました。そう言う「自由」もありました。「国旗・国歌」も必要ない。世界が一つになったら、こんなシンボルはいらない」と言う人もいました。
 しかし、そんな「理想」を言う人は今、いません。少しでもそんなことを言ったら、「現実を見ろ!」と怒鳴られます。又、「非国民」「反日」「売国奴」と罵倒されます。だから、ますます<現実>にとらえられ、超えられないのです。<現実>を考え、批判する評論を書いている僕らも同じです。自由な創造力がなくなっているのです。構想力がないし、クリエイティブなものがないのです。
 小説家は違います。たとえ<現実>をモデルにしても、そこを軽々と越えます。そして、たとえ農薬や、宗教、グローバリズムを扱う時でも、「魅力的な敵役」を設定します。又、どんな論陣を張る人でも、その人の愛する人や家族が出てきます。それまでの個人史も出てきます。「敵の大将たる者は、古今無双の英雄で…」という歌(抜刀隊)が昔ありました。「敵」だって、その力量、人柄はキチンと認めて、評価する。その上で戦う。小説には、それがあると思いました。「敵」である彼にも一理ある。と思わせるのです。だから、時に政治的論争があっても、高度な戦いです。総力戦です。両方をグレードアップし、作者は、戦わせるのです。敵のいい点をも見つけ、敵を大きくして、戦わせます。
 ところが、評論、政治的討論の場合は違います。相手を極力、見下し、彼の弱点を見つけ、そこだけを集中的に批判します。気持ちも小さくなり、排外的になります。
 連合赤軍事件に参加し、27年間獄中にいて今は静岡市でスナックをしている植垣康博さんという人がいます。あの事件のリーダーだった森恒夫のことを聞きました。「どんな人だったんですか?」と。植垣さんは言いました。「人の欠点を見つける天才です」。ウッと思いました。どんな人間でも、欠点を見つけ、そこを徹底的に攻める。相手はどんどん追いつめられて、「はい、私は反革命でした」「生きるに値しない人間です」と言わせる。中世の魔女裁判のやり方と同じです。又、警察・検察が冤罪をつくる時のやり方も同じです。他人のことは言えません。評論文の極限の姿が、ここにあるような気がしました。気をつけないといけないな、と思いました。
 その点、小説家は、どんな人々にも生きる理由がある。それを言う理由がある。と思い、その理由や背景を探そうとする。だから寛容になれるのでしょう。多くの小説を読み、にわか勉強をし、そして小説家たちと会った僕の結論です。いや、まだ結論と言うには早いか。「小説と評論」の違いについて考えた中間発表であり、自分の自己批判です。
 そんなことを思いながら本屋に行ったら、『FLASH』(4月9日号)が目につき、買いました。
 <「恋から」MVP美女がみんなの党から都議選出馬。維新塾に参加も出馬は他党から…混戦を象徴する彼女を独占インタビュー>
 「恋のから騒ぎ」に出ていた塩村文夏さんです。「恋から」の後は、放送作家を目指して勉強。実は、「夕やけ寺ちゃん活動中」のスタッフとして、参加していました。私もお世話になりました。「寺ちゃん」で政治家や小説家や、いろんな人と会い、考えたのがキッカケになったのでしょう。政治家になろうと、維新塾に入りました。そこから出るのかと思っていたら、「みんなの党」から都議選に出るそうです。がんばってほしいです。
 そして、『FLASH』をパラパラと見ていたら、<さくらソングは、なぜヒットするのか!!>という特集がありました。桜はきれいだし、咲いてる期間も短いから、それで見なくっちゃと思うんだろう、それだけの話じゃないか、と思いながら、読んでました。いろんな人が、いろんなことを言ってます。アレッ! 変なことを言ってる人がいます。
 <大河ドラマ『八重の桜』は、"桜をめぐる戦い"なんです。桜は幕府軍と新政府軍、どちらからも愛されていた。"次の日本"をめぐっての戦いのシンボルといえるでしょう>

 ほう、面白いことを言う。きっと小説家でしょう、こんな突飛な事を言うのは。桜は皆に愛され、日本人のDNAに刷り込まれたのだそうです。
 <しかし、そんな桜にとって不幸な時代があった。戦争中に、"桜は散りぎわ、人は死にぎわ"という「散幸の美学」と結びつけられたのだ。軍歌のひとつ『同期の桜』では、「みごと散りましょう 国のため」とまで歌われた。
 「国家が個人に対して美意識を押しつけるのに利用された。散りぎわだけを見て、"お国のため"というのは桜にとっても不幸で、かわいそうなことです。J‐POP? 私には少し難しい話ですね…(苦笑)>

 あれっ、似ていると思いました。教育現場で日の丸・君が代が強制されている。教師や子供たちよりも「押しつけ」に利用される日の丸・君が代がかわいそうだ、と言ってた人がいた。僕ですね。在特会のデモを見ても、ヘイトスピーチ、排外主義に利用される日の丸がかわいそうだ。日の丸が泣いてるじゃないか、と思いました。血の涙を流している。
 発想が似てますね。利用される桜がかわいそうだ、と。誰が言ってるんだろう、と思って読んだら、ありゃりゃ。僕だった。あっそうか、前に電話で取材されたような気がする。すっかり忘れていた。いけないな。特集のタイトル「さくらソングは、なぜヒットするのか!」の横に、こう書かれていた。
 <日本人に息づく1300年のDNAを、"さくらストーカー"、新右翼、芸人が読み解いた!>
 ちゃんと書いてるじゃないか、いかんな。若年性健忘症だ。気をつけなくっちゃ。

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まさかのオチにちょっと脱力、ですが、
そう思って読むと、たしかに鈴木さんらしい発言。
「寺ちゃん」終了は残念ですが、
鈴木さんの活躍は、これからも(もちろんマガ9含め)いろんなところで見られそうです。

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鈴木邦男さんプロフィール

すずき くにお1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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