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2012-09-05up

鈴木邦男の愛国問答

第107回

『ニッポンの嘘』の映画監督に会った

 この人のことは昔から知っていた。反骨のカメラマンだ。たった一人で国家権力と闘っている。日本の隠された嘘を暴き出す。90歳にして、なお現役のカメラマン。福島菊次郎さんだ。広島の被爆者の撮影を初め、安保、学生運動、三里塚闘争、公害、自衛隊、原発などのテーマに取り組み、カメラを通して日本を告発してきた。
 〈問題自体が法を犯したものであれば、カメラマンは法を犯してもかまわない〉
 と断言する。過激だ。ここまで言い切れる人は他にいない。1967年から70年代にかけて、福島さんは自衛隊を取材する。事前の検閲を条件に許可が下りる。しかし、事前の検閲を受けずに発表する。防衛庁から呼び出され、「だましたな!発表をやめろ!」と言われるが拒否。「だましたのは悪いが、でもだまさなければ自衛隊に入れなかった」と逆襲する。さらに言う。「憲法があるのに、国民を先にだましたのはあなた方じゃないのか。あなた方に僕にそういうことを言う資格があるのか」と。
 これでは相手も答えられない。戦後日本は、憲法を制定し、9条で戦争の放棄と戦力を維持しないことを宣言した。しかし、その国民との「約束」を破り、だまして自衛隊をつくった。その自衛隊と兵器産業を告発するために福島さんは、カメラを持って闘いを挑んだ。
 兵器に使用されている装甲の厚みや配管などは"撮影禁止"とされていたが、数々のテクニックを駆使し「隠し撮り」で撮影を行う。これは凄い。写真発表後、暴漢に襲われて重傷を負う。自宅も放火される。それでも、やめない。命がけの撮影だ。
 又、年金は受け取らない。国家に反逆して生きているのに国家から年金をもらえるか、というのだ。ここまで徹底できる人は他にいない。

 この福島さんを追ったドキュメンタリーが出来たと聞いて、すぐ見に行った。『ニッポンの嘘〜報道写真家・福島菊次郎90歳』だ。監督は長谷川三郎さん。まだ若い監督のようだ。カメラマンを被写体にしてドキュメンタリーを撮る。これも大変だったと思う。福島さんの反骨・孤高の闘いがよく分かった。素晴らしい映画だった。これは〈表現〉に携わる全ての人に見てほしい。いや、日本の国民全てに見てほしいと思った。福島さんのような勇気を持った人、覚悟を持った人が、もう何人かいたら、日本も変わるのに…と思った。
 そんなことをツイッターで呟いていたら、映画会社の方から連絡があった。「じゃ、長谷川監督とトークしてくれませんか」と。嬉しかった。即座に引き受けた。8月25日(土)午後1時10分から、銀座シネパトスでトークは行われた。第1回の上映が終わった後に、監督と話をしたのだ。
 「カメラマン福島菊次郎」は、もう伝説的な人だ。その闘いの姿勢には皆、驚き、感動しながらも、「でも、俺にはとても出来ないな」と思ってしまう。偉い人だ。遠くからでも会ってみたい。講演会でもあれば聞きに行きたいと思った。でも、今は山口県の自宅で著作に専念しているという。
 その話を初めにしたら、長谷川監督が「福島さんも鈴木さんに会ってみたいと言ってましたよ」と言う。「本当ですか?僕のことなんて知らないでしょう」と言ったが、知ってるらしい。これは嬉しい。

 しかし、この反逆のカメラマン・福島さんを撮るというのも蛮勇だ。よく決意したものだ、と思った。監督は言う。
 「16年前に、一人の青年を追いかけてドキュメンタリーを撮ったのです。それが、デビュー作です」と。
 「その青年には逆に質問をされたり、話し合ったり、言い合ったりしました。世の中には、いろんな考えの人がいる。自分と反対のことを考えている人もいる。そんな人達にもっともっと会って話をしたい。そう思い、監督になったんです」と言う。「どんな青年だったんですか。ドキュメンタリー監督になることを決意させた青年というのは」と聞いた。そしたら、監督は全く思いがけないことを言う。
 「一水会の青年です。それも在日の青年です。愛国運動をやりたいと一水会に入り、勉強し、〈街宣デビュー〉するまでを追いました」

 アッと思った。思い出した。16年前は、僕は一水会代表だった。ただ、運動面は木村三浩氏(現・一水会代表)が一切、取り仕切っていた。街宣やデモ、集会などは木村氏が指導していた。だから、長谷川監督も、木村氏と会って承諾を取り、在日の青年を毎日、追った。新宿や池袋の駅前で街宣車をとめて、その車の上から演説する。かなり勉強し、喋る練習もしてやっとマイクを握れる。何か「はじめてのおつかい」のようだ。その晴れのデビューまでを追った。監督も、これがデビュー作だ。
 その取材の過程で、この在日の22才の青年とは、かなり語り合った。在日であるからこそ、国家のこと、愛国心のことを人一倍、考えた。そして、天皇、戦争の問題も考えた。右翼の中では、開かれていると思ったのだろう、一水会に入った。「監督は、今の日本をどう思いますか」「愛国心についてどう考えますか」と逆にその青年に聞かれたという。真摯に話し合い、討論した。
 そして監督も考え、変わった。いろんな考えをもつ人たちと会いたい。話したい。そう思った。
 このあと、いろんな番組をやった。「真剣10代しゃべり場」「課外授業ようこそ先輩」「NONFIXシリーズ憲法~第24条、男女平等『僕たちの"男女平等"』」「旅のチカラ~医師ゲバラの夢を追う~」…などだ。いい仕事をしている。いいドキュメンタリーを作っている。そして今、『ニッポンの嘘〜報道写真家・福島菊次郎90歳』を撮った。一水会の在日の青年に出会わなかったら、ドキュメンタリー監督・長谷川三郎さんも生まれなかった。『ニッポンの嘘』も出来なかった。一人の青年との出会いが大きかったのだ。この長谷川監督の〈心の軌跡〉もドキュメンタリーにしてほしいものだ。
 その意味で、16年前の、「出会い」が大きかったのだ。『ニッポンの嘘』のパンフレットに、長谷川三郎監督のプロフィールが出ている。この「デビュー作」のことも、はっきりと出ている。
 〈-1996年ドキュメンタリージャパン参加。「TIME OF LIFE・青春~右翼青年22歳~」の演出でデビュー。以降、NHKや民放を舞台にディレクターとして活躍〉
 そうか、こういうタイトルだったのか、と思い出した。その後、「しゃべり場」や「ようこそ先輩」などのヒットを飛ばす。人間に興味を持ち、考えの違う人たちの話をじっくり聞く。その中で、撮る人間も変わる。化学反応が起こる。そういうことを実感し、楽しんできたのだろう。その集大成として『ニッポンの嘘』がある。この素晴らしい映画を撮る遠因が16年前にある。そこに少しでも一水会がかかわったということは嬉しいし、誇りだ。
 そうだ。このデビュー作「右翼青年22歳」を、上映してほしい。日韓関係が揉め、不穏になっている今だからこそ、見てもらいたい。一水会に限らず、右翼団体には、こうした在日の青年はいた。祖国、愛国心、領土の問題も共に考えていた。排外主義だけが声高く叫ばれることの多い今だからこそ、上映してほしいと思う。

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『ニッポンの嘘』については、
マガ9レビューでも取り上げています。
「絶対見るべき!」の声も多いこの映画、
一水会とこんな「つながり」があったとは。
長谷川監督のデビュー作、ぜひ見てみたい!

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鈴木邦男さんプロフィール

すずき くにお1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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