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2012-01-11up

鈴木邦男の愛国問答

第90回

連合赤軍事件40年

 明けましておめでとうございます。遅ればせながら、今年もよろしくお願いします。

 連合赤軍事件が起きたのは1972年だ。あの事件で「左翼」は終わった。「革命」という言葉も失墜した。それからは、内向きの時代になった。「革命なんか言う人間はこうなる」「行き着く先は“仲間殺し”ではないか」と言われた。「世の中を変えるとか、他人の為と考えること事態が悪いんだ。自分のことさえ考えていればいい」という風潮になった。

 「革命」という大きな価値が崩壊した。それからは、神なき時代のニヒリズムだ。そして、オウム事件で、宗教も失墜した。「革命と宗教」。若者が情熱を燃やす対象が二つとも奪われたのだ。革命と宗教に対する憧れと情熱と献身。それこそが若者が若者である特権だったのに。二つとも奪われ、それ以来、日本に「若者」はいなくなった。そんな危ないものに近づいてはいけない。自分のことだけを考えていればいい。そう言われてきた。大学は今、どこも立て看板はないし、ビラ・チラシもない。デモも政治集会もない。チラシでも撒こうものなら、大学側はすぐに警察を呼び、逮捕させる。昔は、「大学の自治」があったし、何があっても、教え子を警察に売り渡す教師はいなかった。今は、大学は静かで清潔だが、強権の下での静かさと清潔だ。これではもう大学ではない。

 大学は本来は、もっと騒々しく、混沌として荒っぽかった。若者も、失敗しながらも、いろんなことに挑戦していた。その覇気を取り戻すべきだ、と田原総一朗さんも考えたんだろう。40年前に自らが監督して作ったドキュメンタリーを次々と公開している。去年も一部やったが、今年1月3日の深夜、テレビ東京で「田原総一郎の遺言」が放映された。「連合赤軍と永田洋子」「藤圭子」の2本だった。1月末にはDVDが売り出される。2月にも売り出され、全7巻が発売される。「学生右翼」という貴重な作品も発売される。当時を思い出しながら、僕が「解説」をした。

 さて、「連合赤軍・永田洋子」だ。当時、拘置所にいた永田に田原さんが面会に行った。「普通のかわいい女性だった」と言う。植垣康博さんが出演し、「解説」していた。植垣さんは連合赤軍事件に参加し、逮捕され、27年間、獄中にいた。今は静岡市でスナック「バロン」を経営している。

 「総括」という名のリンチで12名が殺されている。その前には既に2名が殺されている。なぜそんなことが起きたのか。「立派な革命戦士にするためだ」とか、「共産主義化させるためだ」とか言われているが、「初めは体罰のつもりだった」と植垣さんは言っていた。リーダー、森恒夫と永田洋子に言われて、植垣さんも「総括」に参加した。植垣さんによると、何も初めから「共産主義化」という理論があったわけではなく、体育会的な「体罰」だったという。「体に教えてやる」という折檻(せっかん)だ。「そうか、相撲部屋の“かわいがり”のようなもんか」と田原さんも言っていた。

 左翼理論で武装されて暴走したと思っていたが、案外、右翼的・体育会的な要素が随分とあったんだ。植垣さんとは、もっと突っ込んだ話をしてみたい。連合赤軍関係の本も読み直してみよう、と思った。 

 そんな時、「折檻」という文字が目に飛び込んできた。「産経新聞」1月10日付の「産経抄」だ。連赤事件40年だから、それで書いてたのかと思ったが、違っていた。「折檻」は、児童虐待事件を起こした親の言い訳に使われるが、もとの意味は違うという。エッ? 元の意味なんてあんの? と思って、読んだ。元は中国の話から出ている。上野恵司さんの『ことばの散歩道〈3〉』(白帝社)によれば、「折檻」にはこんな故事があるという。そこからの孫引きだが…。

 漢の成帝の時代、帝の師だった張禹が重用され、政治が乱れていた。それを嘆いた朱雲が成帝に、張禹の首をはねるよう諫言(かんげん)する。成帝は怒り、役人は朱雲を引き立てていこうとするが、朱雲は欄檻(らんかん)にしがみついて離れない。ついに欄檻が折れた。それで「折檻」だ。そこから、家臣が君主を厳しく諫(いさ)めることを言うようになった。成帝は結局、朱雲を許しただけでなく、忠臣を表彰するために、折れた欄檻をそのまま残すように命じたという。

 そうだったのか、と初めて知った。もともとは、帝に対する命がけの諫言の意味だった。ところが、日本に来てからは、「弱い者いじめ」の意になった。誰かが間違って使い、それが長く使われてきた。「折檻」という漢字のイメージだけで、使われたからだろう。

 「玉砕」も似てるな、と思った。これは、以前この連載で書いた。又、『愛国の昭和』(講談社)で詳しく書いたが、昔は君主を諫める言葉だった「玉砕」が、日本に来てからは「上の命令で全員が死ぬこと」の意味になった。おかしな話だ。多分、これを目にした軍部の人間が、その字だけを見て勝手に想像し、誤解したのだろう。特に、「玉砕」を声高に言った人間は罪深い。この美しい言葉に魅惑され、死んでいった人が多いのだから。

 日本の諺は、体制順応的なものが多い。「泣く子と地頭には勝てぬ」「犬も歩けば棒にあたる」…と。逆に中国の古典には、君主を諫め、あるいは反逆する故事が多い。日本は、中国の文字は輸入し、採用したが、反逆的・革命的な故事は受け入れたくなかったのか。それで敢えて、「誤読」したのかもしれない。そんな気もする。

 そういえば、連合赤軍以降、「総括」「査問」「粛清」という言葉も、本来の意味を離れて、血なまぐさい言葉になった。皆、「殺すこと」を意味すると思われている。そんなことも含めて、「連合赤軍事件40年」を考えてみたい。「総括」してみたい。

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40年前、人々に大きな衝撃を与えた連合赤軍事件。
生まれる前の話…という読者も少なくないでしょうが、
その「衝撃」は、現在に至るまで社会に大きな影響をもたらしているようにも思えます。
「事件後」の世代である雨宮処凛さんが、
連合赤軍事件と「生きづらさ」の関係について指摘したこちらのコラムもあわせてお読みください。

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鈴木邦男さんプロフィール

すずき くにお1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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