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2011-04-20up
鈴木邦男の愛国問答
第73回
脱原発デモに参加した
デモにはもう行かない。行かなくてもいいだろう。そう決めていた。皆に宣言していたし、文章にも書いてきた。もう何百回もデモには出た。「一生分のノルマ」は達成しただろう。それに、何かあると「デモをしよう」という発想が安易で、嫌いだった。又、デモは人間を「数」としか見ない。百人よりは千人。千人よりは1万人。ともかく数が多い方が〈正義〉になる。そのための手段なんだ、デモの参加者は。僕という人間が必要なのではない。「一人」が必要なのだ。僕のかわりに、別の「二人」か「三人」を参加させたら、その方が嬉しいのだ。そういう冷たい、計算の世界があるだけだ。デモには…。
これは自己批判を込めて言っている。僕自身が右翼学生運動をやっていた時。その後もずっと「数の論理」で闘ってきた。人間を「数字」として見てきた。左翼の圧倒的な数に対し、こちらも数を集めなくては、と思ってきたのだ。量に対しては量で対抗する。そういう発想しかなかった。「量に対して質を」という発想は全くなかった。いや、自分たちのことを「質」だと考えるのは傲慢だと思ったのだ。又、たとえ質が少々あったとしても、量はその質をも押しつぶし、押し流してしまう。正義は量で示すしかないと思っていた。
今年初め、森達也さん、斎藤貴男さん、僕の三人で鼎談し、『言論自滅列島』(河出文庫)を出した。その時、森さんがこんな発言をした。
〈主語が複数になると述語が暴走する〉
凄い表現をする、と思った。英文法の授業で、生徒に教えているようだ。鼎談の時にパッと思い浮かんだものではなく、家で必死に考えてきたフレーズだろう。と僕は邪推した。
確かに、これは言えると思った。主語が単数だと、人間は謙虚になる。「僕はこう思います。でも違うかな。間違っていたら教えて下さい」…と。「勉強不足だから、よく分かりませんが、最近私はこんなことを考えます。どうでしょうか」…と、遠慮しながら謙虚にものを言う。でも、主語が複数になると、そうは言えない。「私達はこう思いますが、違うでしょうか」などといった言葉はない。「私達」「我々」になった途端、〈正義〉になる。強硬になる。
「我々は断固として闘うぞ!」
「我々は許さないぞ!」
「我々は○○を打倒するぞ!」
…と。
主語が複数になると、述語が暴走するのだ。そして、述語は「スローガン化」する。非妥協的なものになる。正義という衣をかぶって暴走するのだ。単数の時は謙虚で、思慮深くて、冷静なのに、なぜ複数になると暴走するのか。これは不思議だ。数が集まると、その中で個人の間違いが正され、共通の正義が形成される。そう思うのだろう。皆が集まって討議する。そうすると、素晴らしい結論が出る。いや、出るはずだ。という民主主義の思い込みがあるからだろう。子供の頃、ホームルームで討論した。あの雰囲気だ。
皆で討論して決まったことだから正義だ。正義に違いない。そう思う。よく、共産党や他の革命党派で言う「民主集中制」という言葉もそれを表している。皆で決めたことだから正しい。それを守っていこう。その正しいことに、あとで文句を言うのは間違っている。党を分裂させることだ。敵に通じることだ。だから除名だ、となる。主語が複数になると、述語は〈正義〉になるから、頑なになり、非妥協的になり、そして暴走するのだ。
デモが良い例じゃないか。「我々は許さないぞ!」「○○を打倒するぞ!」と叫ぶ。あの排他的な、自分だけが正しいという絶叫が嫌だった。特に、保守系や右翼系のデモで、粗暴な人達が「○○は要らないぞ!」なんて叫ぶと、「お前らだって要らないぞ!」と僕は心の中で叫んでしまう。
多分、僕の方が考えすぎなんだろう。ある一点だけで一致したら、デモをやる。それでいいのだろう。そこにいる人達、全員と、あらゆる点で同じことを考えているわけではない。でも、ある点で一致するならば、その点だけを訴えるためにデモに行く、そう割り切ったらいいのだろう。
だから、長い逡巡の末に、デモに行った。それも、2回も。反原発のデモだ。1回目は4月10日(日)の高円寺のデモだ。「素人の乱」の松本哉氏の呼びかけに応じ、1万5千人が集まった。もう一つは、4月16日(土)の明治公園からのデモだ。二見伸明さん(元運輸大臣)がデモ実行委員長で、「脱原発社会を作ろう!」デモだ。2回合わせて、5時間近くも歩いた。
高円寺デモは、若者が多いのに驚いた。デモといわず、パレードと呼んでる人も多い。音楽も入り、楽しみながら歩いている。明治公園のデモは大人が多い。かわったスローガンがある。「東北はオザワに」「剛腕維新」「小沢を殺すな」…と。小沢支持の人が多いのか。でも、反原発で一致なら、あとは全て違ってもいいや。と割り切ってデモをした。
割り切ってデモをしながら、まだ一抹の不安はあった。デモが暴走したらどうしよう。機動隊と乱闘になったらどうしよう。という不安だった。
だって、昔、デモに出た時は、よく荒れた。又、荒れたデモでないと本当のデモではないと思った。我々は正義だ。それを規制する機動隊は敵だ。正義の我々を弾圧している。そう思うから、「権力の犬め!」と機動隊に向かって暴言を吐く。機動隊も、カッとなって、見えないように、持ってる盾をデモ隊の足元に落としたり、こづいたりする。挑発に乗ってデモ隊は機動隊と乱闘になる。そんな時、黙って見ていては「卑怯者」になる。だから、闘う。そして逮捕される。そんなことで何十回と逮捕された。
だから、「デモ=逮捕」と条件反射的に思い出して、つい億劫になるのだ。今さら捕まるのも嫌だしな、と思いながら、2回のデモに参加した。
しかし、それは杞憂だった。昔と違い、ヘルメットをかぶり、盾や長い棒を持った機動隊はいない。制服の警察官だけが付いている。「道に広がると車にひかれますよ」「信号は早く渡って下さい」…と。いわば交通整理だ。デモの指揮者も「お巡りさんの注意に従って下さい」と言う。「お巡りさんは私達を守ってるんですから」と発言する人もいる。「権力の犬め!」と罵倒する人はいない。これはいい事だろう。
デモは自分たちの主張を訴えるものだ。反原発の人はこんなにいますよ、と。それを数で示す。その時、警察官と争う必要はない。昔は、どれだけ正しいかを示そうと焦って、機動隊と闘ったし、その激しさで自分たちの真剣さを表そうとした。でも、もうそんなことはない。だったら、これだけ厖大な数のお巡りさんも必要ないよな。デモ隊の中から、交通整理係を出してやればいい。デモ隊が沿道の人を襲ったり、どこかのビルを襲撃するわけはないのだし。大体、訓練された警察官をデモのために、こんなに大量に動員するなんて勿体ない。東北の被災地に派遣したらいい。お巡りさんは足りないのだし、と思ってしまった。
しかし、高円寺デモの終わりの時だ。意外な光景にぶつかった。2時間半ほどデモをし、高円寺の小さな公園に着いた。そこで流れ解散だ。着いた順に解散する。そうでないと、次から次と着くから、小さな公園に1万5千人はとても入り切れない。でも、人々は公園からすぐには帰らない。公園は人々でふくれ上がる。その時だった。警察の装甲車の上から指揮官がマイクで叫ぶ。
「ここは流れ解散です。すみやかに帰って下さい。デモの責任者はただちに解散させなさい」…と。ヘェー、昔ながらのことを言ってるんだ。きっと昔、機動隊にいて、過激派のデモと闘っていた人だろう。デモの人間は様変わりし、若い人達だけなのに、取り締まる方は昔ながらの発想だ。そう思った。さらに警察の指揮官は大声で叫ぶ。
「解散させなければ、デモの責任者を逮捕します! 只今の時間は…」と。何だ、何だ。昔にタイムスリップした感じだった。やめてくれよ、と思いながら、そそくさと帰ってきた。
*
そう、実は鈴木さんも参加していた高円寺でのデモ。
「チンドン隊の演奏に、うっかりノリそうになっていた警官がいた」、
「被災地支援の募金に警官も協力してくれた」なんていう声もありましたが、
たしかに最後の解散のときだけは、
「昔ながら」のデモの光景だったかも。
参加していた&USTなどで見ていた皆さん、どう思いました?
鈴木邦男さんプロフィール
すずき くにお1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」
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