マガジン9

憲法と社会問題を考えるオピニオンウェブマガジン。

「マガジン9」トップページへ鈴木邦男の愛国問答:バックナンバーへ

2010-07-07up

鈴木邦男の愛国問答

第54回

反戦僧侶・竹中彰元のこと

 こんな偉いお坊さんがいたのかと感動した。反戦僧侶・竹中彰元だ。「戦争は罪悪である」と言い続け、警察に逮捕された人だ。宗教者として当然のことを言ったまでだ。それなのに逮捕だ。
 宗教は政治を超える。国家を超える。殺伐とした世の中でも、人の命の尊さを説くのが宗教だ。たとえ国家が一丸となって戦争に突入しても、「人殺しはいけない」と諭すのが宗教者の使命だ。だから、竹中彰元が逮捕された時は、所属する教団が、弾圧に抗議したと思った。竹中を支持し、擁護したと思った。
 ところが違った。竹中の所属する真宗大谷派は竹中を処分する。資格剥奪するのだ。「こんな男は本当の僧侶ではない」と追放したのだ。国家に協力し、戦争を支持する僧侶だけが本当の僧侶だと言ったのだ。極言すれば、「人殺し」を是認し、奨励する僧侶だけが本物だとしたのだ。こんな馬鹿な話はない。しかし、戦争という狂気の時代には、全てが狂気になる。せめて宗教者だけでも、冷静に命の尊さを説くべきなのに。
 仏教だけではない。神道は勿論、キリスト教も、その他の宗教も雪崩を打ったように戦争に協力した。敵を一人でも多く殺すことが善であり、それが仏の教えにかなう。そう主張した。そんな中で、「人殺しは悪だ」と当然のことを言った竹中は逮捕され、宗門からも処分される。さらに、これは「聖戦ではない。侵略だ」と言い、戦争は人類に対する敵である」と竹中は言った。今では常識だ。でも、常識を言っただけで逮捕されたのだ。常識を言うのも命がけだ。勇気のあるお坊さんだ。

 大東仁の『戦争は罪悪である―反戦僧侶・竹中彰元の叛骨』(風媒社)を読んだら、さらに驚くべき事が書かれていた。仏教は本来、「不殺生」である。キリスト教も「殺すなかれ」と説く。人を生かすのが宗教だ。ところが、戦争中は、この最も大切な事すら忘れられた。

 <この「不殺生」に対し、大谷派(他の宗派も)は、「一殺多生」という言葉を用意しました。少し殺して多くが生きる。多くを生かすためだから少しぐらいは殺してもかまわない。という意味になります。大谷派は、仏教(不殺生)の教えとは別物の「大谷派の教え」(一殺多生)を布教していたのです>

 「一殺多生」というのは戦前のテロリストの言葉ではないか。それを戦争中は宗教者が使ったのかと思った。5.15事件、2.26事件の前に「血盟団事件」というテロ事件があった。1932(昭和7)年だ。井上日召が中心になって、20人ほどの政・財界のトップを殺そうとした。20人も殺したら、国家の悪が除かれるというのだ。この時、日召が言ったのが、「一人一殺」「一殺多生」だ。一人で一人を殺す。一人を殺すことによって多くの人が生きる、と。実際、井上準之助、団琢磨の二人を殺した。そこで全員逮捕された。
 この「血盟団」の「一殺多生」という言葉を大谷派は使ったのか。宗教者がテロリストの言葉を使うなんて… と思った。ところが、順序が逆だった。大東仁は言う。

 <近代日本の対外戦争である日清戦争の11年前、1883(明治16)年4月1日発行の、真宗大谷派機関誌『開導新聞』(開導社発行)に掲載された「仏教ト社会トノ関係」(前号より連載。引用は続編の部分)を見てみましょう。そこではこのように戦争での殺人を肯定しています。
 「一殺多生ハ仏ノ遮スル所ニ非スシテ愛国ノ公義公徳ナリ」と。そして「身ヲ殺シテ仁ヲナスハ教化ノ功績」と言っています。つまり、一殺多生は仏さまが禁止することではなくて、愛国のための正義であり、徳である。自分が犠牲となっても公義公徳を実践することは、布教による功績となる。と、「一殺多生」の布教が重要であることを訴えているのです>

 つまり、日清戦争の前から大谷派では「一殺多生」といい、戦争への協力を準備していた。そうなる。その影響を受けて、血盟団事件の時、井上日召は「一殺多生」を唱えて、テロを実行する。さらに、戦争になると、国民全てが「一殺多生」の心構えだ。思えば、大谷派も罪つくりだ。
 実は、血盟団事件の井上日召もお坊さんだった。日蓮宗の坊さんで、「一人一殺・一殺多生」は仏典にある言葉だ、と言っていた。一人を殺すことで、多くの人が生きるのは仏の慈悲だと言う。
 では、仏典のどこに書かれているのだろうか。又、この「一殺多生」の考えは、今だって生きている。死刑制度だ。一人を殺すことにより多くを生かすのだ。又、去年だったか、「ウォンテッド」というアメリカ映画を見た。国家が雇った殺し屋部隊の話だ。国家が裁けない悪を、国家にかわって処刑する。アンジェリーナ・ジョリーが出ていた。その映画のポスターを見て驚いた。「一を倒して、千を救う!」と書かれていた。「一殺多生」じゃないか。きっと、血盟団の事を知ってる人が書いたのだ。まさか、大谷派の人ではないだろう。

 今は、竹中彰元は名誉回復されている。竹中を処分した大谷派も謝罪し、自己批判している。大東仁はじめ多くの人が竹中について書いている。今年の6月23日(水)から24日(木)にかけて、「念仏者九条の会」第10回全国集会が岐阜県で開かれた。2日目の24日は、真宗大谷派明泉寺(竹中彰元の寺)で、「竹中彰元師に学ぶ会」が開かれた。
 23日(水)は、真宗大谷派大垣別院同朋会館で、活動報告や記念講演が行われた。実は、そこに僕が呼ばれて、記念講演をしてきたのだ。全国から来たお坊さん、100人を相手に話してきた。演題は何かと言うと、「戦争放棄と戦争箒(ほうき)」だ。主催者が付けてくれた演題だ。「何ですか、これは?」と聞いたら、「前に『マガジン9』で書いてたじゃないですか」と言われた。そうか、忘れていた。
 9条を守る会で、「戦争箒」をもらった。箒の格好をしたマスコットというか、ストラップだ。戦争を除き、掃き清めるのだろう。気に入っている。時々、それで机の上を掃除している。でも猫がじゃれついて遊んでいる、といった話だ。(第18回)それを読んで僕を呼んでくれたのだ。「今まで、念仏者九条の会では、こんなことをしてるんです」と、資料を送ってくれた。その中に竹中彰元のことが書かれていたのだ。驚いたし、勉強になった。だから、むしろ、こっちが竹中のことをもっともっと知りたいと思い、勉強のために行った。講師の方が沢山質問し、教えてもらった。奇妙な講演会になったと思う。

←前へ次へ→

命の尊さを説くはずの宗教が、
「人を殺す」戦争に積極的に加担した時代。
再び同じことが起こらないと、誰が言えるのか?
過去を知ることには、やはり大きな意味があると感じさせられます。

ご意見・ご感想をお寄せください。

googleサイト内検索
カスタム検索
鈴木邦男さんプロフィール

すずき くにお1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

「鈴木邦男の愛国問答」
最新10title

バックナンバー一覧へ→

鈴木邦男さん登場コンテンツ
【マガ9対談】
鈴木邦男×中島岳志
【この人に聞きたい】
鈴木邦男さんに聞いた