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2011-05-11up

雨宮処凛がゆく!

第187回

被災地に行き、デモに行き、メーデーがあり、浜岡が停止。の巻

石巻の全壊地域

 前回の更新からもういろいろなことがありすぎて、何から書いていいのかわからない・・・。ので、とりあえず時系列で書いていこう。

 まずは4月26日、小熊英二さんと宮城県・石巻市に行ってきた。新幹線が開通した翌日だ。東京から新幹線で仙台まで行って、そこからバスで石巻専修大学(ピースボートのボランティアの拠点)に向かったのだが、石巻が近くなるにつれ、バスの中に魚の腐った匂いが充満してきたことには驚いた。石巻は海の近くが壊滅的な被害を受け、水産加工の工場も壊れたことからイカや魚が流され、それが腐って大変なことになっていると聞いてはいたのだが、被害を受けた様子がまったくない場所ですらかなりの腐臭が漂っているのだ。 

 そうして専修大学でピースボートの人たちと落ち合い、車で市内を案内してもらったのだが、車道の両脇ギリギリまで瓦礫が迫り、至るところで車が潰れ、ひっくり返り、その車すべてに「捜索済み」と書かれた紙が貼られ、信号は止まり、トンデモないところに船が打ち上げられ、とにかくどこもかしこも泥だらけという光景にはただただ呆然とすることしかできなかった。津波による被害が大きかった海の近くは、本当に一面が瓦礫の山。その中を自衛隊員たちが物干竿みたいな棒を持って瓦礫の下をつついて歩いている。聞けば、まだ瓦礫の下にはたくさんの遺体があるようで、そうやって探しているのだという。4月終わりのその時点でも、1日5〜6体が発見されるということだった。魚の腐臭は海の近くがもっとも強烈だったけれど、何か見るものすべてが自分の許容範囲を超えていて、もう嗅覚そのものが麻痺してしまっていたような気がする。

同じく

 ただ、そんな中で救いだったのは、あちこちでピースボートをはじめとするボランティアの人たちが活躍していたことだ。町のいたるところでは泥かきをする姿が見られ、専修大学では炊き出しを作っていた。スタッフの方によると、1日1000〜1500食を作っているのだという。震災が起きてかなり早い段階で現地に入ったピースボートの炊き出しは被災者の人たちに相当感謝されたようで、「まいにちありがとう」という子どもたちの寄せ書きが炊事場に貼られていた。ただ、難しいのは「引き際」らしい。いつまで炊き出しを続けるのか、だ。現在、連休が終わってボランティアに行く人が急激に減っているという報道もある。炊き出しには持ち出しも少なくないようで、財源的な問題もあるだろう。また、ずっと炊き出しを続けると地元のお店が再開してもなかなか人がそっちに行かないという問題も出てくるようだ。そんな現場の課題を聞き、また「人手が足りない」ということも切実な問題であることを知った。メディアなどでは「安易にボランティアに行かないように」的なことばかりが強調されているが、決して人手が足りているわけではないのだという。被災地によっては「県外ボランティアは受け付けない」という方針のもとで、「放置」に近いような状況の避難所もあるとのこと。困ってる人がいて、ボランティアに行きたい人もいるのに、様々な国の制度などが壁となって立ちはだかっているという状況には大いなる疑問を感じたのだった。とにかく、現地で動いているボランティアの人たちには頭が下がる思いだ。

ツイッター発の渋谷デモで

 そんな石巻行きの4日後の30日、またしても私はデモに繰り出した。それは「ツイッター有志」で企画された「4・30脱原発デモ@渋谷・原宿」。なんでもたった一人の「つぶやき」がきっかけで「デモをしよう」ということになり、26歳の男性が呼びかけたところ、ツイッターでどんどん広まり、この日の渋谷にはなんと1000人が集結。やはり「デモは初めて」という若者が「原発いらない!」と渋谷・原宿で声を上げたのだ。この日の沿道の反応も感動的だった。特に代々木競技場をデモ隊が通りかかった時、ちょうど「KOOZA」(サーカスみたいなの?)を見終わったらしき家族連れの大行列と出くわしたのだが、「子どもを守れ」コールには家族連れが反応。手を振ってくれたり拍手してくれたりと、とてつもなく歓迎されたのだった。いや、いつも貧乏系デモやってるとゴミを見るみたいな目で見られたりするんだけど、原発事故以降、「反原発」「脱原発」を訴えると大拍手で迎えられるからびっくりしつつも激しく嬉しい。こういうところにこそ、この国の変化をまざまざと感じるのは私だけではないだろう。

 そんなふうに熱気の中でデモは終わり、このデモを呼びかけた平野さんに「一体何者なんですか?」と聞くと、「ただの介護職員です」という答え。デモの企画も初めてだという彼はその上ただのK-POPファン(少女時代が好き)だというから、何か「時代は変わったのだ」と嬉しくなったのだった。そうしてデモのあとはみんなで公園で反省会。「初デモ」の人が多いからこそ、デモの原点に触れるような有意義な議論が交わされていて、胸が熱くなったのだった。

このデモを呼びかけた平野さん(K-POP好き)

 さて、その3日後の5月3日は「自由と生存のメーデー」。今回も「日韓連帯」メーデーとなり、既に日本から2人が韓国に派遣されていたのだが、2日に今度は韓国から「西部非正規労働センター」のイリュ・ハンスンさんが来日するということで成田空港へ迎えに行き、「自由と生存の家」でフリーター労組の人々と歓迎会をして、翌日にメーデー。集会では原発問題を40年間追い続けてきた樋口健二さんの講演を聞き、それからサウンドデモに繰り出したのだが、土砂降りの雨。初めての「雨のメーデー」の中、「電力のために人を殺すな!」と400人で声を上げたのだった。

 ちなみにその翌日はイリュさんが帰国するため、昼は高円寺を案内。その時に聞いたのだが、韓国では「福島の仮設住宅を建設する」作業員の求人が行われていて、それが問題になったのだという。給料は30万円からで技術者は60万円というものの、なんか、ホントに「仮設住宅の建設」なのか? という疑問がどうしても浮かんでしまう。

 そんなことを考えていたところ、「やっぱり・・・」というような報道が。大阪の釜ヶ崎の男性が「宮城県・ダンプの運転手」という求人に応募したところ、福島第一原発で作業させられたというものだ。今に始まった話でなく、原発はずーっと「貧しい人」や「『溜め』のない人」を必要としてきた。今回の原発事故は、そんなこの国の歪み、いびつな構造を次々と白日のもとに晒し続けていると言えるだろう。そしてそんな「原発が抱える大矛盾」を目の当たりにしたからこそ、これほど多くの人(特に若者が本当に多い)が今、街頭に繰り出して「原発いらない」と叫んでいるのだ。私がざっと数えただけでも、4月だけで全国の反原発・脱原発のデモや集会は50個近く、5月は今の時点で30個以上のデモ・集会が企画・実行されている。これってすごいことではないだろうか。

 そうして7日には、「素人の乱」呼びかけで渋谷でデモが開催された(映像などはこちらで)。雨にもかかわらず、こちらには前回と同じ1万5000人が参加。私は名古屋で講演で行けなかったのだが、このデモで2人の逮捕者が出たと聞き、すぐに東京に戻ってみんなと合流。逮捕された2人が拘留されている代々木警察署に抗議に行った。

 そんな中、9日には浜岡原発の停止が決まり(デモの成果だ!と思うことにする)、また同日に発表されたJNNの世論調査では「原発を減らすべき」「すべて廃止すべき」という人があわせて過半数になることが報道された(TBSNews 11/5/9)。4月18日に発表された朝日新聞の世論調査では「減らす・廃止」は41%、「現状程度にとどめる」が51%だったわけだが、今回の調査では「現状維持」は3割程度。少しずつだけど、状況は確実に変わっている。

 誰も、どの国も経験したことのない危機の中で、今、日本に住む一人一人がどんな選択をするのかが本気で問われている。

 少なくとも、私は下の世代に「何も行動せずにロクでもないものを残したスットコドッコイ」と思われたくはない。事故があったら確実に誰かが「原発難民」になることが前提の社会は脆弱すぎる。そのためにも、声を上げ続けていくしかないだろう。っていうか、今動かなくて、いつ動くの? って感じだ。

西部非正規労働センターのイリュさんとは、3年ぶりの再会。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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