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2011-04-27up

雨宮処凛がゆく!

第186回

チェルノブイリ事故から25年のデモ。の巻

デモ隊が出発!

 反原発・脱原発デモの勢いが止まらない。

 私自身も10日の高円寺デモ、16日の「野菜にも一言いわせて」デモに続き、24日には芝公園出発の「チェルノブイリ原発事故から25年 くり返すな! 原発震災 つくろう! 脱原発社会」に参加してきた。

 とにかくこの日も人が多く、報道によると4500人が参加したのだという。また、同日、代々木公園でも「エネルギーシフトパレード」が開催。こちらにも5000人が集まった。

 更には同日、香港でも反原発デモが開催されたことを知った。

 この日、芝公園にはまたしても様々なプラカードが躍っていた。「命を守れ」「子どもを守れ」「電気より元気 金より命」「寿司食わせろ!」というものもあれば、「メディアは反原発デモをちゃんと報道しろ!」と書かれたものもあった。高円寺の反原発デモが新聞・テレビなどではほとんど報じられなかったことでメディアは批判を浴びているわけだが、この日はその反省もあってか、メディアの姿もそこそこ目立ち、私も何人かにインタビューを受けたのだった。

ピエロのみなさん。

 その中で聞かれて印象に残っているのは、「これまでのデモとどんなふうに違いますか?」ということだ。言わずと知れたことだが、私は自他ともに認めるデモ・ジャンキー。「面白そうなデモがある」と聞けばどこでも駆けつけ、08年のメーデーでは北海道から九州まで全国ツアーを敢行して各地でデモに参加し、09年のメーデーでは日本だけでは飽き足らずに韓国まで行ってしまったわけだが、そんなデモ・ジャンキーである私が今回の反原発デモに参加して実感しているのは、「今までと違う」どころの話じゃない、ということだ。

 まず、大前提として状況がまったく違う。今まで私がかかわっていたデモはプレカリアート運動のデモで、ものすごく大雑把に言うと、それは「貧乏人の貧乏人による貧乏人のための」デモだ。どれほど格差社会が進もうと、貧困が深刻なことになろうと、金持ちは一切関係なかったわけである。

同じく。

 しかし、今回の原発事故はこの国に住むすべての人が、どうしようもなく当事者だ。水や空気や土が汚染され、被害は野菜や魚にまで及んでいる。特に子どもを持つ人であれば不安の種は尽きないだろう。そのことを裏付けるように、とにかく今回のデモ参加者にはベビーカーや子連れの人が多い。また、沿道の反応もまったく違う。熱い拍手や声援を送る人、手を振る人など、何か「原発はいらない」という一点への「共感」が凄まじいのだ。

 今回の原発事故とデモを受けて、よく80年代の反原発運動のことが話題になる。しかし、私はその時代のことをまったく知らない。ただひとつ言えるのは、今、私たちは誰も、どの国も経験したことがない危機の中にいるということだろう。私たちは今、現在進行形で放射能汚染の中を生きている。そして原発の危機は今も続いている。それなのに、今、なんとなく事態が「収束」の方向に向かっているような空気が作られつつあるように感じないだろうか。人によっても凄まじいまでの温度差がある。「もう大丈夫なんでしょ?」という感じの人もいれば、マスクをしていないと「絶対マスクした方がいいよ」と注意してくれる人もいる。最良のシナリオと最悪のシナリオがあったら、最良の方を信じたいのが人間だ。だけど今回の事故は、「最良のシナリオ」にすがりたいという思いが事態を悪化させたという面は否めないのではないだろうか。

東電前では警察が「早く行け!」とこんなふうになります。

 そして怖いのは、今、日本に住む結構な割合の人が、「原発の危機」という最悪の状態にも「慣れ」つつあるということだ。ものすごく悪い状態が続くことが、既に常態になってしまっているような気がする。報道が明らかに減っていることにも違和感を感じる。

 そんな果てにぼんやりと見えてくるのは、なんとなく「収束ムード」が続き、報道もめっきり減り(しかも原発を安定させるには時間がかかる)、そのうちにあれほど恐怖心を駆り立てられた原発のことなんてまたほとんどの人が考えなくなって、そして「一件落着」って感じで原発の是非なんて問われることもなく、しかし、福島の人々は甚大な被害を被り続け、だけどそのことも所詮他人事なので忘れ去られていく・・・というシナリオだ。そんな光景がぼんやり見えてしまうからこそ、私は今、「原発は嫌だ」と声を上げ、できるだけ騒ぎ、その騒ぎを継続したいと思っている。

 そしてそのことが、今、東京にいる自分にできることではないかと思っているのだ。というか、それくらいしかできない。

「10〜15年後の子どもたちの姿」。

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喉元過ぎれば熱さを…と言いますが、
原発については、まだその「喉元」さえも過ぎていないのが現状、のはず。
なんとなく「収束」したかのようなムードに流されないためにも、
1人ひとりが継続して声をあげることが何より重要です。
ということで、今週も全国デモ情報、載せてます。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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