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2010-06-30up

雨宮処凛がゆく!

第150回

「社会の不在」問題。の巻

 26日、「マガ9学校」の第一回が開催された(来てくれたみなさん、ありがとうございます!)。一回目だというのに会場は満員。ゲストのキム・ソンハは韓国の徴兵制問題を、映像を交えながら非常にわかりやすく、かつお客さんをガンガン笑わせながら語ってくれて、私にとってもとても楽しい1日だった。

 しかし、楽屋裏ではいろいろと大変だったことも事実だ。この日出演したのは伊藤真さんと私、そして4人の韓国人グループ。キム・ソンハと大分KCIA、そして韓国からのゲストとしてイ・ギルジュンさんとアン・アキさんが出演してくれたのだが、とにかくこの人たちが「勝手」としか言いようがなくて、ちょっと目を離すとすぐにいなくなってしまうのだ。

 ちなみにイ・ギルジュンさんは、韓国の徴兵制とキャンドルデモを語る上では「ヒーロー」的な人なのだという。なぜかというと、彼は徴兵で「戦闘警察」(日本の機動隊みたいなとこ)に配属されたのだが、仕事はというと「デモの鎮圧」。ちょうど彼が戦闘警察にいる頃、韓国では米国産牛肉輸入に反対したキャンドルデモが盛り上がっていて、彼は同世代の若者たちのデモを暴力で鎮圧することはできない、と徴兵拒否。その結果、1年4ヶ月間にわたって刑務所にブチ込まれてしまい、数ヶ月前に出所したという人である。もう一人のアン・アキさんは既に徴兵済み。しかし、韓国社会に蔓延する軍事文化に疑問を抱き、キム・ソンハたちの徴兵制を考えるグループ「PANDA」の活動にもかかわっている。

 そんな情報だけを聞くと、何か立派な若者像を想像してしまうわけだが、アン・アキさんはイベントが始まっても会場に到着せず(新宿駅で迷っていたらしく、「新宿駅を設計した人が悪い!」と主張)、キム・ソンハとともに入り時間に遅刻したイ・ギルジュンさん(富士そばを食べてたらしい)はイベント開始時間には間に合ったものの、伊藤さんの講演が始まると行方をくらまし、大分KCIAは寝坊して大遅刻、結局、出番になってもキム・ソンハ以外韓国グループは誰もいない状態でトークが始まり、途中で3人揃ってのこのこ現れる、という無駄に緊張感溢れる展開となったのだった。しかも途中で15分の休憩になったらそれぞれ「ごはん食べに行く」とか「コンビニ行く」とかまた勝手なこと言い出すし・・・。さすが「徴兵が嫌」な人たちである。ここまで統率がとれてないのだから素晴らしい。私は断固として、彼らの「勝手さ」を支持したい。

 この日、話を聞いて改めて感心したのは、100万人規模に広がったキャンドルデモを始めたのが「女子高生」だったという話だ。で、キャンドルデモはイ・ミョンバク政権になって二ヶ月後に始まったらしいのだが、その背景には学校の授業に「0時限目」を導入するという話もあったらしい。1時限目の前に「0時限目」ができるということだ。BSEの問題だけでなくこういうことも高校生たちを怒らせ、大分KCIAも高校生の一人としてデモに参加していたというわけだ(でも戦闘警察に殴られるのが怖くて終電を言い訳に逃げ帰ったこともあるらしい)。

 そんな話を聞いて、思った。同じことが日本で行われたとしたら、当事者である高校生たちは立ち上がるだろうか? 私には、それはなかなかリアリティのあることして考えられない。

「もっと日本の若者たちに行動してほしい」。この日、韓国人の4人から何度か聞かれた言葉だ。逆にどうして行動できるの? 大分KCIAに聞くと、「イ・ミョンバクが大嫌いだから」という答えが返ってきた。自分の国の大統領が大嫌いで、その人の押し進める政策に納得がいかないから行動する、ということ。何かこれは、「社会が社会として機能している」証拠のような気がした。だって、少なくとも私は大分KCIAのような言葉を日本の高校生や大学生から聞いたことはほとんどないし(ほんの少しはある)、自分の10代を振り返っても、政治家とか政策とかに本気で怒ったことなどない。何かもう徹底的に自分とは関係ないものとして、怒りの対象ですらなく、道ばたのゲロ程度に見て見ぬふりでスルー、という感じだったのである。

 なぜそんなふうだったのかと言えば、それは最低限の社会への信頼感すら持っていなかったからだ。自分が何をどう思い、どんな行動を起こそうとも、絶対にこんな社会は変えられない、という徹底的な諦め。それは今、結構な人が共有している思いではないだろうか。

 ちょうどこのイベントの数日前、50年代に工場で働いていた少女たちの労働運動を描いたドキュメンタリー・「明日へ紡ぎつづけて」の監督と対談したのだが、その時にも似たような話になった。「どうして当時の少女たちは立ち上がれたのか」。その問いに対して、私は答えた。「それは“社会”があったからではないか」。自分で言って、自分で妙に納得した。だって今は、社会そのものが不在、というか、そもそも「社会」なんてものがどこにあるのかすらわからない。自分の周りにあるのはただ無限に広がる消費空間だけで、消費者としての振る舞いしか知らないし知らされていない。

 そんな「社会が社会として機能していない」場所では、当然「何かを変えるために立ち上がる」「異議を申し立てるために行動する」という回路は切断されている。そのかわり、時々、突発的に不気味な「暴発」が起きるだけだ。

 イベント4日前の6月22日、広島のマツダの工場で42歳の男性がまたしても無差別殺傷事件を起こしてしまった。秋葉原の事件を思い出して打ちのめされながら、そんな「社会の不在」について、考えている。

「マガ9学校」にて。左から私、イ・ギルジュンさん、キム・ソンハ、伊藤さん。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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