2014年度第35回石橋湛山賞を受賞した白井聡著『永続敗戦論』は、私たちの国の政治あるいは私たち国民のメンタリティが、いまだ第2次世界大戦における敗戦を認めようとしないことによって「敗戦国」の状態にとどまり続け、安倍首相の悲願である「戦後レジームからの脱却」もその延長線上にあるに過ぎないことを、白日の下に晒すように論じた力作です。
私が本書を手にとって、最初にショックを受けたのは、もし朝鮮戦争で中国の参戦、ソ連の支援を得た北朝鮮が半島を制圧したら、はたして日本は民主主義を維持できたのだろうかという「歴史のイフ」でした。
対共産圏の最前線に置かれた韓国の国民は苛烈な反共軍事政権下に長らく置かれました。その時代、韓国の庶民がどのような生活を送っていたのか、送らざるをえなかったか。その一端は、たとえば映画『大統領の理髪師』にうかがえますが、日本が、庶民が「共産主義のスパイ」とのレッテルを貼られ、まともな根拠のないまま保安当局に拘束されるような社会になっていた可能性は十分あったのです。
そう考えると、日本における戦後民主主義の幸運を思わずにはいられません。しかしながら、集団的自衛権の行使、特別秘密保護法の施行を目指す安倍政権の姿勢は、その幸運を捨て去ろうとしているように見えます。
自民党政権は、両者の必要性の根拠として、日米同盟の強化を挙げますが、それはあまりに軍事的な協力に偏重してはいないか。
日米間には歴史認識について大きな隔たりがあります。冒頭の白井氏は、『SIGHT』(2014年夏号)のインタビューにおいて、日米同盟の絆を強調している当の政治家たちが、オバマ大統領の来日直前に靖国神社を参拝したことをとりあげ、相手に熱烈なラブコール(同盟強化)を送りながら、相手が嫌がること(靖国参拝)をするさまを「別れる前のカップル」と表しました。
そのインタビューで白井氏は、日米関係は最悪の状態にあると指摘していましたが、その後も閣僚がナチスを信奉する団体の代表と写真を撮っていたことが発覚するなど、両国関係を損ねる事態が生じています。
「軍事的な協力は惜しまないから、それくらいは大目に見ろ」というメッセージなのかもしれません。しかし、そうしたスタンスが可能だったのは冷戦時代までであり、いまのアメリカは、アジアや南米などの反共軍事政権を支援していた、かつてのアメリカではない。日本の政府が反共軍事政権を目指しているとは思いませんが、『永続敗戦論』を再読して、いまだ冷戦思考から「脱却」できていないことを思わざるをえませんでした。
(芳地隆之)
まず、「冷戦」も含めて「戦後」ではないのだろうか?
それに「歴史のイフ」で話をするならば、仮に朝鮮半島が共産圏に制圧されていたら、確かに日本が「韓国化」したかもしれないが、「西ドイツ化」したかもしれないのである。
そして、なぜ韓国がなぜ冷戦構造の最前線に立たされ、しかも国家を分裂させられた西ドイツと同じような政治体制にならなかったのかということも問われるだろう。
白井聡氏も芳地隆之氏も日本の親米保守体制を嫌悪し、芳地氏は「隣国からの信頼を得てきた」とドイツを賞賛されるが、極東と欧州の差異を相対的に検証することなく、「私たちは敗戦国にとどまり続ける」と断ずるのは拙速であろう。
因みに、ドイツはイスラム国と敵対するイラク・クルド自治政府の治安部隊「ペシュメルガ」に対し、米英と共に武器・装備品の提供を行っているのだが、そのような現実の国際社会を直視しなければ、戦後日本の総括は片手落ちで終わるだろう。