1960年3月に行われた韓国大統領選挙の不正を糾弾する学生デモは、李承晩大統領を失脚させる。しかし、その後、軍事クーデタが相次ぎ、1961年5月からは朴正煕大統領による長い軍事独裁政権の時代が始まった。
この映画は、学生デモが李政権を倒したいわゆる4・19革命から、1979年10月に朴大統領が側近に射殺されるまでの時代、大統領官邸のあるソウルの町を舞台にしている。
軍事政権下の過酷な時代を、韓国民衆はどう生きてきたか。それを描く手法として、イム・チャンサン監督は、その町で床屋を営んでいたことから、大統領専属の理髪師になったソン・ハンモという人物をつくり上げた。
彼と妻キム・ミンジャ、そして小学生の息子ナガンをとりまくのは、米ソが厳しく対立する冷戦時代である。ベトナム戦争に多くの自国兵士を派遣していた韓国で、北朝鮮の特殊工作部隊による大統領官邸襲撃未遂事件が起こった。
映画では、作戦開始直前の工作員が緊張のあまり下痢になったことが未遂の原因として描かれる。下痢は“北”のマルクス主義による伝染病=下痢の症状を起こした者は“北”のスパイという冗談みたいな風聞が立つのだが、それによって罪のない人々がKCIA(韓国中央情報部)に拘束され、取調室で拷問を受けるシーンはあまりに惨い。
拘束された数人はスパイ容疑で死刑。たまたまお腹を下したナガンも電気ショックの拷問を受けて、松葉杖の生活を強いられる。そんな理不尽な暴力がまかり通るなか、理髪師は朴大統領の髪を切るため、官邸を訪れるのだが――。
こうしてあらすじを紹介すると、韓国民衆の悲劇の物語が想像されるだろう。しかし、作品に終始漂うのは、そこはかとないユーモアだ。物語の語り手であるナガンの明るい声、臆病でおっちょこちょいなハンモの表情やしぐさ、田舎から出てきた初々しい理髪師見習いのミンジャが母として身につけていくたくましさ。それらを俳優たちが実に巧みに演じるのである。
イム・チャンサン監督は1969年生まれ。愛おしい家族と複雑な歴史を違和感なく見せる力量は、とても本作品が初メガホンだとは思えない。
それにしても、なぜ韓国がこうした現代史を送らなければならなかったのか? 日本人は歴史をさらに遡って考える立場にいる。そんなことも映画はさらりと語っているようだった。
(芳地隆之)
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