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2010-10-13up
この映画が始まってしばらくの間、違和感が拭えなかった。舞台は韓国東南部に位置する慶尚北道の、俗世間と隔絶されたかのような山間の農村。そこに住む老夫婦と、彼らが飼っている牛の姿を追うドキュメンタリーなのだが、当初予想した、豊かな自然のなかでの人間と動物の交流というイメージは見事に裏切られた。
夫は子供の頃の誤った鍼治療により、片足の筋肉が収縮してしまい、農作業は這うように行っている。そんな彼を支える妻の負担は重い。牛に畑の草を食べさせるため、決して農薬を撒かず、人間の手で収穫するのが一番と農業機械を使わない夫を、妻はなじる。なんでこんな男のところに嫁いでしまったのか、自分ほど不幸な一生を送る人間はいない、この牛が生きている限り、私の苦労はなくならない……。口を開けば、出てくる言葉は恨み節や愚痴ばかりである。しかし、夫は、来る日も来る日も農作業を支えてくれた牛を人間よりも大切だと言ってはばからない。
年齢40才の寿命間近になっても牛は農夫にこき使われている。毎日、彼と鋤や鍬を乗せたリヤカーを引いて畑に向かう。夫の具合が悪くなれば、町まで下りて、自動車が行き交う道路をゆっくりと進む。働くだけの一生は、老夫婦と同じだ。
物語に特段のアクセントはない。繰り返される老夫婦と牛の日常、そして、農村を巡る四季の風景に、いつしか当初の違和感はなくなり、私の目線は登場する人々と同じ高さに降りていた。
すると、妻のぼやきが微笑ましく感じられた。新しく牛市場から買ってきた若い牛の勝手な振る舞いには腹が立ち、頭痛に悩む夫の姿を見て、自分のこめかみをさすりたくなった。そして物言わぬ牛の大きな目から何かのメッセージを読み取ろうとした。
やがて、牛は最期を迎える。死を察知した農夫は牛の首から鈴を取る。画面から、ちりんちりんという音が消えると、これまでの時間の流れにずれが生じ、小さな胸騒ぎが起こる。
映画が幕を閉じるころ、私はすっかり老夫婦の生活、牛歩のリズムに馴染んでしまい、現実世界に戻ったほんの一瞬、違和感を覚えた。そして、映画鑑賞とは、実生活にはない時間の流れに身を任せることなのだと、あらためて知った。
(芳地隆之)
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