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合併号企画といえば、やっぱりこれ。
アツーイ夏は本を読もう!というわけで、「マガ9」連載コラムの執筆陣に
おすすめ本(&DVD)をあげてもらいました。
古典から最新刊まで、いろいろ揃いました。
※画像はアマゾンへリンクしています
おまたせ! と言いたくなるほど待望の、「素人の乱」松本哉氏の2冊目の本。その名も「素人の乱」! 貧乏人、大バカ者、役立たず、ロクデナシ、マヌケな人々が本気で遊びだしたらどれほどトンデモないことになるか、その実践の数々が明かされる。「道行く犬の性格を分析してるくらい暇だった」奴らが「一揆」を起こすまでの、どうでもいいんだけどあまりにも面白い軌跡。
もう絶対読んでほしい一冊! 自己責任論とか、世代間対立とか、そんなこと言ってる場合じゃないほどフランスでは大変なことになっている。で、それをフランスの「大人」たちはマトモにちゃんと考えて、支持する。郊外の暴動と、若者使い捨てみたいなCPE(初期雇用契約)に対する反対運動を綴った感動作。百万人デモ、やりてえ!
刑法9条(刑の種類)「死刑、懲役、禁錮、罰金、拘留及び科料を主刑とし、没収を付加刑とする。」
日本はこの規定によって死刑存置国となっています。他方で、憲法9条によって軍隊を持たず、どんな名目の戦争も否定しています。諸外国では死刑を事実上廃止する国が圧倒的多数ですが、ほとんどの国は軍隊を持っていて何らかの名目の戦争を肯定します。死刑存置かつ軍隊廃止の日本と、死刑廃止かつ軍隊存置の諸外国。このねじれはどこからくるのでしょうか。死刑も軍隊も国家による殺人であり、なんらかの目的のために人の命を手段として使おうとします。徹底した人間尊重の観点からは、死刑廃止かつ軍隊廃止のはずです。死刑存置かつ軍隊存置という現代国家としては極めて希な社会を私たちは本当に望むのでしょうか。
裁判員制度を前に私たちは憲法9条と共に刑法9条にも向き合わなければなりません。
この本は、沖縄に講演でやってきた軍事評論家の前田哲男氏に薦められた本だ。沖縄に住んでいると、ゴルフをやっていてもF15戦闘機の爆音や米軍の実弾演習の地響きが伝わってくる。米軍基地の存在は否が応でも日常的に意識せざるを得ないのだ。沖縄を理解するためには、ぜひ読んでおきたい一冊だ。ただし、価格が2940円(税込)と高いので、図書館で探したほうがいいかも。
「ロシア文学が最高ですね」という点では一致した。いくら愛国者でも「日本の文学が世界最高だ」などと言う気はない。ドストエフスキーやトルストイに比べたら日本の文学者なんて赤ん坊だ。「ロシア文学の中でもドストエフスキーですね」という点でも一致した。『ナニワ金融道』の原作者・青木雄二さんと話していた時だ。その中でも『カラマーゾフの兄弟』かな、と僕が言ったら、いや、『罪と罰』ですよと青木さんは言う。そして冒頭の部分を暗誦する。「七月はじめの酷暑のころのある日の夕暮れ近く、一人の青年が・・・」と。「ここには小説の全てがあります」と言う。「私の原点はドストエフスキーとマルクスです」と断言する。傍にいた出版社の人が、「じゃお二人で対談して、うちの社から出しましょう」と言う。でも、その直後に青木さんは亡くなった。残念だ。やはり『罪と罰』かな、世界最高の文学はと思う。夢、絶望、殺意、懺悔、再生。人生の全てがここにある。
貧しく野望に燃えた青年が世の中でのし上がる為には二つの道しかない。軍人(赤い服)か僧侶(黒い服)だ。昔、日本でもそうだった。ちょっと前ならば左翼(赤)か右翼(黒)か、という選択肢もあった。
この小説の主人公、ジュリアン・ソレルは僧侶の道を選ぶ。そして、あらゆる手段を使ってのしあがろうとする。女の愛も利用する。冷酷に。彼にとっては、人生も戦争なのだ。軍人の心を持って僧侶の出世階段を昇る。しかし・・・。
思い出した。40年前、早大正門の傍に、「ジュリアン」という喫茶店があった。矢野潤さんという早大OBが経営していた。『赤と黒』から取った名前だ。ここが右翼学生の拠点だった。一般学生に声をかけ、ここで説得し、運動に勧誘した。三島由紀夫と共に自決した森田必勝もそうだった。ここから多くの右翼活動家が生まれ、あるいは政治家に、ジャーナリストに、評論家になった。野望に燃えた、多くの「ジュリアン・ソレル」が生まれたのだ。
中学生の時に読んだ。これは俺だ!と思った。いじめにあっているが、主人公は決然として闘う。それも「頭脳」で、「勉強」で闘う。実に頭がいい。勉強家だ。どんなものでも暗誦し、どんな難題でも解いてみせる。そして、自分をいじめる人間どもを見下してやる。でも、授業が終わると、又いじめられる。 ユダヤ人だという理由だけで。さらに反撥して勉強する。授業中の教室だけが彼の王国だ。
当時、学習雑誌の付録で読んだ。いじめにあっていた僕は「自分の物語」として読んだ。いや、こうなりたいと思った。後に、「右翼」ゆえの原罪でいじめにあうとはこの時は思ってもいない。この迫害の方が大きかった。でも、『反逆児』を昔、読んだときの感動と興奮があったから耐えられた。きっと子供向けの読み物だろうと思って忘れていたら、新潮文庫で出ていた。最近発見した。昭和32年に出ている。その直後に、中学生向けの雑誌の付録になったのか。又、三島由紀夫の『青の時代』(新潮文庫)の「解説」で西尾幹二がこの本に触れていた。きっと僕と同じ体験があったのだろう。
「マガジン9条」の読者の方たちは、やはり真面目で社会評論風の本がお好きなのかな?
そういうのもいいけれど、夏はミステリでしょ、やっぱ。
というわけで、私のこの夏のオススメは、ロバート・ゴダードです。この人の著作は数多いのですが、今回はとりあえず、その中から私の好きな3作を。
『リオノーラの肖像』(文春文庫)
『蒼穹のかなたへ』(文春文庫)
『最期の喝采』(講談社文庫)
ゴダードは、1954年イギリス生まれ。ケンブリッジ大学で歴史を学び、1986年『千尋の闇』でデビュー。
さすがに歴史専攻だっただけに、どの作品も、ゴシック・ミステリと称される分野の、歴史の闇に取材した綿密な構成が素晴らしい。
この中では『最後の喝采』が現代物だが、その背景にもやはり歴史の闇が蠢いている。
どの作品にも、遥かな古きヨーロッパの匂いが立ち込めている。読みながら、遠い西洋の国の暗く湿った古城に迷い込んだ心地になるはず。鬱蒼とした黒い森の中の、まだ誰にも解き明かされていない、歴史の謎…。ほとんどの作品が、そんな感じです。
ミステリには「巻き込まれ型」というジャンルがあります。主人公が、望んでもいないのに、あれよあれよという間に、事件に巻き込まれていってしまう、というパターンです。ゴダードの主人公は、だいたいがそれです。主人公がスーパーヒーローでないところも、私は好きなのです。
多分、1冊読んだら、すべてのゴダード作品を追いかけてみよう、という気持ちにさせられるのではないか。少なくとも、私はそうだったのです。
魯迅は、1920〜30年代にかけて、真剣勝負の活動をした中国の作家。当時の中国は、軍閥と帝国主義列強に支配され搾取されつくしていた。にもかかわらず、民衆は、諦めと卑屈から、有効な抵抗をなしえないでいた。そんな民衆の精神を容赦なく批判したのが、これら一連の著作だ。
しかし、魯迅は、決して、軽蔑も絶望もしていない。精神の堕落に警鐘を鳴らしながら、民衆のうちに秘められた革命性への信頼を失っていない。こにには、今の日本にも通じる本質的な示唆が満ち満ちている。
岩手出身の二大作家といえば、石川啄木と宮澤賢治です。岩手県人のなかでも、「啄木派」と「賢治派」にわかれるようですが、わたしはダンゼン「賢治派」です。
その賢治が、大正13年に自費出版で刊行した童話集です。わたしの大好きな「どんぐりと山猫」など、9作の童話が収められています。「かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたない」おはなしばかりなのです。
それぞれとてもおもしろい童話ばかりなのですが、28歳の田舎の青年が、どうしてこんな美しい独自の日本語を使いこなせたのか、とても不思議です。岩手の風土神が、賢治に乗り移って書かせたのではないか。そんなことを思わせる、岩手の自然から生まれた童話集です。(オススメは角川文庫版。オリジナルの扉絵や挿絵がついています)
「やまねこムラだより」のなかでも書かせてもらいましたが、世界では毎年500万人の子どもたちが飢えて死んでいきます。15年戦争で死んだ日本人の1.5倍の子どもたちが、毎年毎年食べ物がないために、死んでいくのです。それは、なぜなのか?
食料自給率39%の日本が、大量に食べ物を輸入し大量に食べ物を廃棄している。そのいっぽうで、貧しい国の子どもたちが飢えて死んでいく。この矛盾に解決の筋道はあるのか? 世界的な食糧不足の時代になってきた現在、「飢える」ということはどういうことか、もういちど考えていただければ、と思います。
マガジン9条のインタビューにも登場した中村哲医師。わたしは、この人のファンです。インタビューでは「医者 用水路を拓く」がテーマになっていましたが、その前段階、中村医師たちペシャワール会の人々が、アフガニスタンの旱魃と戦うために、1000個も井戸を掘る。そのレポートです。
縁もゆかりもない人々のために、どうしてここまで一生懸命になれるのか。人間って、捨てたものではないな。いやなヤツもたくさんいるけれど、素晴らしい人もたくさんいるんだなあ、と「高貴なるたましい」の存在を信じられるようになります。
舞台は19世紀末。乃木大将一家のエピソードから始まって、シベリアを踏破し、サハリンにたどり着いたチェーホフや、彼に「一緒に日本へ行こう」と誘う怪僧ラスプーチン、そして、そのラスプーチンを日本で迎え撃つ明石元二郎——実在する歴史上の人物が、山田風太郎の手にかかると、生き生きと動き出し、しかし、決して史実から大きく逸脱することなく読者を物語のなかに引き込んでいきます。日本という国がどうやって成り立っていったのか? 極上のエンタテイメントとして読ませてくれる明治小説集のなかでも、本書は、後の日露戦争からロシア革命までを予感させる異色作です。
昭和史を語らせたらこの二人の右に出る者はいないでしょう。だから、本書を手に取るまでは、彼らの歴史語りを堪能するものなのかなと思っていました。ところが、5つのキーワード「世界の大勢」「この際だから」「ウチはウチ」「それはお前の仕事だろう」「しかたなかった」を通して昭和を語ることによって、国家として、組織として、戦前・戦中の日本政府と軍部がいかに無責任な体制だったのかが浮き彫りにされます。「けっきょく私たちは状況追随者でしかないということです。状況追随のなかでしか政策選択をできなかったということ。それが昭和史の基本的な問題だと思うんです」(保阪氏)という言葉を私たちは噛み締めるべし。
俳優・金城武が日本でブレークするきっかけとなった映画。大学の映画研究会がつくったような肌触りですが、ハードボイルドとメルヘン風が微妙に交じり合った映像と、無造作な感じで挿入される音楽に浸っていくうちに、登場人物たちと自分との距離が縮まっていく感じがしてきます。公開当時、私のなかのアジアのイメージが、ちょっぴり揺さぶられました。
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