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2011-11-02up
時々お散歩日記(鈴木耕)
68もう少し書き続けよう、「原発」を…
この「日記」の連載は、実は1年間ほどのつもりで始めたのだが、3.11以降、やめる時期を逸してしまった。特に「原発」について、次から次へと書いておかなければならないことが出てくる。やめることができなくなって、ここまで続いてきた…。
事態が動く。調べる。情報が隠されている。ウソが暴かれる。別の情報が小出しにされる。その整合性が問われる。学者たちの言い訳が始まる。誰かのせいにする。口をつぐむ連中もいる。それを書く。
怒りがこみ上げる。電力会社の体制は変わらない。政府はそれでも再稼動への動きを止めない。原発輸出などと口走る。怒りを書かずにはいられない。
放射性物質による食物汚染にはキリがない。「直ちに健康に影響はない」をいまだに言い続ける者もいる。「とにかく検査だ」と張り切る学者は検査で得られたデータをどう使うのかを明らかにしない。そんな人物が福島県の健康調査の責任者になる。理解できない。だからその学者の背景を調べる。どんな流れがあるのか、記録しておく。
国の食物の放射線許容基準は上がったり下がったり。どれだけの放射線量で危険が高まるかという閾値(しきいち)など分からないにもかかわらず安全宣言を出すバカな自治体もある。それを食べなければならない子どもたちのことはそっちのけで「国の基準に従っているから問題はない」を繰り返す役人たち。書かずにいられるか。
緊急避難準備区域指定の解除。学校再開を喜ぶ児童たち。それが美談のように報道される。学校再開が真の復興への第一歩なのか。マスクを付け長袖シャツを着たまま体育の授業を受ける奇妙で不気味な光景を批判するマスメディアはない。こんな場面はSF映画でさえ観たことがない。それを異様と思わない報道者たちの感性の衰退。こんな小さなコラムだけれど、彼らに反撃の矢を放つ。
代わって最近やたらと強調されるのは「除染」だ。除染が終わればすべて解決するとでもいうのか。除染が済めば故郷へ戻れるか。除染後の復興計画が得々と語られる。除染事業こそがこれからの希望。報道も除染にはページと時間を割く。ほんとうに除染は救いの神なのか。一部では「除染利権」などが囁かれている。それにも触れぬわけにはいかない。
かくして、このコラムの終わりが見えない。
僕は3.11以降、このコラムのすべてを「原発」についての文章で埋めてきた。意図したわけではない。書かなければならないことが、記録しておくべきことが、次から次へと噴き出してくるからだ。
ほんとうは、秋の青空の美しさを書いていたい。散歩途中の花々と風の戯れを表現したい。こんにちは、と交わす近所の人たちとの何気ない会話だって面白い。
だけど、どうしてもそちらへ僕の指先は走らない。今朝見た新聞記事やテレビニュース、ネットで得た情報、知人のジャーナリストや記者から送られてきたメールの中身、さっきの電話の内容…。それらが僕の頭の中で渦巻く。僕の指は、いつの間にかパソコンで、やっぱり「原発」という文字を打ち出している。
あの凄まじい福島原発事故からもう7ヵ月。事態は、残念ながら好転していない。それどころか首都圏でさえ続々と検出される高放射線量地域、ホットスポット。それでも政府は「安全基準値以下だから安心」を繰り返す。政府が勝手に決めた基準値で安全を宣言するのだから、なんともお気楽な話だ。
10月29日(土)、「マガ9学校」があった。お話をしてくれた「おしどり」のおふたりには、僕は本当に頭が下がる。忙しい仕事の合間に、よくあそこまで調べて記者会見に臨めるものだと感心する。東京電力や保安院では、記者会見で「おしどりシフト」を敷いているという。何度も「おしどり質問」に突っ込まれてオタオタを繰り返したからだ。それほど、おしどりさんの質問は専門的で鋭い。
先日の「マガ9学校」では、おしどりさんのお話も素敵だったけれど、福島から来てくれたゲストのおふたりのお話が素晴らしかった。
震災後に生まれた赤ちゃんをおぶったまま話してくれたハルカさん。彼女の涙が切なかった。ふるさと飯舘村の美しい自然をバックに映し出しながら、それまでの暮らしと原発爆発後の異常な日々を説明してくれたケンタさん。ふるさとを失うことの哀しみ。
このおふたりが強調していたのが「現地の感覚とマスメディアの報道との乖離」ということだった。なぜ、感じ方がこれほどまでに違うのか。生きることの意味を、もう一度問い直してほしい…と。
報道がいまや「復興一色」になっていることに、おふたりは疑問を呈する。除染に成功すれば復興が始まる。まずは除染だ。それが報道の主流だという。
ほんとうに除染は可能なのか。除染の効果については、疑問を持つ専門家も多い。3000億円以上もの凄まじいカネをかけて飯舘村の75%をも占める森林から放射能を除去することが、ほんとうに正しいやり方なのか。それよりも、子どもたちのことをもっと真剣に考えるべきではないか。ケンタさんの疑問は当然だと、僕も思う。
会場からの質問タイム。参加者の8割ほどが女性。それも、子育て中の方が多いようだ。その方たちが手を挙げて、自らの想いを語る。涙声が会場に響く。
「すみません、泣いてしまって、すみません…」
幼稚園や小学校の当局とぶつかり、地域で孤立し、それでも懸命に子どもを守ろうとするお母さんが、涙を噛みしめて訴える。あの原発事故以来、すっかり涙腺が弱くなってしまった僕は、その訴えを聞きながら、鼻の奥がツーンッと熱くなった。
「泣くことは恥ずかしくない。泣いていいんです。いま泣かずに、いったいいつ泣くんですか…」と、僕は思っていた。
確かに、最近の報道には疑問が多い。たとえば、毎日新聞(10月31日付)に、26行のほんの小さな記事。
保革が同席 脱原発集会 福島東京電力福島第1原発事故を受け、国や東電に原発からの撤退を求める「なくせ原発! 安心して住み続けられる福島を! 10・30大集会in福島」が30日、福島市内の公園で開かれた。佐藤栄佐久前知事や保守系首長らが共産党の志位和夫委員長と同席する異色の顔ぶれとなり、約1万人が参加した(主催者発)。
佐藤前知事は「福島がこんなことになるなんて悪夢を見ているようだ。(原発がある)双葉郡の住民を棄民にしてはいけない」と除染の徹底を求めた。参加者は集会後、脱原発を訴えるプラカードなどを掲げて市内をパレードした。
以上が全文である。地方都市で1万人規模の集会が開かれることなど、沖縄県を除けば、前代未聞と言っていい。それなのに、こんな大事な集会に触れたのは、僕が見た限りではこの毎日新聞のベタ記事くらい。他ではネットで時事通信が配信した程度。他の全国紙もテレビニュースもほとんどこの「大集会」には触れていない。
地方都市で、しかも原発事故が起きた福島での「1万人大集会」である。テレビも新聞もトップニュースとして扱うのが当然ではないか。原発爆発現地の人たちが何を考え、何を訴えているのかを報じる最大最善の機会ではないのか。
小さな記事でも報じてくれた毎日新聞だが、これとて僕には疑問の見出しだ。「保革が同席」とある。今どき「保革」という表現も驚きの旧さだが、ことの本質はそんなことではあるまい。共産党が参加しようがしまいが、1万人もの人々が地方都市に集結して、身近の原発の撤廃を訴えたことの重要性こそが見出しにされるべきだった。
これまで原発マネーの恩恵に浴してきたとされる現地の人々が、初めて巨大な集会という形で「原発にノーを突きつけた」という歴史的転換を、全国へ知らせることこそマスメディア(全国紙やキイ局テレビ)の役割ではなかったのか。
マスメディアはなぜ、この「大集会」を報じなかったのだろう。もしこの集会を、一地方の催し物のひとつ、などと受け止めていたとしたら、もはやマスメディアの劣化は救い難い。
同じことは、経産省前で10月27日~29日に行われた「原発いらない福島の女たち」の座り込みについての報道にも見られた。原発問題に関しては、突出して懸命に報告を続ける東京新聞だけが、やはり詳しく報じてくれたけれど、他のマスメディアはほとんど無視したのだ。
たった数十人での経産省への抗議の座り込みが、ネット上での連絡やクチコミで広がり、ついには1000人を超える人たちが経産省前に集まったのだ。それこそ「事件」ではないか。何の組織も持たない「福島の女たち」のささやかな呼びかけが、首都東京のど真ん中での1000人を超える規模の結集に膨れ上がったのだ。
日本のマスメディアが、ニューヨークの数百人から始まった「反格差デモ」をあれだけ大きく取り上げながら、足元の東京での「女たちの反乱」をなぜ無視するのか。それでは「アメリカ追従の日本政府」などとエラソーに批判できる資格はないだろう。
さまざまな人たちが発言しているように、やがてネットなどの情報網に、既存のメディアが駆逐されていく日も近いのかもしれない。なぜそんな危機感を、マスメディアの現場の記者たちは抱かないのだろうか?
僕には、それが不思議でたまらない。
秋が穏やかに訪れた。久しぶりに、神代植物公園を散歩した。バラが真っ盛りだった。
秋空が、真綿雲を刷いて、静かだ。こんな美しさが、いま、とても切ない。落ち葉は、多くの放射性物質を含んでいるだろう。秋の実りの果実が安全である保証はない。
いったい何が、誰が、この静かな秋を汚したのか。
木々も花々も空も果実も小川も鳥も、みんな去年と同じに見えるけれど、やはり同じではない。それを感じてしまう自分が、かなしい…。
*
鈴木耕さんプロフィール
すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。
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